笈田ヨシに聞く ピーター・ブルック劇団 アフリカへの旅 ー普遍的な演劇を求めてー
ヨシさんのこと
「笈田ヨシ」といえば、演劇界では伝説的存在だ。
20世紀の演劇に最も影響を与えた演出家の一人であるピーター・ブルックから深く信頼された俳優として、50年来パリに住み、世界の第一線で演技をしてきた。近年ではスコセッシやピーター・グリーナウェイらの映画への出演や、オペラ演出でも知られる。
「俳優漂流」「見えない俳優」といった自伝と演技論の合わさった著書はフランスでは演劇の高等教育機関で教材になっていて、演劇を学ぶ若者たちは皆、ヨシ・オイダの名前を知っている。
『ヨシ・オイダへの質問』というタイトルの、若者たちが笈田氏にQ&Aをするという劇場作品(?)が毎年再演されるほど、深淵で示唆に富むトークに定評があってインタヴューの依頼も絶えないが、なかなか日本語で話を聞ける機会はない。
数年前から私がフランスと行き来するようになって以来、知己を得て、和食を愛する笈田氏とお鍋やお好み焼きを囲みながら話をするようになった。演劇を正式に勉強したことがなく野生の勘でどうにかしてきた私のような者にも、笈田氏が演劇愛に溢れて語ってくださる芝居談義はいつもすっと胸に染み込むものだった。若輩者ではあるが、一度きちんと芝居について伺ってみたいという思いが強くなっていった。
そして私が演劇にまつわる配信チャンネルを開設したのを機に、今秋パリに行った時に対談をお願いして快諾いただいた。
それは有料配信での放送だったが、演劇やダンス、表現を考える上でとても貴重な考えを伺うことができたので、どうしても、舞台を愛する人々にシェアしたくてnoteでテキスト化することにした。2時間以上の対談の文字起こしは大変だったが頑張った。
演劇人だけでなく、ダンサーや音楽をやる方、観る側の方にも熱烈におすすめしたい。
いつもは有料としている配信番組報告記事だが、できるだけたくさんの人に笈田さんの言葉をシェアしたくて、本編テキストは全て無料で公開することにした。
末尾に、メンバーシップの皆さんにむけて、配信した対談動画の一部抜粋を掲載した。メンバーの方以外でもテキストを読んで面白かったという方がいれば、投げ銭代わりにそちらを購入いただけると手応えがわかって嬉しい。91歳になる名優の肉声をぜひお聞きいただきたい。
ヨシ・オイダが長い演劇の旅の果てに今感じていることを、この記事に少しでも記録できたらと思う。
〈言語から身体への回帰〉 ー対談前編ー
どうして彼らはアフリカ縦断の旅に出たのか
上田
今日もご視聴ありがとうございます。先月に引き続きまして笈田ヨシさんに、パリのご自宅から出演いただいております。こちらはお昼の1時半です。 笈田さん、素敵なストールですね。
笈田
これはアフリカで人からもらって、今までつけたことなかったけれども、今日はアフリカの話っていうので50年ぶりで出してきました。
上田
泥染めだと思いますけどすごい風格! 今日は、ピーター・ブルックが劇団員たちを引き連れて、アフリカでキャンプしながら数ヶ月の旅をして、新しい演劇の形を探したという冒険の旅の話を、劇団員として参加された笈田さんに伺うという企画で私もすごくわくわくしています。視聴者の皆さんは、劇団が旅に出たと聞くと、ツアー公演かなって思ってしまうかもしれないですが、全然ちがうんですよね?ちょっと映像を見てみましょう。
笈田
これは我々が村のお客の前でやってるところですね。 楽器を鳴らしてるのは言葉が通じないから芝居をやってもしょうがないので、声と楽器を言葉の代わりにして芝居をやった。そもそもなぜアフリカに行ったか。演劇の本質って一体何だろうっていうこと、俳優とは何か、演劇とは何かっていうのを考えるためだった。ヨーロッパでそれを研究したくても観客に先入観がありますからね、演劇っていうものはどういうもんかっていうことに対して。
ピーター・ブルックは、演劇の存在自体を知らない白紙の状態の人々の前で芝居をやってみて、そこでお客の反応を見ながらもう一度演劇って何か見直すために、アフリカへ行ったわけです。 さっき映像でご覧になったように、言葉は通じないから、「ア〜ア〜イ〜♪」みたいに声を出して楽器をトントンってやって、それが言葉の代わりでコミュニケーションをする。
上田
確かに先入観がある場所だと難しいですよね。ピーターブルックの劇団だって聞いたら、ヨーロッパの観客はもう、それだけで「なんかいいんだろうな」と思うだろうし、シェイクスピアだと言われたら、意味があるいいものだろうと思ったり。本当にそこから出てくるものだけを受け取ることが難しくなっていく。でも、演劇を見たことないけど言葉は通じる人々だっているだろうからそういう相手と実験してもよさそうなのに、完全に言葉もわからないし演劇の概念自体がわからないっていう人々のところにいきなり行くって、過激ですよね。
笈田
アフリカのお客の前で見せるために、なんか大きな段ボールを重ね合わせて、そこを家として役者が中に入ってたり外に出たりする、そんなコメディーみたいなものをパリで準備していったんですよね。現地の集落へ着くと小さな子供に頼んで、その村の村長さんに、音楽やったり、踊りやったりしてもいいかって聞いてくれってね。それらの国はフランスとかイギリスの植民地だったから、子供は英語かフランス語が喋れるわけです。 それで集会所の広場でやっていいよとなれば、そこへカーペットをひいて音楽を始めるわけです。 音が鳴るから、部落の人が、「なんだろう?」と思って見に来る。で、そのパリで用意したコメディをやったわけだけど、全然受けない。
上田
最初は用意したものを見せたんですか。
笈田
そうそう。 そしたらお客はぺちゃくちゃと喋るだけで、全然まじめに見てくんないね。もうこれは全然受けない。ヨーロッパで作った喜劇なんかアフリカでは全然だめ。 だから、ピーター・ブルックが、歌っていうのは万国共通だ、 歌は心でインターナショナルに通じるからと言って僕に「ヨシ、お前さん日本の民謡を歌え」と。それからアメリカの女優さんに「お前さんはフォークソング歌え」ってね。しょうがないから僕は「木曽の〜♩」と歌いアメリカの女優さんが「sometime~♩」と歌ったけど、これも全然受けなくて、またお客がぺちゃくちゃ。とにかく全然、我々がなにやってもお客に受けないんで、しょうがないから、ピーター・ブルックが、今度はお客さんに向かって「おたくたち何かやっていただけますか?」と。そしたら彼らは「いいよ」と。でも演劇なんて彼らは知らないから歌うんです。「hum----(同じ節の繰り返しで歌ってみせる)」と、5分ぐらい続くんですよね。ですからピーターブルックが、すいませんけど他の歌やってくださいます?ってね。そしたらまた「hum----」って、おんなじように聞こえる。それでピーター・ブルックが思いついて、手を叩くっていうのはインターナショナルでどこの国でもやるから、(俳優らに)お前たちは、手を叩きながら「あ〜〜」と歌えと。
上田
ピーターブルックが「あ〜」だけで歌えと?
