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【短編小説】はちみつ紅茶と洗濯ばさみ

※ショタの出てくるファンタジー短編 ちょっとBLっぽい




「もういいかい」とアイク兄ちゃんが言った。
「まあだだよ」と僕は答えた。

僕は僕たちの住む村を見る。
すみれの花が咲く丘の上に建つ、木造りの、ぐらぐらした、ちっぽけな物見台の上から、小さな村を見下ろしている。

空は三つの色に染まっている。
青色と、茜色と、すみれ色。あるいは、昼の色と、黄昏の色と、夜の色。
昼間の色と夜の色は気だるく溶けて、目がくらむような夕焼けの光をそのあわいで生み出していた。 

この世界の空は黄昏時のまま止まっている。


「ばあ」
気がつくと、物見台によじのぼった僕の後ろに、すみれ色の髪をしたアイク兄ちゃんが立っていた。
「アイク兄ちゃん……」
「エル、みいつけた」
「見つかっちゃったあ」
えへへ、と笑い、アイク兄ちゃんのあたたかな手を取る。
「やぐらの上って……隠れる気ないだろ、お前」
「違うもん、上ならかえって見つからないと思ったんだもん」
むーっとほっぺたを膨らませてそう言うと、「イチリある」とアイク兄ちゃんが言った。「イチリある!」
「もー、真似すんなよなあ」
アイク兄ちゃんは耳を赤くしてそう言い、僕の青色の髪をわしゃわしゃかき回した。僕はたまらずアイク兄ちゃんにキックする。おふざけの軽いキックだ。

「帰ろ、帰ろう、僕らのおうち」
僕とアイク兄ちゃんは手をつないでおうちに帰る。僕ら以外誰も住んでいない村の、端っこにある小さな木づくりのおうちへ、いつも帰る。空の色は変わらないけれど、かくれんぼが終わったら、おうちへ帰る時間なのだ。
「エル、今日は何食べようか」
「シチュー!」
「エルはシチューが好きだなあ」
「うん!」
僕は帰り道の途中でアイク兄ちゃんにぶら下がる。
僕はいろいろなことを知らない。だけど、いくつかの言葉を知っている。茜色を、すみれ色を、黄昏を、気だるさを、目がくらむということを、あわいという言葉を、どういうわけだか、知っている。


「エル、みいつけた」
「見つかっちゃったあ」
今日もまた、変わらない黄昏の空の下で変わらないやりとりを繰り返す。
僕らは卓上ランプの火があたたかく燃える家でご飯のしたくをする。にんじんを刻み、玉ねぎに泣いて、鍋に油を引く。僕らはどんなものでも願いさえすれば食べられるけれど、僕はたいていの場合、シチューをねだる。思い出の味を忘れないために。

「いただきます」
「いただきます!」
「あー、エル、ジャガイモでかいやつ、お前が切った分だろう」
「ジャガイモ大きいの好きなんだもん」
「はは」
ご飯を食べたらお風呂を沸かし、一緒に入る。裸のまま、洗濯もする。泡でいっぱいのたらいに、洗濯板、びしょびしょの服。風呂から上がると、ハンガーに濡れた服をかける。
エル、洗濯ばさみがないんだけど、とアイク兄ちゃんが言った。洗濯ばさみはないんだよ、と僕は答えた。そうか、とアイク兄ちゃんはうなずくと、濡れた服を魔法ですぐに乾かした。



「エル、みいつけた」
「見つかっちゃったあ」
すみれの花が咲く丘でかくれんぼを終えると、手をつないで家に帰る。ご飯を食べて、お風呂に入り、洗濯をして、ベッドに転がり込む。
「エル、お話を聞かせてあげる」
「お話?」
「魔王のお話」
魔王は、空を黄昏時のまま止めてしまったのです。黄昏時の空を元に戻すには、勇者が魔王を倒さなければなりません。魔王は魔王城に隠れています。魔王の城に入るには、魔王を倒す二つの武器をゴーレムに告げなければなりません。

