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#ひとりSMAP【 木村拓哉 】

SMAPが 解散して 4年近く なるが、メディアを 通して、個々 元気に活躍しているのが 嬉しい。

少し 個人に スポットを当てて SMAPを 見ていきたい。

光GENJIじゃなくて

光GENJIの 佐藤敦啓、赤坂晃は グループの 年少にあたり、当時の 夜8時過ぎ等は 労働基準法により テレビに 出演できなかった。

その時 彼らより、年上だった 中居正広、木村拓哉が、場合により 代わって 仕事を こなしたようだ。

敦啓、赤坂の 加入は、当然 先を見据えて 事務所の期待の 表れだろう。

よって 中居、木村の 代打は あっても 彼ら自身の デビューは 先延ばしに なった。

リーダー 不在

SMAPは 結成時 6人体制。

しかも 中居正広と 木村拓哉が 同年齢。

他の グループと やや 違う編成で デビューした。

そう、いわば ツートップ。

当時、たまたま観た 番組で、SMAPは、リーダーが
居なかったと 聞いた 記憶が 鮮明に 残っている。

後に 中居正広が リーダー に なるのだが、ここで 木村拓哉が リーダー に なってたら、ここまで SMAPは 大きくならなかったのではないか。

また、ジャニーズ事務所は、中居 木村を 軸に グループを 作りたかったからこそ、光GENJIの 加入を見送ったのではないか。

持ち上げた キムタク 👓

『 あすなろ白書 』で、木村拓哉が ブレイクを 果たし、【 キムタク 】として SMAPを、ジャニーズを、日本を 牽引する。


森の抜けた穴

そんな 昇り調子の時に、主に メインで 歌っていた 森 且行が グループを 抜ける。

後に 個々 メンバーの ソロパートが 増え、たくさんの 楽曲を 産み出すわけだが、木村は 明らかに デビュー当時とは 違って この頃からか、ボイストレーニングを こなしたからか 歌が 上手くなる。


解散は しない

木村拓哉は、いくら SMAPが 揉めても 解散は しないと 踏んでいたのではなかろうか。

しかし、思いは 届かず 解散してしまう。

事務所に残った 理由

SMAPが なくなったら 皆、歌や ダンスを しなくなるだろう。

木村拓哉は、その常識を 覆すように アルバムも 発売する。

ただ シングルや 配信を メインに しなかったのは、記念的要素が 強く 表れてると 感じる。

そう 歌も 歌える 選択肢も 持ちつつ、木村拓哉は やはり 役者、演技が 出来る。

今までの 先輩らが 出来なかったこと、グループが なくなっても、第一線で 活躍しつづける。

それを 木村は 選択し、番宣も 兼ねて、バラエティーも よく出演することが 少なくなくなった。

アイドル時代とは 違った 腰の低さとか、フットワークが 軽くなったように 見えるのは、気のせいだろうか。


まとめ

SMAPの 再結成を望む声も あるが、木村拓哉は そんな 先の見えない事より、いかに たくさんの 作品に 出演したり、輝ける模索をしている。

そんな 木村拓哉を 見続けて、お互い 年を重ねるのも 悪くないだろう。


最後まで お読みいただき
ありがとう ございました。

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