見出し画像

試演「呼吸にまつわるトレーニングプール」報告会(後編)

城崎温泉でのアーティストインレジデンスを終えたばかりの8/17、上田久美子の活動報告を兼ねてラジオ風のシラスチャンネル配信を行いました。
議論が白熱してきた後半部分を文字でお伝えしたいと思います。
「上田へのダメ出し」の中見出しコーナーを、ぜひお読みいただきたいです。自分でも話す予定のなかった記憶が蘇り、わくわくするひとときでした。



宝塚的になりがちな演出のこと


平野
システム非常にやっぱり大変でしたね。


上田
たくさん音のストリーミングを使うこういった場合には、それ専用の回線だとか、マテリアルな面で装備がもっと必要だった。


平野
制作さんも緊張感を持っていろいろ考えてくださったんですよね、お客様を導入する役割の人たちの負荷っていうか責任もすごく重かった。感謝しかないですね。


上田
本当にそうですね。この2週間という創作期間は、本来、リサーチや小規模な試演しかできないような短期間でした。ただ、市民参加型ラボを試したかったので、そのためには大ホールの空間でやらないといけなかった。その次に大きいスタジオといっても10人も入れられないような場所なので、では大ホールで、となったら今度はすごい大空間で、つい空間を埋めるための演出やマテリアルが要るような感じがしてしまう私の癖というか、宝塚なんかでやっていると空間の大きさに反応するんですよね。このぐらいのサイズの客席と空間だったらこれぐらい人数が出演してこれぐらいのアレンジの曲でやったら「持つ」な…とか。装置や照明に関しても、空間のサイズに対してどう埋まるかっていうことに過敏なんです。
それもあって結構いろいろパーツが増えて、大変さを生みましたね。反省してます。ぱつぱつだった。ミニマリストを今後は目指したいです。


平野
ミニマリスト。


上田
とてもじゃないけど公民館を目指してる感じがしない。科学博覧会目指してるみたいになっちゃいました。


平野
初日から、ちょっとあの美術バトン下ろしてもらって大スクリーンって今すぐ吊れますか?みたいな。あれ?なんかすごい商業の人来たなみたいな勢いで。ドセン(センターど真ん中)にイントレ(高い台)を置きたい、ドセンを埋めないと落ち着かないって言ってたよね。


上田
センターに高いところが欲しい…しみついた習性が。


平野
センターに高さを出して人を登らせるっていうあたり、私、宝塚抜けてないって言ってました。


上田
でも、そことアートの融合が面白いかなと思ったんですよ。ストイックに静かに内的な世界に目を向けるっていうことと、なぜかドセンに高みがあるキャッチーさを混ぜるとどうなるかっていうちょっとそういう実験もやってたんですよ。


平野
はい実験だからいいんですよ。うん、いいんですけどね。


上田へのダメ出し


上田
ラジオというか配信だから、平野さんさっきからとても言葉を選んでくださってるなっていうのを感じてるんですけど、ちょっとここらで何か厳しいツッコミでも。芸術を志すのであれば、やはりすごいシビアなものだと思うんです。


平野
真面目ですね。それ昔からそうなんですか。


上田
意外と素直なタイプですね。怒られるとか注意されるのがストレスにならないのは、言われてみればそれもそうかもってたいてい思うから。でもそれも一つの相対的な視点でしかないこともわかってます。


平野
僕自身がアートの人じゃないっていうか、これは通訳者の良さでもある弱さでもあるのかもしれないけど、一緒にやる人が何をやりたいかっていうことを知りたいし、それを自分が面白いと思うか思わないかみたいなことは第1じゃないから、あんまりそれじゃ駄目だよみたいなのがあるわけじゃないんです。


上田
でも作品についてだけじゃなくてもいいですよ。


平野
きてくれた人を楽しませたいみたいなことを、ものすごくやっぱり大切にしてますよね。でもおそらく実験っていうのは答えありきじゃ駄目だから、楽しませようとしているんじゃ駄目だよねそれじゃ実験じゃないし挑戦じゃないよねっていうことに対する葛藤が上田さんにはあると思う。僕は別にそれに対して、楽しませたら俗だとも、わかりづらいままにしたら観客を無視したと言う気も全くないんです。でもその実験する修行だというふうに捉えるのであれば、あえて禁欲的にもうちょっと観客へのサービスは一旦ゼロにしますみたいな、私はそれを大事に思ってるけど、大事に思っているままで一旦無視しますみたいなことを、もしかしたらやる必要はあるかもしれないなと思っていますね。
その上でやっぱり違ったってこともあるかもしれないけどそれはまさに実験だから、一旦この誰にでもアクセシビリティがあって来て良かったなって思ってもらえるものを目指すみたいな思いを、完全に大事に思ったまま無視する、っていうのが、やってみる価値はあるかなと思います。

