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私のフランス住宅事情

 フランスに到着した。
 11月にパリの日本文化会館が開催する公演『最後の芸者たち』というFestival d'automne(パリの演劇祭)参加作品に、作演出・出演の太田信吾さん、竹中香子さんのコラボレーターとして助っ人をしたり、今後、海外でも自身のプロジェクトの協力者を探すため色々な人に出会うのが主な滞在理由だ。

 どんなところに住んでいるかというと、モントルイユというパリの東側に隣接する街とパリの境目あたりの、ワンルームのスタジオを借りている。
 市としてはモントルイユ市ということになるけれど、メトロ(地下鉄)圏内でパリど真ん中から20分ぐらいなので、東京における清澄白河とか江東区ぐらいの気持ちだ。パリの東半分なら電動自転車で行ける。
 周囲は戸建ての住宅も多くて屋根が低く空が広い。古くは家具職人などが安い土地代を理由に広い工房付きの自宅を構えていた地域だそうで、その後、移民の時代になってからは「ドヤ」とでもいうべき宿泊施設ができてマリ出身者のコミュニティの街になり、今ではその「ドヤ」もなくなって、パリの逼迫する住宅事情から逃れて落ち着いた環境を求める子育て世帯やアーティストたちが多く移り住む、少し洒落たエリアになった。
 街角では、エレガントな長い民族衣装にお椀のような形の刺繍の帽子を被ったマリ出身の人々が集まってコーヒーを飲んでいたり、カフェで演劇人とおぼしき若者がオンライン会議をしていたり、登下校の子供達で溢れていたりする。
 日本人もけっこう住んでいて、いざというとき一番頼りになる日本の同朋の方々が近くにいるのは本当にありがたい。(去年は激動の一年で、慌ただしさのあまり何度も部屋の鍵をなくしては深夜に近所の家に駆け込んでいた)

 今わたしがいるワンルームのスタジオは、昨年に一年間フランスに留学した時に借りていた物件だ。この半年、春に私が日本に帰国して以来は、期間限定でフランス人の学生さんに借りてもらっていたが、今回またこうして戻ってきた。

 これから3年程度は、自身がどういう手法でどういう場所で作品を出していくか、模索していく期間になると思う。その時に、どこにいるのか。
 大都市すぎる東京に定住するのが無理なことは新卒会社員時代の二年間で痛感し、かといって奈良の実家では車がないとどこにも行けないが私は乗るたびに車をあちこちにぶつける危険なドライバーなので田舎暮らしも不便すぎる。
私は日本の人々に観ていただいて還元できる作品をつくりたいので、海外移住しようという意図があるわけではない。
 けれど、一緒に団体運営をやってくれている東京在住の仲間の拠点を事務所にしつつ、基本的には奈良に住所と家財道具を置きながらも、2~3年は、スタジオを借りるのは引き続きこのモントルイユにしようと考えた。
 日本では演劇に携わるのに東京に滞在先がないと厳しいのがまだ現状だと思うが、東京で家賃を払うなら、モントルイユで払おうかと思うのだ。
リサーチしたり執筆したりするのに、東京よりは自分にとって情報も集まりやすく、集中しやすいはずだ。

 ここからが本題で(といってもたいした話ではないけど)、どうしてモントルイユで住居を見つけたのか、お話したい。

 パリで、外国人が物件を契約するのは、最近では至難の技だ。
 もちろん駐在員なんかだと外国人向けの割高な仲介業者を介せば大丈夫だろうが、私のようなフリーランスが身の丈にあう物件を探して契約するのはすごく難しい。
 というのも、パリ市は東京の山手線内ぐらいのサイズでとても小さく、景観の保護のため高層アパートを建てられないし、地震がないため建物自体の建て直しもほとんどしないので、オスマン時代に計画されたままの街の建物のボリューム感がそこから大きくなることはなく、その当時と同じ容積の住居しかない。でももちろんオスマン時代より人口は増え、世界に冠たる国際都市になってパリを目指す人はフランスの地方からも海外からも殺到し、圧倒的に住居スペース不足なのだ。
 今の東京に、江戸時代と同じ木と紙だけでできた瓦葺の平家を並べたとして、現在タワマンに住んでいる東京都民が入り切れるかを考えてみてほしい。

 それで、昨年フランスに渡航するときも住宅探しは喫緊の課題だった。
 私の場合、幸いその前年に知り合った日本人から都心の屋根裏部屋を借りる約束をできていたのだけれど、いざ3月に到着して住んでみると、エレベーターのない5階の、断熱されていない築数百年の建造物の屋根の直下の部屋は早春でも極寒で、天井は低く頭をぶつけ、小さな電熱タンクから出るお湯はシャンプーの途中で水になり、床はひどく傾斜していて、三半規管がもともと弱い私は肩こりに悩まされ眩暈まで発現しはじめた。寒さのせいか二度目のコロナにかかり、そこからいわゆるロングコビッドで微熱が続き、演劇留学のはずが何にも関心を持てないぐらい体調が悪くて、芝居どころではない。
 そして”いにしえ”の建物の屋根裏で寒さよりさらに恐ろしいのは夏の暑さだ。カニキュルと呼ばれる40度超えの日も珍しくなくなった近年のパリで、太陽の熱が直撃する屋根裏暮らしは夏には命の危険があると思われた。
 そうなる前にここを脱出しなくてはと、微熱でぼんやりとしながらネットで物件を検索したが、住居不足のパリでは、空きの募集が出た瞬間に大量の入居希望者が履歴書やら収入証明やら身元保証人の書類をそろえて内覧に殺到する。そのため結局はそれらの書類が揃うフランス人が選ばれるらしく、私などエントリーしても内覧にさえ進めない。
 やはりここでは我々はよそ者なので、日本人同士で一種の「闇貸し」が横行し、本来は賃貸に出すための法律を満たしていないような物件を日本人の大家が日本人の店子に貸すようなことが多いと聞いた。

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