笈田
はい。で、「あ」で何を歌うか困って、しょうがないから、(可愛く高く)あ〜あ〜とか、(苦しそうに低く)あーーーとか、(おどけて) あ〜〜〜とかね。
上田
「あ」だけど、いろんな感情で歌ったんですね。
笈田
そしたらお客が聞き始めた。これはしめたと思ってみんなで「あ〜〜〜」とやりだした。そしたら1人、フランスのインテリな俳優が現代音楽みたいな雰囲気で「あーー」で歌い出したんだけど全然受けなくて。
上田
インテリで最先端な「あー」は受けなかったと(笑)
笈田
駄目だった。そのときに感じたことは、モダンな音楽だけでなく民謡みたいなフォークロアな歌であっても既に、ある特定の文化という狭い中にあって、人間の本質的な広がりじゃなくなってきてる。 もうソフィスティケートされてる。「あ〜〜〜」という歌は、どこの国でもある人間の本質みたいなものでしょ。結局、歌っていうものは感情が高揚したときにそれがメロディになる。 例えばくたびれた…くたびれたーくたびれた〜くーたびーれたー♩ってだんだん内面が高揚したときにそれがメロディーになる。ソフィスティケートされる前の歌の本質っていうのは、内面の高揚なんじゃないかと。
演劇において言語とは何か?
上田
面白いですね。今それを伺ったときに、そもそも人って言語を喋るのが先だったのか歌が先だったのかっていう議論もあるのを思い出しました。先にむしろ歌だったのではないかという説もあったりするわけですよね。だって鳥って歌うけど喋らないじゃないですか。動物たちって言語は話さないけど歌ったり鳴いたりしてますよね。 だから人間もむしろ歌が先にあり言語は後から生まれたのではないかというような説もある。今のお話伺ったら、まさに、どっちが先なんだろうってちょっとわからなくなってきた。ある気持ちが、ある声というか歌みたいになり言葉になったかもしれないし。類人猿の時代の話ですけど。
笈田
だけど我々の一座がやるのは芝居だから喋らなきゃならない。ということは、例えば言葉のわかんない国へ行くと、「何か食べるものを欲しいです」とか「ありがとう」とか、言葉は通じなくても感情とジェスチャーだけで相手に通じるんだから、芝居のときだって日本語を使ったって何を使ったって構わなくて、何か体から出てくる感情でもって相手に通じるということじゃないかと。歌を歌うためにアフリカに行ったんじゃないから、芝居しなきゃなんない。
上田
ちょっと映像を見た方がいいかもしれませんね。私たち、ピーター・ブルックの話を前情報なしにしてますけれども、ご存知ない人もいるかもしれないので劇団の紹介の映像を見て、それからアフリカでの実践の様子を見たいと思います。(ブッフ・デュ・ノール劇場でピーター・ブルックが座員たちと話している様子の映像)はい、この場所は、昔、焼け落ちた劇場の内部をそのまま使ってるというピーター・ブルックのパリの本拠地だった場所です。写っている多国籍なメンバーは国際演劇研究センターの俳優です。ピーターブルックがその研究センターを1970年代に作った。今、映像の中でピーター・ブルックが言っていたのは「多国籍な共通の言語を持たない俳優たちを集めて、演劇のベースであるコミュニケーションを探っていくことにより、言語ではないもっと深遠なコミュニケーションを探求したい」ということです。ピーター・ブルックが、天才演出家として将来を嘱望されていたロイヤルシェイクスピアカンパニーを辞めて、国際的な集団を作った動機は、言語を超越するユニバーサルなコミュニケーションを探求しようということだったんでしょうか。
笈田
言語を超越というのではないね。演劇にとって言語って非常に大事だし、言語でいろいろ構築することが一番大切だけども、人間の存在っていうのは言語だけで存在するんじゃない。 つまり頭だけで存在するんじゃなくって、体全体の感情、感覚いろんなものをまとめて演劇ってものがあるはずなんだけれども、西洋の演劇ってのは、だんだん言語だけに縛られて、演劇っていうのがここだけのものに(喉から上を示す)、つまり首から上だけになってきた。でも人間の存在っていうのは首から上だけじゃなくって、言語は体全体の肉体の行為の一部であるから、まず最初に言語は横へ置いといて、肉体での相手との交流を考えようとしたわけです。
上田
なるほどです。例えば同じ70年代頃に太陽劇団っていう劇団がフランスで出てきて、そこでは言語が違う同士で喋ったりするじゃないですか。 こっちの俳優は日本語で喋ってあちらは英語で話しかけてこの人はフランス語で答える、みたいに、みんながバラバラの言語で喋って、お互いに実際には言葉がわからないんだけどわかってるていで進めて、観客のためには字幕が出るみたいな多言語の演劇を、太陽劇団ではやったりします。ピーター・ブルックの劇団では、どうやってたんですか。
笈田
最初に演劇研究を始めた時、つまりまだアフリカじゃなく西洋のお客に見せていた時は、エスペラント語みたいな創作言語でやってみた。1人の詩人が、新しい言葉を作って、皆でそれで喋る。だから、全員が共通語で話すけど全員にとって自分の言葉じゃない。 観客はそれを音でもって推察する。音と動きで見て筋を推察するということ。
上田
それはアフリカに行く前?