「勇者はそれを知っているはずなんだよ」
アイク兄ちゃんはシーツの中で、僕を子犬みたいに抱きしめて言った。
「知っているはずなんだ」
「うん」と僕は言った。「勇者は、早く魔王を倒したらいいのにね」
そうしたら、アイク兄ちゃんは、なんだか悲しそうな顔をして僕の目をのぞきこんだ。
「エル、明日の朝は、はちみつ紅茶を飲もうか」
はちみつはないんだよ、と僕は答えた。空は明るいままで、眠りに落ちるにはまぶしすぎるから、アイク兄ちゃんはかくれんぼでもするみたいにサッとカーテンを閉め、僕を抱き込んでシーツをかぶった。

朝起きると、アイク兄ちゃんは生まれたてのときみたいに丸くなって眠っていた。僕はフライパンをおたまで叩いて「起きて」と叫んだ。
「起きましょう、起きましょう、クランベリージュースを飲みましょう」
「なに、エル、用意してくれたのか」
それにしてもうるさいな、とアイク兄ちゃんはあくび混じりにつぶやくと、僕の頭をぽんぽんと叩いた。
「他の朝メシは?」
「目玉焼きに、ウインナーに、トマトのサラダだよ!」
「うんうん、うまそう」
アイク兄ちゃんはにやりと笑うと木棚のガラス戸を開け、赤い格子柄のテーブルクロスをばさりと机にかけた。
「アイク兄ちゃん、他に食べたいものはある?」
「食いたいもんっていうか、はちみつ紅茶が飲みたいな」
俺の好物だろ、と言われた瞬間、頭の中で何かが弾けた。
「お前の好物なんかじゃない!」
僕は怒鳴って机を叩いた。
「二度と言うな!」
フォークが一本、机の上から薄いじゅうたんに落ちて跳ねた。アイク兄ちゃんなら、こんな僕を叱るはずで、けれど、すみれ色の髪をした目の前の兄ちゃんは、おどおどしながら「ごめんな」と言うのみだ。

遠くの空では雷が光り、窓ガラスに激しく反射していた。近いような遠いような場所にいる誰かがギャーと苦しげに叫んでいた。

僕は、かんしゃくを起こして兄ちゃんを困らせてしまったことが申し訳なくて、「ごめんね」とつぶやいた。アイク兄ちゃんのすみれ色の頭を撫でる。遠くの場所から雨音が聞こえ始める。

僕らは向かい合って朝食を摂る。アイク兄ちゃんは僕に物語を聞かせる。魔王の話。勇者の話。世界の中立を守るために、魔王城の前で魔王を倒す武器は何か勇者たちに問い続けるゴーレム。城の中にいる魔王が、なぐさめにつくり出した話し相手の土人形。

「アイク兄ちゃんは、どうしてたくさんのお話を知ってるの?」
ウインナーをフォークの先で狙いながら僕はきいた。
「人間たちの声が、空のゆらぎを通して聞こえるからだよ」とアイク兄ちゃんは答えた。
「アイク兄ちゃんには、みんなの声が聞こえるんだね」
「エルは聞こえないのか?」
「僕には聞こえないんだ。僕は、遠くの音を拾えるけれど、近くの言葉は分からないんだ」

「悲しいやつだな」
アイク兄ちゃんは僕をじっと見つめて言った。その目に宿る感情が哀れみであることを僕はどういうわけだか知っていた。


「エル、かくれんぼしよう」
アイク兄ちゃんが僕に言った。日が落ちそうで落ちない空を僕は見上げた。
「朝日みたいだね、アイク兄ちゃん」
「朝日」
「魔王が空の時間を止める前にはね、東の空からお日様が登っていたんだよ。それでね、世界は起きるんだ。黄昏に似てるけど、黄昏みたいに寂しくはないんだよ」
「知ってるよ」
アイク兄ちゃんは、すみれに紛れて咲く青色の食中花を靴でぐちゃっと踏み潰すと、怖い声を出した。
「それくらい、俺だって知ってる」
「ごめんね、アイク兄ちゃん」

