小さいけれど大きなこと~宇多田ヒカルのノンバイナリー公表について思うこと(2021.7.14)


7/14は
International Non-Binary People's day

先日、宇多田ヒカルがノンバイナリーだとカミングアウトしたそうだ。

英語の代名詞gender pronounsにはノンバイナリーを指すthey/themが存在する。
日本語には現在のところ適切な表現が見当たらない。今回がきっかけではなく、英語圏でthey/themが単数の三人称代名詞として認知されるようになってから、日本語ではどう表現するのが適切か、というのは常々モヤっていた。

ヒカルさんはノンバイナリーなので「彼女」と表現することは適切ではない。ご自身がgender pronounsをtheyにしてください、という発言も見当たらないので、名前で呼ばせていただくのが適切だと思う。

ヒカルさんのような日本でもトップアーティストにあたる著名人がノンバイナリーと公表したことは大きいと感じたが、ネットの様々な反応を見ると、好き勝手言ってるようなので日本はまだまだだな、と思う反面、だいたいこんなものかとも思う。
個人的には「一石を投じる」という意味ではカミングアウトの必要性は大いにあると思うが、セクシュアリティに関してカミングアウトの自由は守られる世の中であって欲しい。
してもしなくてもよい。
ただ自分がどう見られたい、呼ばれたいと考えるなら英語のgender pronounsの明言は必要だ。

https://note.com/kumittee77/n/n5fe403496320

私自身も目の前で「彼女」と呼ばれると違和感があるが、「ノンバイナリー」だと主張はしておらず、身体の性が女だから致し方ないと思っている。

もしノンバイナリー、Xジェンダーの知識がある第三者が私を見て、この人そうかも知れないと思ってくれたらしめたもの。聞いてくれたら言おうとは思うけど、自分から言うつもりもない。

最近、日本でも性の多様性について認知されるようになったが、拒絶反応も多々見られる。受け入れの可否も多様性という意見にも寛容であれ。柔軟な姿勢でいられたら、と思う。

もっと踏み込んで言えば、男女二元論から性のグラデーションの感じ方も人それぞれ、そこも多様性と捉えておくくらいが現状では良いのかも知れない。
幼い頃から細かいグラデーションが見えてしまった人生からすれば、今の時代は驚くほど色鮮やかで、人間の性はどうであれ正しいも間違いもないと思うようになった。

大切なのは、どんなジェンダーであってもカミングアウトしてもしなくても、性別にとらわれることなく自分らしくいられること。
私はわたし。
そう言える生き方をしたい。

ヒカルさんも、今回の件で様々な反応があっただろうけど、少しでも公表して良かったことがありますように。
そしてこのことが、日本に女性として生まれたノンバイナリーの方々にとっても良いことでありますように。

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