笈田
はい、研究センターが始まったときからそういうふうに。言葉というものはつまりインフォメーションとか考え方の渡し合いだけども、他には例えば、音楽的な美しさがある。日本でも、真言っていうのがあるけど、言葉に魔術があって、その言葉を伝えることによって、何か世の中が変わる。また、昔は「雨よふれ雨よふれ」と言うと雨が降ったっていうような言葉の力がある。言葉にはインフォメーションを交換する機能以外に、そういうものがある。例えば愛してますよって言ったところで、本当にそうかわからない。その言葉の裏にある音や何かによって意味するところはかわる。そういう微妙な人間性というものを、見ていこうというわけ。でも、最終的には結局、そういう言語の意味に頼らない演劇は一般的じゃなくて、観客はみんなやっぱりお話を知りたい。やっぱりお客がフランス人ならフランス語の字幕をつけてお話を語ってみせなくてはいけない。例えば、阿波おどりなんかだと、動きを楽しむためのものでしょう。オペラは音楽を聴く。じゃあやっぱり演劇っていうのは、物の考え方とかお話を楽しむためのもの。やっぱり最終的には、演劇をやる場合には言葉が非常に大切であるということは我々も認識したんです。ただその言葉の本質を探るために、存在しないアブストラクト(抽象)の言葉を使ったりしていろいろ研究していたわけです。
上田
なるほどです。 面白いですね。 エスペラント語みたいな独自の劇団言語みたいなものを皆さんで共有して、自分たちは意味をわかっているけど観客の方は意味がわからないから意味以外のものを受けとるという演劇。でもその方法をずっと続けたわけじゃなくて、言語を捉え直すためのステップでそれをされたと。
笈田
シェイクスピアもお話が素晴らしいけれども、例えばto be, or not to beっていうハムレットのセリフは、みんな知ってますよね。別にその意味が非常に素晴らしいからっていうわけじゃなくて、音が聞いてて面白いからだと思う。シェイクスピアも言葉の意味や哲学だけじゃなくって、音で聞いて楽しい言葉を選んで書いたんじゃないかと思いますよね。だから戯曲には意味とお話と、それから言葉のエネルギーていうものが含まれてる。 だから単に言葉の意味だけじゃなくって、言葉のエネルギー、言葉の美しさっていうものを伝えなければならないぞっていうのは演劇の本質であるということは我々も認識してたわけです。
いろいろな身体で「愛している」と言ってみる
上田
ヨシさんと私はここ数年よくお話していますけど、今みたいな話は初めてちゃんと伺いました。でもすごく面白いな…やっぱり「愛してるよ」って言えば、愛してるよという意味だと脳は記号として理解しますけど、ただ、その音色とかそれを発する身体とか口の中っていうものが発する何かで、そこにどれだけの、体から出てくる「愛してる」っていう感覚が本当にこもっているかみたいなことも一緒に音の中に聞こえてくるっていう、記号よりそっちを大事にしなきゃいけないっていうそういう話なんでしょうか。
笈田
例えばさ、「愛してる」ってセリフがあるとして、こうやって力を入れて(肩に力を入れて力んで見せる)、こういう体になって、それで「愛してるよ」ってセリフ言ってみてください。
上田
え、こうですか?(ガチガチにこわばって詰まった声で)愛してるよ。
笈田
はい。 それから今度はこうやって広げて(脱力して腕を広げる)、同じこと言ってみて。
上田
(リラックスして)愛してるよ。
笈田
ね。 そうすると、言い方が体の姿勢によって変わる。
上田
気持ちも変わりますね。こういうガチガチの状態で、今はただ指示されたからそうやって「愛してる」と言いましたけど、その体の感覚から、これってどういうシチュエーションでどういう相手に向かって言ってるのか、想像が広がった。体はこの状態でこの言葉を言う、と、ただ二つを無作為に組み合わせただけで、きっとこの感じでこの言葉を言う人物はこういう感情だろうとかこういうシチュエーションなんだなっていうのを後から感じる。
笈田
だから結局、台本もらって、愛してるって言うんじゃなくって、まず最初に、人間の身体。言い方なんて別にさ、どうやって言おうと思わなくっても、こうやると(上半身に力を入れて見せて)なんか緊張した状態になるし、こうやって非常にリラックスして、とか、 そういう体のポジションによって言葉が出てくる。セリフっていうのはどうやってうまく喋るかじゃなくって、セリフの元は、我々人間の内面のエネルギーとか状態でその結果としてセリフが出てくるんであって、セリフが第1の目的じゃない。 そんなことを、アフリカみたいに言葉がわかんないところでやってると、感じてきた。つまりそこでは、我々がこうやってただ「愛してるよ」って言ったところ駄目で、「愛してるよ(優しく)」とか「「愛してるよ(心配そうに体を引いて)」って言うと、お客に何かが伝わる。ということは僕がその言葉の中に生きてるっていうことだと思うんですよね。
言葉の牢獄と身体の抑制
上田
ピーター・ブルックは18歳で演出家としてデビューして、すぐにロイヤルシェイクスピアカンパニーっていうイギリスの最も権威ある劇場に史上最年少で迎えられ、若くして一度業績を残した後に40代で、何か違う、これは1回全部変えなきゃと思って、パリでその国際演劇研究センターを作ってヨシさんたちを集め、そういった実験を始められたんですよね。パリに来てアフリカだったり東洋だったり、西洋的な文脈ではない世界のいろんな儀式みたいなものなんかを研究しながら表現するっていうことの本質を探求しようとした。今ヨシさんから伺ったような、言葉には、記号的意味だけでなく身体のエネルギーが奥にあるみたいなことっていうのは、ピーター・ブルックは何がきっかけでそれにフォーカスしていったんでしょう?イギリスでシェイクスピアというクラシックをやりながら、だんだんそうなんじゃないかと思うようになって、研究所を開かれたんですか?