「アイク兄ちゃん、ばあ」
「エル、ここにいたのかよ」
「見つからなかったでしょう」
「全くだよ、うまく隠れやがって」
「ねえアイク兄ちゃん、空の時間が止まるまでは、日が暮れるのが、かくれんぼ終わりの合図だったんだよ。なんでかと言うと、日が暮れたらおうちに帰らないといけないから」
アイク兄ちゃんは、すみれに紛れて咲く青色の食中花を靴でぐちゃっと踏み潰すと、怖い声を出した。
「それくらい、俺だって知ってる」
「ごめんね、アイク兄ちゃん」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」
「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」
「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」

「みいつけた」
「見つかっちゃった」


「……見つけたぞ」
僕は物見台からすみれの咲く丘に飛び降りた。かくれんぼの帰りにぴったりの、黄昏色をした空の下、長い影が揺れていた。
「見つかっちゃった」
僕は言った。喉がからからに乾いていた。
背の高い大人の男の人が、空に開いた穴から丘に着地する。僕は男の人のはめている、使い込んだ甲当てを見た。重い質感のマントを見た。銀の胸当てとすね当てとベルトをつけた革地の服を見た。
男の人のごつい革靴が、丘に咲くすみれを何輪か踏み潰した。
「エル!」
丘のふもとからすみれ色の髪をした兄ちゃんが走ってくる。
「お前、エルに手を出すな!」
「やめて、邪魔しないで」
僕は兄ちゃんにそう言ったけれど、兄ちゃんは無視して僕と男の人の間に割って入った。男の人は、何かの呪文をつぶやいて、兄ちゃんの額に手をかざした。

分かった、というのが、兄ちゃんの最後の言葉だった。
「分かった……」

兄ちゃんは、ふうっと重いため息を吐いた。
ふうううううっと、長く、長く、体中の息という息を吐き切ると、お兄ちゃんのすみれ色の髪の先がボロボロとひび割れた。
さよなら、と僕は言った。長らく僕のお兄ちゃんだったものは、粉みじんに砕けて宙に散った。

男の人は僕に、「ごめんなさいは?」と言った。
「ごめんなさい」
僕がアイク兄ちゃんを模してつくった土人形に、僕は謝った。魔力をなくした土人形は、もはや物言わぬ土くれとなって、そいつの生まれたすみれの丘の大地と一体になっていた。

はるか向こうの雲から雨が降り始めた。
僕が悲しみに耐えきれずにいるとき、世界のどこかで大雨が起きる。僕が怒りを堪えきれないとき、世界のどこかで嵐が起きる。僕はいろいろなことを決められる。生き物の生死、海と陸の法則、空の時間。

僕のやることなすこと、たいていは良くないエイキョウをオヨボスらしい。世界の真理を犯すらしい。

だから僕は、いつの間にか魔王と呼ばれるようになって、結界の中に閉じ込められるようになった。
もしくは僕自身が僕の魂の半分をもぎ取って、僕を世界から隠す結界をつくったような気もする。よく覚えていない。僕はさまざまなことを知っていると同時に、いろいろなことを知らないんだ。

僕は歳を取らない。だから、前よりずっと大きくなった本物のアイク兄ちゃんを、前よりもっと背伸びして見上げた。
「おかえり、アイク兄ちゃん」
「エル……」 

僕はアイク兄ちゃんの赤毛をじっと見つめる。かつての日々を思い出す。 

この結界は普段、誰に対しても閉ざされているけれど、千年龍が生まれたとき、産声のはずみで時空が歪み、人間の国へひらけてしまったことがあった。そのとき迷い込んだアイク兄ちゃんは、僕にとても優しくしてくれた。はちみつ紅茶や、鍋のシチューや、人間は汚れた服を魔法ではなく手洗いできれいにすることを教えてくれた。

僕はとても嬉しかった。

洗濯ばさみは可愛い。非力な人類は洗濯ばさみで洗濯物をつまんで干さないと、ものを乾かすことができないのだ。洗濯ばさみという小さくて素敵なものを人類は生み出すことができたのだ。蜂の蜜を奪って、葉っぱをいろいろいじくり回した果ての熱い液体に入れるなんてよく分からない行為から、おいしいはちみつ紅茶を生み出したのだ。人間たちの営みは愚かしく、愛おしかった。