上田
一度やるべきですね。でもすごい怖い。逆にそうしたときに、そこに何もなかったらと。


平野
それはそうでしょう。


上田
たぶん、最終的な拍手なり称賛なり手応えがある仕事をこれまでやってきて、人ってそれを一回体験すると、それが続いていかないと怖くなる。
アートって、今回みたいに2週間やっただけで何か評価されるようなものではない場合がほとんどと思うし、本当にやらなきゃいけないものってね、最初の頃はなんだこいつ?って思われることを10年やって初めて、なんかじわじわ周りに理解されてくるってこともあり得る。それなのに、やっぱり最初の方からいいねって言われてそしてそれにちゃんと助成とかがついてこなきゃいけないみたいな、数ヶ月後の助成の審査に通らなきゃいけないんじゃないかとか、すごく表層的な部分で近い距離でのゴールをクリアっていうものに囚われそうな自分が怖いなって。
そういうサバイバルと、表現芸術をやっていくってことは全然違うかもしれないって思って。それこそ今のこのアートセンターの芸術監督は市原聡子さんじゃないですか。一昨日からここにいらっしゃってて、同じ棟に寝起きしておられるので結構よく話す機会があり、実験室にも来てくださった。話してたら「アーティストなんて嫌われてなんぼですよ」って。やっぱり市原さんをみていると、誰かに理解される、ウケるっていうことよりももっと大事な衝動があるっていうことが必要なんだろうと思うし、でもなんか私は実用的でなんかしょうもないプラグマティックな意識が強すぎて、それが表現を阻害してるのか、あるいは自分の中に何かがあるのか、本当は何もないのかっていう、そこを今回市原さんに会って、自問しました


平野
市原さんはやっぱりパンクですからね。市原さんの作品を見ていても、おもねるところっていうのが全然ない。どっちにもおもねらない。お客さんこれ好きでしょっていうこともやらないし、批評家筋こういうの待ってるよねみたいなこともやらない。市原さんは巧みに誘導している感じは全然なくて、市原さんあっちの方へダッシュして行ったけどちょっとついて行ってみようみたいな感じですね。そういう意味ではエンタメ的な巧みさみたいなものと一番遠いところで成功をしてきてるって言ったら軽すぎて失礼なんだろうけど、でも活動を継続し続けているっていうのは非常に大きな存在ですよね。


上田
今回、クリエーションでできてくるものをみながら、何かずっと市原さんのことが頭をよぎってたんです。私には強迫観念めいたものがあった。市民の人たちにあまり変なことをさせられないし安全でなきゃいけないしコントロールもしちゃいけないし、催眠的に入り込むとかだって怖いし、だから、最初に私が漫談をしている理由も、私がどういう理由で皆さんに実験をやってほしいかっていうことを説明した上で協力しようと思った人だけやってほしいっていうことでやってる、一種のポリティカルコレクトネスへの過敏さがあり、倫理観わかってない人だよなって思われちゃいけないっていう自衛もある。
だから、今回の実験室では観客を傷つけるとかショックで気づかせるようなことはほぼないですね。このアートセンターの館長の志賀玲子さんが私の実験室を見た後、ご自身がドイツでイマーシブな体感型パフォーマンスに参加した時のことを話してくれました。参加者は目隠しをして、風とか光の刺激が起こる部屋の中を、ダンサー数人に担がれて巡っていく、要は自分で動けずダンサーたちが動かしてくれるっていうそういう特殊な体験。それで、1回目は普通に服を着てやったんだけど、2回目は、おすすめは上半身裸になることですと言われたそう。ここまで来たからにはと思って上半身裸になってやってみたらセンシビリティが変わって、すごく特別な体験だったと。それを日本に持ってきてやりたいと思ってもやっぱり許可されなかったそう。
何かを体験させたいときってそこまで攻めていく場合がもちろんある。それに比べたら私のこの安心安全じゃなきゃいけないと思いつつの半端さとか、あえて人を傷つけていくみたいな要素を入れていないのはどうなのかと…


平野
ショックな要素を入れられるもんなら入れたい気持ちがよぎったりしたんですか


上田
うん。みんなでいろんな生き物のことを考えたよね、良いことだねって終わりたいわけじゃない。
会田誠の「天才でごめんなさい」っていう展覧会に行ったことあります?


平野
ないです。


上田
森美術館でやっていて、ロリコンとかグロテスクな表現にすごいクレームが来て。どれもこれも人間の目を背けたい欲望を暴くような「気持ち悪い」作品が展示されていたんですけど、展示物の物量がめちゃくちゃ多かったんですよ。漫画みたいにセリフを書いてるのもあるから読んでると半日ぐらいかかるんですよね。
それを半日かかって見終わって外に出たときに、来た時と同じ六本木の街から電車に乗ったんですけど、全く違って見えたんですよ。世界が。電車に乗った瞬間、「そうだ京都行こう」とか書いてある無個性な吊り広告とかも、私に「京都行け!いいよ京都の魅力すごいよ!電車乗れ!電車代払え!」みたいに叫んできて。こっちの「ぷるるんリップ」みたいなリップグロスの宣伝も「これをつけて男を誘惑したらどうだ、子宮の健康さを唇のピンクで示せ!男とやりたいだろう!」と私に叫んできて。資本主義の仕掛けたちが私を360度からすごいテンション引っ張ってきたんです。まさに誘導とコントロールに満ち満ちていた。
展覧会では、軍用機の屏風絵があったんですけど。グアムとかサイパンっていう日本軍が玉砕したような島のリゾート旅行のチラシをベースに貼り付けて、それが金箔の代わりに屏風に貼り合わせたみたいに見えるわけですよ。その上に、日本軍の爆撃機が飛んでる絵が書いてあるんですよ。とても抽象的で幾何学的に綺麗な絵なんですけど、でも要は私達が今、リゾートっていう文脈のもとに歴史のバックグラウンドを考えさせられないようにしてそれらの島を消費させられている気色悪さを突きつけられる。


平野
うん。

ここから先は

3,379字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?