笈田
どうなんでしょう、聞いたことないけど。何が理由でそのことに気づいたのか。ただ、つまり演劇というものが今から50年や60年前にすでに、こっからここまでの(頭頂から首を示す)営みになってたから。
上田
フランス語でよく言うところのセレブラル(cérébral)というやつですよね。cerveau=脳、で、主知的というか頭だけで考えたものというか。
笈田
そういう風潮を感じたから、もうちょっと人間存在全体の演劇として作ろうとして国際グループを作ったんだと思います。
上田
西洋のロゴス重視の創作…つまり議論して全てを言葉で整理して理性的に作る演劇ではなくて。
笈田
言葉のプリズン、檻、言葉だけに閉じ込められてしまうんじゃなく。たとえば、日本人が言う「腹の探り合い」みたいに、つまり言葉の探り合いだけじゃなくて腹で付き合おうというような人間の付き合い方がありますよね。だから日本人が「こんにちは」っていうときにこうやる(会釈してみせる)ということは、その体に込められた気持ちと言葉の意図が重なってる。そこがいいんだよね。西洋では(顔を見たまま)「こんにちは」って握手するけど、もう体の生活感や感情と、言葉は関係なくなってるわけじゃない?日本人は「こんにちは」って頭下げることによってつまり心持ちを体で表現する。 でも西洋人の心持ちとジェスチャー(握手)とはくっついてないわけ。
上田
まあ、握手は自分の心を表現するポーズではないですね。相手と友好を結ぼうという(武器を持っていない証拠に手を握るという説も)、別のツールとしての体の使い方なのかな。
笈田
だから日本人には音楽の指揮者にいい人がいる。体で音楽を表現して、オーケストラに伝達するのが上手い人。
上田
なんか意外です。 日本人って喋ってるときのジェスチャーとか手振りが少ないじゃないですか、手振りとか体での表現が少ない民族だと感じてました。一方、セレブラル(頭で論理的に考える)ではなく言語で表現することも少ない民族だというのもすごく感じてて。やっぱりヨーロッパの人たちってすごい頭でっかちで、言葉で全部言うのをよしとしていて、演劇もすごくそう、「演説」みたいな演劇を好むじゃないですか。 日本人はそうではない。何か言葉にならないところで生きてるっていうのが良くないとこでもあるけれども一方で美点だとも思う。たぶんピーター・ブルックはそこに惹かれてると思うんですけど。ただ私としては日本人が身体表現で感情とか物事を伝達するのが上手いっていうのは思ってなかったです。
笈田
だんだん教育が進むと、(背筋を厳格に伸ばして微動だにせず)じっとしてこうやっていた方が立派であるとかさ、感情を表現しない方が偉い人だとかっていうふうになっていった。いわゆる人間の自然なバイタリティというものを殺すことによって何か立派に見えるっていうそういう段階を日本人も踏んできてますよね。
上田
そうですね。感情とか身体っていうものから離れて、静的に理性的でいるのがいいんだっていう価値観の流れが西洋ではありましたね。既にギリシャ文明の時代から、人間っていうのは他人を説得したり演説するときに感傷的に歌うように節をつけてはいけないし身振り手振りを大袈裟にやってはいけない、そんなやり方はアジア人(当時はペルシャなどのオリエントを指す)みたいだ、とか中傷してたらしいんですよ。だからもうそこから既に、西洋では、先進的な人間の状態として身体を抑圧して話すっていうのをやり続けてきたようで。それがどうも演劇の世界にあとで持ち込まれたようです。フランスで持ち込まれたのは18世紀ぐらいらしいんですけど、教育の一環として弁論術の練習に演劇を取りいれたところ、演劇の方が逆に弁論術の影響を受けて、感傷的じゃなくてしっかり理性的にやる演劇じゃなきゃいけないみたいになったって聞いたんですよ。 だから今の話に戻ると、 日本でも西洋のそういった価値観をだんだん内面化していってるのかな。日本では明治時代に開国によって西洋の演劇を知って新劇が始まるまで、芝居というと歌舞伎、つまり「歌」や「舞」でやる身体的でオーバーなものでしたよね、ずっと。
笈田
ダライ・ラマの演説ってご覧になったことある?
上田
ないです。
笈田
チベットのダライ・ラマね、あの方は喋るときにワーッてもう本当に手振りをいっぱい使ってね。あれ見てると、何か非常に人間的に解放された方に感じる。つまり、他の人は立派な人に見せるためにわざとこうやって(体をまっすぐきちんと座ってみせる)みんな演技してるわけだけど、そういう見てくれとか、演技とかっていうことから本当に自由になればダライ・ラマみたいにこうやって(体を活発に軽くうごかしつつ)話すようになるんではないかと思いますよ。
上田
なるほど、子供のときとか喋るときは動き回って喋ってるけど、だんだん、ちゃんとしてくださいって社会から要請されますね。他にも、走っちゃいけないとか、道を歩くときは二列でまっすぐとか。
笈田
我々は文化によって締め付けられて、こうしちゃいけないってことがたくさんある。アフリカの人たちってのは割合とそういう決まりがないから自由でしたよ、体が。精神疾患とかにかかる人も少ないんじゃないかと思う。解放されてるからね。だけど、現代の人たちは社会のシステムの中でこうやってさ、身体を決められて、ものの考え方も決められて、身体が制限されることで感情もすごく広がらない。
上田
深いですね。岡田利規さんの演劇だったらこうしながら(ぶらぶらと腕を動かす)喋ったりしますけど、なんでそういう実験をしてたのかなっていうことも今ふと想起されました。
どうして感情的に動いて話すとかいうことが敬遠されるようになっていったかっていうことについて、最近知った話ではありますが、古代、青銅器時代とかには王様は歌うように節をつけて命令していたらしいんです。抑揚つけて、「皆の衆〜これから◯◯を攻撃せよ〜♩」みたいに伝える方がよく伝わったらしいんですけど、時代が進んで青銅から鉄の時代になり、戦争の規模が変わった時にこの伝達方法が変わったという説があって。青銅器時代には戦車を持ってる王族とか貴族しか戦力にならなくて、戦争は少人数で王様自身の指図のもとにやっていたんですが、鉄の時代には鉄器は青銅よりも大量生産されて大勢に行き渡り、戦争での歩兵の重要度が上がった。歩兵たちもみんな戦力になって、王様の声の届かない範囲にもいる歩兵たちは自分たちの中で話し合って行動を決めないといけなくなった。王様の鶴の一声で今日はどこどこ攻めるぞと言ってみんながただ従ってればいいんじゃなくて、王様は遠くにいるから今日の作戦は自分たちである程度話し合って決めないといけなくて戦場でそれぞれの個人が影響力を持つようになり、話し合いの場においては、トップダウン的に歌で相手を圧するというよりも、民主的というか合議制というか冷静に議論することが必要になり、そのために淡々と話すのが主流になったっていうのを最近聞きました。