アイク兄ちゃんは、魔王を倒す勇者になりたいと言っていた。勇者になったら、下働きをしているお屋敷のご主人様や使用人のみんなから愛されるんだって。身寄りのない兄ちゃんは、そうやって自分の居場所をつくり出さないといけないんだって。
だから僕は、アイク兄ちゃんを勇者にしてあげることにした。

僕は僕自身を殺せないけど、僕の殺し方を決めることはできる。
僕は、子供のアイク兄ちゃんが魔王城に持ってくることができて、かつ、大人の勇者が逆立ちしても思いつきそうにないものを僕を殺す武器にした。

時空の歪みが治り、アイク兄ちゃんが元の世界へと押し返されそうになったとき、僕はアイク兄ちゃんに世界のひみつをささやいた。
「はちみつ紅茶と洗濯ばさみ」
「エル?」
「はちみつ紅茶と洗濯ばさみを持って、魔王城に帰ってくるんだよ。ねえ、アイク兄ちゃん、僕は魔王で、ここは魔王城なんだよ」
「はちみつ紅茶と洗濯ばさみを持ってきたら、またエルに会えるのか?嘘ついたらぶっ飛ばすぞ」
「嘘じゃないよう。かくれんぼして待ってるね」
アイク兄ちゃんは、分かった、と言った。
「かくれんぼなら、日が暮れるまでに見つけなきゃな」
「約束だよ」



なんで早く来てくれなかったの、と僕は今のアイク兄ちゃんに言った。約束したから、日が暮れないよう空の時間を止めておいたのに。

アイク兄ちゃんは、一瞬、僕を殴りそうな勢いで拳を握り締めた後、ぐっと、怒ったような泣きそうなような顔で唇を噛んだ。
「……ごめん」
その瞬間、遠くの空がぱっと白んだ。僕はよく分からない気持ちになった。アイク兄ちゃんの謝り方は土人形の兄ちゃんの謝り方となんとなく似ていた。
「空の時間を止めるのは、いけないことだった?」
「まあ、そうだな」
アイク兄ちゃんは言った。
「いや、やっぱりお前は悪くないよ。俺が悪かったんだ。はちみつ紅茶と洗濯ばさみをすぐに持って戻るつもりだったんだ。だけど、魔王城を管理するのは偉い政府で、ガキの戯言になんて耳を貸してくれなかったんだ。特待制度で入った勇者学校を主席で卒業して、政府省庁に就職した後、三つの会議を経て、やっとはちみつ紅茶と洗濯ばさみを持ち込む許可を得られたんだ」 
「すごい」
僕は言った。
「人間って、愚かなんだねえ、アイク兄ちゃん」
「……一理ある」
その通りだよ、エル、人間ってやつはお前に比べたらちっぽけな存在なんだよ。
アイク兄ちゃんはつぶやいた。
寂しかったよ、と僕は言った。僕はたぶん、ひどいやつだ。二人から一人になるのは、寂しくて寂しくて、土人形で気を紛らわせながら、たくさんたくさん泣いちゃった。僕の涙で何人の人間が溺れ死んだだろう。
空は濃い茜色に包まれていた。「帰ろうか」とアイク兄ちゃんは言った。
「僕を殺してよ」と僕は言った。「僕はいない方がいいんでしょう。僕は、いろいろなことができるけど、いろいろなことができないんだ。みんなを傷つけてしまうんだ」
「嫌だよ」
アイク兄ちゃんは僕の手を握りしめてそう言った。
「お前がいてくれたら、俺は嬉しいよ。お前のせいで遠くの国の誰かが死んでも、俺はお前とシチューを食いながら生きていきたいよ。本当に身勝手で愚かなことだけど」