笈田
うん、僕は子供時分に、親父が本を読むとき、「そのーとーきーサスケは〜敵にむかってー戦ってーいたーのでーす〜」って抑揚つけて歌うように節つけてて。なんか子供心に、親父が読んでると「プリミティブだな」って。もっと淡々と読むほうが偉い人みたいに見えるのにって。
上田
賢そうみたいな。
笈田
うん。
上田
なるほどです。私達は、それが冷静で賢そうだ、偉そうだっていうふうに、文化と教育の中でそうやって身体をだんだん失ってきたのですかね。
笈田
身体的喪失ということは精神も喪失してるわけですよ。
上田
本当ですね。精神って頭の中に独立して存在して私達の体に命令してるんじゃなくて、身体の活動の上に生じてくるものですよね。 まず先に身体の状態があって、精神はそこからモワモワって醸成されてくるようなものなのに、私達はなぜか先に精神があってそいつが体を律して全部ちゃんと命令してくれるみたいに思ってるじゃないですか。でも本当はそうではないっていう。
今、話がどんどん盛り上がってしまったけど、ちょっと映像もいくつか見たいですね。アフリカでこういったテーマを演劇において解決するべくどういう実験をされたのかという。最初に、モノを使う実験があったと思うのでそれを見たいと思います。(ブーツをめぐって二人の俳優がマイム的に演技をしている映像)
身体の動きで接続する大きなエネルギー
笈田
でこれは長靴、ブーツを履くことで女性が変わっていく場面。ブーツを履けるのは、現地では金持ちという意味もある。
上田
ピーター・ブルックが言ってるのが、「言語が通じない文化の人たちとコンタクトするためには自分たちは常に具体的なシチュエーションとか物を使うようにした、特に日常的な身の回りの品みたいなものを使うのが有効だった。ある日、女優の1人がブーツを見つけてきてこれでやったらいいんじゃないかって言ってそのブーツを使った即興の動きをすると観客はすごく入り込んだ」と。
あとはですね、これは現地の人たちの儀式に座員たちが飛び入り参加したもの(儀式に参加して踊る座員たちの映像)
この旅は、観客に出会いに行く旅だったのだと思いますが、ピーター・ブルックによれば、そうすることによって自分たちの普段の演劇の構造というものから出て自由な構造に至ることができた、と。そのために現地で行われてる儀式や祭祀に一座が参加して現地の人たちに混ざってパフォーマンスしてみるっていうのを結構やったんでしょうか?
笈田
はい。
上田
アフリカの旅ってのはものすごくハードだったけど、俳優の集中力とか、身体のエネルギーを養うっていうことが目的でもあったのですよね。これはワークショップをピーター・ブルック自らが座員たちに提供している映像ですね。あ、これヨシさんですね。
笈田
みんなで肉体の訓練してますね。肉体のエネルギーと、生命のエネルギーの関係っていうものを絶えず考える。つまり、我々は得てしてその肉体の行為と中の生命力というものを離してとらえてしまっている。だから自由が失われてるわけ。
(映像のアフリカの旅の情景を見ながら)アフリカの人の踊り見てると、踊りって、要は人間が(体を浮かれるように動かして見せつつ)嬉しいな〜あははは〜っていうその開放感、それをやること、それから体を動かすことに対する喜びだって感じる。そしてそれがだんだんとアルコールとかタバコみたいにいい気持ちになる。ふらーっと。日本でもこうやってやると(動きを示して)、だんだんといい気分になる。ただ日本人っていうのは行儀がいいもんだから、タンタタンタタンっと決められた踊りになってくる。 でも元は、(動きを示して)なんかこうやることによって気分が高揚する。だから沖縄でもまだこういう踊りがありますよね。開放感、いい気持ちになるような。ただ阿波踊りではタンタンタンタンって、もう形になってしまう。アフリカでも、ここから動かす(背骨をくねらせてみせる)ことによって、背骨が蛇のように動く。 そうすると、ご存知のように背骨の中には神経がずっと脳から続いてるから、こうやることによってその神経の交流が良くなっていい気持ちになる。と同時に全体に「気」が回っていく。だから、それが踊りの元ではないかと思うんですよね。それともう一つは、我々年取ったら腰が硬くなるんだけど、(腰をくねらせて)こうやることによって、腰の痛みがとれる。だからセルフマッサージ、そういうところから動きが結果的にはセレモニーになって、お祝いのときにそういう動きによって、見えないものと繋がっていく。ハイになる。うわーっといい気持ちになる。 だから、こうやっていい気持ちになって、現実の生活から何かもっと大きな宇宙のエネルギーと交換するために動きをやる、そういうことが踊りの根源だったんじゃないかと。美的な芸術的なダンスになる前の人間の体のダイナミズム、体内のエネルギーと身体の混合、そういうものがあったんじゃないかな。日本では寺社でお坊さんが南無妙法蓮華経っていう代わりに、彼らはドラムを叩いて動くことによって神と通じる。こうやってさ、やるわけですよ(動いてみせる)。
僕はアフリカで神社…テンプルというのか、アフリカの寺院に仲間と招待されて、能楽の翁の踊りなんかは神様になるから、お前もそこで神様になれって言われて普通は部外者は入れない寺院に連れてこられたんですよね。日本でもそういう踊りがあるだろうって。翁とかそれから三番叟とかね。お前さんも神様に拝めって言われて。だけどアフリカの神様の前で能をやるわけにもいかない。しょうがないから僕は、木の芽が出て、大きくなって枝が出てきて広がっていくっていうことをやろうと思ってこうやって動き始めたら、ドラムがなるわけですよ。ほいでだんだんだんだん、自分が舞うんじゃなくてドラムが僕の体を動かしてくれるからね、だんだんこうやってさ(動いてみせる)、そして踊り終わったら、そこの人たちに「お前さんも神様になれましたね」って言ってもらえた。つまりそういうふうに体でもって神になるということは、あらゆる日常的な雑念を取り除いて一定の大きなエネルギーと身体によって繋がっていくこと。それを自分1人でやるんじゃなくって、ドラムの力によって連れていかれる。ドラマのリズムと皮の音、それと人間の体の交流、それによって自分が違う次元に移ることができる。 そういう体験をさせてもらったんですよね。
上田
体から出てくる動きが魂と結びついてるみたいな感覚っていうのを私達はだんだん文明の檻の中で失ってるんでしょうか。その話を今聞きながら、なんか腑に落ちたことがあります。
昨年、私がブッフ・デュ・ノールの稽古場で小さなクリエーションをした時にヨシさんはちょっと覗きに来てくださって。そこに参加してたダンサーとか俳優の人たちにワークショップをしてくださいましたよね。私が昨夏に城崎で試した「プネウマ」ていうっていうプロジェクトの準備段階として、人間が植物とかバクテリアの状態を手に入れるにはどうしたらいいかっていう不思議な実験をパリで俳優を集めやってて、私は一生懸命論理で考えて哲学書とか読んで、植物の状態について皆で話し合ってやってたんですけど、ヨシさんが登場してしばらく見ていたかと思うと、「ちょっと僕がワークショップやっていい?」って言ってくださって。それはヨシさんが言葉で、腕が重くなっていくとか、体がどういうふうなことを感じてきますみたいな指示を出してくださってそれに合わせてみんながいろいろ動くっていう小一時間のワークで。別に何を表現するじゃなくっていろんな体の状態を味わうみたいなワークショップをしてくださったときに、ある俳優の方が泣き始めて、私は理由がわからなくてびっくりしたんですけど、そしたらその人いわく、最近、日々の中でほとんど身体を動かしてなかった、体を感じたのが久しぶりで涙が出てきたっていうようなことを言ってて。私としては、それで泣くとは特別に敏感な人なのかなと思った。でも今、こうして聞いていると、私達はすごく重要なことを日々の生活に追われる中で喪失してて、その人は、それが戻ってきたこと、 その身体と魂の結びつきが戻ってきたときにそれがわかって感動したのかもしれないですね。
笈田
体がどれだけ文化、道徳、社会のモラル、それから親たちから伝えられるような人間がこうあるべきだっていうコードによって自由を失っていくか。赤ん坊のときはすごく体が自由だけども、学校に行き出すと知性の発達によって体の自由を失っていく。知性なしでいいかって言ったらそれはだめで知性も必要だから、どうやってバランスをとるか。どうやって身体の自由を得ながら、しかも思考の発達がうまくいくかっていうことが大切なんではないかと思う。 体だけ自由でいたって馬鹿みたいになっちゃうし、あんまり思考だけ重視しても体が不自由になる。盆踊りなんかも本当は、もっと体が自由じゃなきゃいけないのに、だんだん決まった型になって、自由を失う。 うん。 やっぱり洗練されるということは自由を失っていくことなんじゃないかと思いますけどね。
〈アフリカで芝居をしてわかってきたこと〉 ー対談後編ー
即興の集中力
上田
皆さんと一緒に見たい旅の映像で、現地の人たちと一緒にインプロビゼーション(即興芝居)をやり始めるっていうシーンがあります。この旅の中でだんだん俳優たちが異文化の人々とコミュニケーションする柔軟性が高まっていってるっていうのが映像だけでも見て取れる。最初の頃、用意してきたものを見せますっていうのでやってたものが、だんだん観客から出てくるものに応じて出すものになり、しかもこちらが何かやることで今度は観客たちもやり返してくるみたいになって、そういう手法に慣れていってる様子が面白かったんです。その映像の前に、私が個人的に面白いなと思った生活風景も見たいと思います。 (映像で、アフリカのキャンプでの生活風景を見ながら)これは蚊帳をつって寝る場所を準備しているんでしょうね。これは食事風景。
笈田
(食事に黒山のようにたかる虫の映像を見ながら)これ蜂がいっぱいいたところです。
上田
すごいですね、この中で食べるって…。人間同士の異文化の出会いも面白いと思うんですけど、人間と自然の出会いというか、こういう人間が自然を排除できないような状況って、動物としての人間の根本にある状況じゃないですか。町なんか歩いてたらこんなに虫が幅をきかせているところに入っていくことはないですけど、でも山道とかでちょっと脇道にそれて、ほんの数十メートルも道なき道に分け入っていくだけで、そこは人の普段入らないところだから、すごい羽虫とかブヨがウワーって見たことがないぐらい密集して大きい塊になって飛んでいるエリアがあって、そこに私が突入しても全然人間のこととか気にせずババババって暴走族のようなすごい羽音に取り巻かれるときがあるんですよ。 ちょっと脇道に入るだけで、自然たちは、こんなに人間を気にせずに乱暴に、私のエリアとか気にしてくれないでこっちに来るっていう。それぐらいに本当は自然って人間なんてお構いなしなのに、私達が人工的にそういったものを排除した自分たちのバリアを作ってるっていうことがあって、でもこうやってアフリカに行った結果そういうバリアすらもう取り払われるんじゃないかなと。
(映像で、俳優が即興で子供たちと芝居をしている様子を見ながら)話を戻して‥映像を見ると、旅の後半ではかなり現地の人たちを観客として惹きつける芝居をできるようになっていってる感じがありますが、この続きにさらに面白いシーンがあって、最初に映像を見た時に本当の喧嘩だと勘違いしたんですが…
笈田
これね、一座が、村の男性から「うるさい」って怒られてるところ。「俺らの村は今こんなうるさい騒ぎはいらないんだ、出て行け、黙れ」って言われてるんですね。
上田
村の人が即興に加わってきちゃったんですよねこれ?でも怒り方が演技と思えないすごいリアリティ…ある意味めちゃくちゃ上手いですが…
笈田
そうそう。 彼が出てきてやり始めた時、本当に怒ってると思ったら芝居だった!その時には、彼は、芝居っていうものが、なんか怒ってる「真似をする」ということだと理解していた。
ちなみにある日、ピーター・ブルックは集落の人に、何を見たい?って聞いたんです。すると彼らは、我々はとにかく毎日ゲラゲラ笑ってる、だから別にカーペットの上で可笑しいことを見る必要もない、と答えた。
我々としては、即興劇をやるときに、笑ってもらったらお客に受けてるってわかるから滑稽なことをやる。結果的にはそれは我々とって安心だけども、お客にとっては見たいものじゃなかったのか?って。はい、では、彼らは何が見たいって言ったと思う?
上田
(悩んで)えええ…あ〜。エッチなものとか?違うか(笑)
笈田
怖いもの。
上田
怖いもの?
笈田
だからつまりホラー映画とかさ、スリラーとかドキドキするもの。 ドキドキして怖いものが見たいって。
上田
ほ〜!
笈田
けどさ、怖いものは難しいよ。即興でやるのには。
上田
でも彼らには笑いだと珍しくないんですね。暗いものとか幽霊とかの方がめったに出会わないから珍しい。
笈田
そうそう。
上田
どうやったんですか、そのリクエストに応えて?