アイク兄ちゃんは、僕をおぶってくれた。
「そういえば、はちみつ紅茶と洗濯ばさみでどうやって死ぬつもりだったんだよ。剣とか弓じゃないんだし、攻撃しようがないだろう」
あ、と僕は口に手を当てた。
「決めてなかった」
「決めてなかったってなあ……」
アイク兄ちゃんはがっくりと肩を落とした。僕は、まあまあ、と兄ちゃんの頭を撫でた。
「じゃあ、はちみつ紅茶と洗濯ばさみをお前を倒す武器にするって設定、とりやめようぜ。俺、はちみつ紅茶飲みたいし」
「いいよ、じゃあ、僕を殺す二つの武器、次は何にしよう」
「次って決めなきゃいけねえの?」
「世界の決まりだから」
「世界の……」
なあ、とアイク兄ちゃんはふいに真剣な声音を出した。
「エル、お前って、いつ生まれたの?」
「分からない」
「俺がガキの頃から、この場所は村みたいだったけど、なんで魔王城の結界の中が人間の村みたいなんだよ?」
「覚えてない」
「お前なあ……」
「本当だよう」
僕は僕のことをよく分かっているのに致命的なまでに分かっていない。まだらなのだ、何もかも。
「アイク兄ちゃんは、僕とずっと一緒にいてくれるの?」
「一緒にいるさ。俺は天涯孤独で、唯一お前だけが弟分みたいなもんだったからな」
「一緒にいた時間は短かったのに?」
「時間は関係ねえよ、お前だって、たぶんそうだろ。ああ、ただ、この村みたいな場所に閉じこもってんのはなんだかしけてるな。俺はもっとお前にいろんな景色を見せたいよ。北の海に浮かぶ水晶の島とか、南の大地に咲く花とか」
「魔王を結界から出すの」
重罪だよ、と僕が言うと、お前は大人みたいなこと言うんだな、とアイク兄ちゃんは静かに笑った。それから、しばらくの間兄ちゃんはじっと丘の上で立ちすくんでいた。

辺りがさらに暗くなった頃、アイク兄ちゃんは僕をおぶったままようやく歩を進め始めた。
「動き出すのが遅いよ、アイク兄ちゃん」
「悪いな、久々に見る夕暮れってやつを目に焼きつけときたくて」
「ふうん」
アイク兄ちゃんは、「他人事みたいに言いやがって」と呆れたように笑いながら言った。

僕は、十字形の石をすみれの丘にさして、土人形のお墓をつくってやらなくちゃなと考えていた。それを思いつくのは初めてのはずなのに、アイク兄ちゃんの足元には、すみれの花にまぎれておびただしい数の十字の石が埋められていた。

魔王の僕は歳を取らずに生き続けるけれど、アイク兄ちゃんはどうなんだろう。アイク兄ちゃんもこのままの姿でずっと一緒にいてくれるのだろうか。もしアイク兄ちゃんが先に死んだら、僕は悲しみに押しつぶされそうになって、自分の記憶を消すかもしれない。そうして、それから……?

——生まれ変わって、また会いに来るよ、エル。
「うん」
僕はまどろみながらうなずく。

意識の向こう側で聞こえたのは赤毛のアイク兄ちゃんの声のような気もしたし、すみれ色の土人形の声のような気もした。
あるいはそれは、遠い昔に聞いた誰かの声かもしれない。

ぶうん。
ふいに聞き慣れない羽音がした。
「わあ、ミツバチ」

アイク兄ちゃんがびくりと肩を震わせたので、僕は驚いてずり落ちそうになった。
「アイク兄ちゃん!」
「悪い悪い、刺されるかと思ってさ。いやあ、黄色と黒のあの見た目はビビるよなあ」
「アイク兄ちゃんのカバンに付いてたみたいだね」
アイク兄ちゃんはミツバチに怯えていたけれど、ミツバチはアイク兄ちゃんに目もくれず、小さな羽音を響かせながらすみれの花々をすり抜けて飛んだ。 

「あ、食中花」
足元に茂る小さな青色の食虫花が、花びらに近づいたみつばちを食べる。

分かるよ、きれいだもんな、とアイク兄ちゃんはつぶやいた。

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