笈田
いや怖いものってうまくできなかったね。でも、旅の終わりには、俳優2〜3人いれば、言葉が通じなくても即興芝居で40分ぐらいはお客に黙って見入ってもらうことことができるようになった。
天地をつなぐ橋としての背骨
上田
今回、ヨシさんからご自身のスナップ写真をご提供いただいていて。それもちょっと(視聴者に)お見せしたいなと。
笈田
これはサハラ砂漠。砂漠は、 お客さんもいないから芝居やれない。
上田
まあ確かに…
笈田
ご覧のように、見えるものって言ったら、フラットな大地と空だけなんですよね、何もない。
ただそよ風が吹いてて。そしたら自分なんて大地と空の間でチリみたいなもの。自分って存在は一体何だろう。天と地の間で、昔々イエス・キリストとかマホメットとかそれからお釈迦さんとかが、背骨をまっすぐにして座って、そして何か真理を発見したという。僕も真似してみようと座って、背筋まっすぐにして。僕は至らない人間だからキリストみたいに真理は発見できないけれども、だけど、天と地の間に垂直に座っていることによって、何か自分が天と地にかかる橋…天地人っていう言葉があるように、何かそこで人間っていうものも、天と地の間に存在できる気がした。 うん。垂直になると自分が初めて天と地の間に存在することができるたような気持ちになった。
上田
それも、背骨を垂直にするっていうその体の感覚から出てきたんですかね。
笈田
そうそう。初めて自分の存在っていうのを感じ、それでなければ、天地の間にホコリのようにプラプラしてるものにすぎない。
たまには自分の存在っていうのを確認するために背骨をまっすぐにするといい。人間っていうのは自由であると同時に、何か一つの存在として、天と地の間を結ぶ背骨があるんじゃないかと。自己存在の確認っていうのは、あっていいんじゃないかとそのとき思った。
「第3の存在」を介する役者と観客
上田
いやー、ピーター・ブルックが大変な資金もリスクもかけてこんな場所に大勢を引き連れていったっていう行動力は、やっぱり70年代というあの時代のすごいエネルギーっていう感じがしますね。
笈田
まあ、やっぱりそういう過酷な旅をやってる間は(快適な生活から離れて)嫌だけども、終わったら、いい経験ではあった。芝居というのは、舞台で相手役と交流して、その交流をお客さんに見せるのが芝居だけども、そこでは役者間の交流は、「第3の存在」(天空を指差しながら)にバイブレーションで響き渡る。そのバイブレーションを今度はお客さんが感じる。だから役者同士の関係とお客さんの直接の関係じゃなくって、(天にあるような)「第3の存在」を介した関係。 何か目に見えない大きなエネルギーというものをお客さんと一緒に感じることが、本当の意味での見世物、芝居でありダンスでありなんかそういうものであるっていうこと…アフリカで、ツーリスト用のダンスを見たり寺院でお坊さんが踊るの見たりして、感じたのはそういうことだった。だから、自分はショービジネスをお客に見せるけども、それは我々がどうやってうまくやれるかっていうことをお客さんに見せるんじゃなくって、我々が一緒に何かやることでもってお客さんに何か見えない「第3の存在」を感じていただく役目をするんであるということを、発見したというか感じた。それはもう我々が上手下手とか、お客さんの拍手とか成功とか有名になるとかっていうことと関係なく、ただ我々がお客さんをそういうところへお連れする、うん。 そういう役目じゃないかなんて思ったのはやっぱりアフリカでそういう生活したおかげだと思ってます。
だから結局ね、お話がつまらなくても構わない、役者が下手でも構わない。極端に言えば。 要は下手な芝居でも、それ(第3の存在)を感じていただけることがいい。バリ島で、お寺で地元の人が踊ってるのを見てると、みんなやっぱり政府の人に比べて下手だけども、彼らは自分が成功するためにやってるんじゃなくって自分たちが好きで踊って、そしてお客からもらったお金はお寺の神様に納めるお金である。そういう、目的が自分の成功のためじゃなくって、神様のためだっていう、そういう出し物を見たときには、西洋のダンサーの踊りと違う楽しみがある感覚がある。なんか心の洗濯したみたいな。うまいなって感心はしない。けれども、そういう出し物もあっていいんじゃないかと思いますよ。
上田
日本で言うと例えば神楽とかは今おっしゃったような状況がはっきりしていて、天に向かって奉納している舞を人々は横から見ている。 能の起源の田楽っていうのも畑で豊作への祈りをスピリチュアルな存在に対して向けたものですよね。出し物を観客には向けてなかったはずです。 そういうことですか?おっしゃっているのは。
笈田
というよりも、東北で平生は畑仕事をこうやってやってる(農作業の身振りをする)。それを週にいっぺん神様に奉納する。平生の労働の動作でもって、何か自分たちの生の喜びを神様に捧げるっていう形でやってたんだけど。そういうもののこと。
一方、神楽では、世の中には善と悪とがあって、その悪というものを鬼として表して、神様がその鬼を追放していくぞ、ありがたいですね、ということを、神社に来てる人たちに見せる場合がありますよね、神社の場合には、神の力というものを、ヤマタノオロチを殺したりなんかすることによって見せて、お客様に神のその偉大さを見せる。神楽はそういうことを表現してるんではないかと僕は思ってるんですけれども、ただそれも、自分がいい演技をするっていうよりも、その神様のエネルギーがこうだよっていうことを語る。 だからやっぱり演者にとってはそこに何か一つの別の第3の存在があるっていうことを意識してやる。 それから奈良の春日大社でおん祭って12月にありますけど、かつて全国の旅役者が集まって、芸能や時にはお能を舞うのに、お客に向かって舞うんじゃなくて神様に向かって舞う、だから、お客さんは役者の背中見てるわけ。だからそういう意味で純然と、自分の芸能というのを神様に捧げるという形もありますよね。
長い旅の結末
舞台での存在感になると、これはやっぱり一番はアフリカ人の役者ですよね。ミュージカルなんかで白人のダンサーが踊ってるところに後からアフリカ系の人が出てきて踊ると、そっちの方がふわっと魅力がある。
これは何でしょうね。さっきも話したように、アフリカの人は「体」でっていうことを、まだ知ってるからなのか。 日本人は植物的というか菜食主義者みたいに見える。なんでなんでしょうね。 ただ僕は宝塚の男役と歌舞伎の女役が好きなんだけど、もう全く豹変してみせる化け切る素晴らしさがある。西洋では化け切るってことは絶対できなくて、いつも自分がいる。でも、日本人がやる歌舞伎とか、お能とか宝塚の男役ってのは化け切る。 その化け切る腕っていうのは、これは東洋の芸能の特徴じゃないかと。ただ化け切らないでそのまま出た場合にはなんか日本人は負けちゃうっていうか存在の力が少ないと思います。
上田
傾向の違いの理由がわからないですけど興味深いですね。日本人は完全に仮装して作り込むような様式があるものに強くて、アフリカ系の人たちなんかは自身の存在の力で勝負するみたいなものが得意っていうことなんでしょうか。
上田
日本ではそろそろ夜も深いので最後に伺いたいんですが、この旅の結末はなんだったんでしょうか?以前に伺った記憶があるのですが、NYでピーター・ブルックが帰還公演というかこの旅で得た方法で作品を作って発表したら、酷評されて大失敗だったと。
笈田
結末はないよね。 結論は出ない。ただ、我々はどこまで自分たちの「常識」でもって物を作ってるか。 根本的な人間の存在意識や存在のエネルギー、存在のあり方っていうことから、芝居を作ってなくって、みんな何かある意味での了解の上に甘えてそこで構築していく。 ですから、芝居を見てても、「あ、根本的に人間ってこうなんだ」っていうんじゃなくてもっとこう文化の上に成り立った全てのことであって、何か人間の奥深くその人間の生命力、感覚、喜怒哀楽っていうものが花咲く舞台ではない。それをどうやって見つけていくか、文化とか、今までのなあなあの了解のうちに成り立っているものではないところで、物を作ることに面白みがあるんではないかと。つまりあまりにもみんな、現状の了解の上に甘んじていてね…
上田
耳が痛いです。今は情報も多いからたくさんのものを見て、いろんな文脈とかコンテクスト、演劇ってのはこういうものだっていういろんなパターンが脳にインプットされているから、そこから探すだけである程度作品を作れてしまう。まず私がいろいろ感じていることがここまで下がって(丹田のあたりを指す)ちゃんと何ていうかその源から出てきたものを、それらの多彩な形式を駆使して表現するのができていなくて、まずいろんな形式があってそれをどうチョイスして見せるかみたいな発想にどうしてもなってしまいますよね。だから耳が痛いですね。
笈田
つまりこんな絵(壁にかかった絵を指す)でも、文化の上に成り立っている絵であって、一方、アール・ブリュットっていうのは絵を描く喜びだけでやってるからそこに美しさや強さがある。だからといって文化上に成り立ってる絵を排除するんじゃなくて、そういう絵を描く時も根源はここにあるぞというところをちゃんと感じて作ることが大事。
上田
そうですね、生き物として湧いてくる衝動と欲求とか感覚っていうものがまずあって、その次に、これを表現したいからこの様式を使う、という順序なんだろうなと。
笈田
様式とか珍しさだけに頼って、今までこうだからそれと変えてこうやって見せるといいんじゃないかとか思って作ったりするけども、なんかお腹の方へ落ちてくるものっていうのはやっぱり、アフリカで手を叩く、あ〜あ〜と声を出して喜ぶ悲しむっていうような非常に現実的なことで、そこを根底としなければいけないんじゃないかと思う。だからアフリカでそういうことをやったおかげで、僕は無意識のうちに演技するときにも何かそういうところっていうのを自分で触ってることがあるんじゃないかと思います。もう一つは、40分間は即興でできるって自信がついてくると、舞台でこうやらなきゃいけないっていうことがなくなる。 今日はこれでいいじゃないか。 明日はまた明日で、昨日は昨日というその流動性みたいなものっていうのは、出てきますよね。だから舞台で自由になれる。
上田
俳優自身の生き物としてのエネルギー、魅力っていうのを常に舞台で出せるようになるから、それだけで場がもつというか、怖くないんでしょうか。意味のあることを言葉で言っておかないと場面の意味がなくなるかもっていう不安がなくなって、既にその人がいるだけで場が成立できるみたいなことがたぶん、40分間は即興でも何とかなるっていう修行の効果なのかも。舞台の上で「存在する」技術というか、どういう状態であるのが舞台で役者が存在するのに最適な状態なのかっていうのを多分みなさん鍛錬されたんだろうと感じます。
ただヨシさんたちはアフリカに行けたから、そこで体感的に理解されたわけで、なかなか今の社会で、動きも決められていて、道で踊っても歌っても変に思われる社会でうまく生きる中では、肉体と魂が分離したり、お腹の方に落ちてくる現実的な感覚は低下していく気がするし、どうすればいいんだろう。
笈田
なるほど社会自体がね、うん。 インターネットだけ見てて満足できるし、冷凍食品買ってあっためて食べるとか、なんかそういうふうに便利になるだけ人間の生活感っていうものも、薄っぺらになる?生活の難しさ、厳しさ、具合悪さっていう便利でないところから(身体がよく意識される)…。ですから作品作るのも、うまくチョロチョロっと便利に作るんじゃなくって、不便にね。
上田
はい。耳がいろいろ痛いです…!非常に勉強になりました。今日のお話は絶対に書き起こして永久保存すると決意しました。後で振り返りたい大事なお話がいろいろありました。私も今いろんなことを並行してプロジェクトを進めてますけど、どれに対しても、お話伺いながら、そうだ、こうしなきゃ、みたいな気づきやひらめきがたくさんありましたよ。
この対談は、舞台をやる人や観る人たちにシェアしたいなと本当に思いました。ヨシさんはフランスでは色々話されてますけど、日本人の若い演劇を志すような人たちが聞いてもなるほどって思うようなことがあると思うんです。今まで、なかなかそれを日本に届けるっていうことができなかったと思うので、これを機に届けたいです。
笈田
上田さんなら、いろいろわかったぞって言ってくれるけども、そういうことに興味を持ってくださる方が日本にもたくさんいるといいんですけどね。
上田
いると思います。 これから広めていきます!ヨシさん、長時間、貴重なお話をありがとうございました。
笈田
どうもおやすみなさい。いい夢を。
◯対談の動画バージョンはこちら。冒頭無料配信。
このインタビューは2024年11月3日に行いました。いつお会いしても、舞台というものの愛おしさを再確認させてくれるような笈田ヨシさん。
後記として、上田が感じる笈田ヨシさんの不思議なパワーについてと、冒頭に書いたとおり、配信動画の数分の抜粋を掲載します。
ご興味のある方、記事が面白かったよという方は是非ご覧ください。
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