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いしばしコモンズとコモン

大阪の石橋にある不思議な空き家で、人生で初めて生配信をした。
私は配信初心者だし、緑のちゃぶ台といい、視聴者の方から見ると素朴な状況に見えたかもしれないけれど、撮影現場の写真をご覧いただけば、プロ仕様のカメラやスイッチャーなどかなり本格的な装備であることがおわかりいただけるだろう。

私がカメラマンを雇ったとかレンタルスペースを借りたとかではない。
全て、このスペース「いしばしコモンズ」の管理者である菱田伊駒氏が呼びかけて、そのパートナーの菱田岬氏、撮影担当の西川誠一・利子氏や遠隔からテスト動画チェックを手伝ってくれた岡山大の川野惠子氏など、最近まで私を知らなかった(宝塚もよく知らない)人々が、対価もなく場所を提供し機材を持ち寄ってオペレーションしてくださった。
数ヶ月前にたまたまた出会った人々である。
費用を聞いても、いつか出世払いで、というばかり。菱田氏は、何も要らないけど、じゃあもしいつか配信が軌道に乗ったら、いしばしコモンズの備品としてMACを買ってもらえたらいいかも!MACのほうが配信向きだから!と、申し訳ながる私を宥めるように言っていた。

フランス演劇留学から帰国した私はこの数ヶ月、ある優雅な友人がかつて漏らした言葉を何度も思い出した。その元・タカラジェンヌは、退職した当時を振り返ってこう言った。「辞めた頃は、息を吸うだけでお金がかかるような気がしたことがあったなー」
その表現は妙にしっくりくる。
インディペンデントの演劇の世界で、私はこの歳にして地図を持たない新参者で、企画を実現するためにあちこちに大量の申請書やエントリーシートや収支計画計算書を書いては、その多くは不採択となって何十時間の作業時間を無駄にし、いざいくつかの企画を実現できても、赤字の補填で自身の取り分はなくなる。
お金に執着はないが、息を吸って吐くたびに時限爆弾の先についた導火線がじりじりと燃えて爆弾に確実に近づいてくるような状況で、それを横目で睨んで残り時間を数えながら、なぜ自分の限られた残り時間を、わずかな可能性のためにほぼ徒労に終わるであろう助成の応募書類を書いて空費しているのだろうと思った。芸術活動ではなくそのための大量の事務仕事に忙殺されながら。

一方で、フランスで半年ほど前に初めて会った舞踊研究者の川野惠子氏から、大阪に面白い人がいるので関西在住ならちょうどいいから会いに行こうと連絡があった。
その時に連れて行ってもらったのが「一般社団法人いしばしコモンズ」が拠点とする空き家だった。
そこで、社会活動家を自任する菱田伊駒氏に出会った。
菱田氏は、大阪大学で鷲田清一氏らが設立した「コミュニケーションデザイン・センター(通称CSCD)」で学び、卒業後は外資系の大企業に就職するも価値観の違いから数ヶ月で心身不調に陥って退職、それからは石橋商店街のパン屋で朝四時からパンを作り、昼の二時に仕事が終わると不登校の子供達の居場所作りをしたり、西成のコミュニティスペースで路上生活者にドーナツ作りを教えたり、お寺で哲学対話を手伝ったりという、(たまたま)パン職人/社会活動家(アクティビスト)として生きてきたそうだ。
海外にはアクティビストはけっこういるようだが、日本で私は菱田氏以外にアクティビストを名乗る人に直接会ったことはない。

彼は、教育を革命するアクティビストのようだ。
パン屋で肉体労働を続けながら、苦節十年、肩書きのないまま信頼を得ていき、最近では有名な私立高校にできたオルタナティブを志向するコースの教員として招かれたり、大阪大学の留学生たちを連れて地元の家庭や学校を訪ね、外国人と日本人がコミュニケーションを図るための場作り活動をしておられる。

さらには、石橋の篤志家の人々から協力を得て、冒頭に書いた空き家を提供してもらって庭で不登校の子どもたちや大学生らと野菜を作ったり、また別の空き家を持つ篤志家に出会い、賃貸契約で苦労をする外国人留学生のためのシェアハウスに作りかえたりしている。どうやら大半の「活動」は無報酬でやっているようで、その代わりに菱田氏に共感したり信頼している方が少しずつ月毎に活動費を支援していたり、シェアハウスの管理人として住める場所を提供したりしてくれるそうで、最近ではかなり「活動」に専念できるようになった、と本人は満足げである。

そんな菱田氏は、オルタナティブな教育として演劇やアートが一端を担うかもしれないと期待してくれているのか、シェアハウスをアーティストにも開くことに興味を持っていたところ、偶然、私が川野氏に連れられてやってきた。
そんななりゆきから、活動家である菱田氏の周りに、悩みや、遊び、野菜作りの知識、鱧鍋、資金、物件まで、いろいろなものを持ち寄って集まってくる老若男女の持たざる人々や持てる人々のアメーバのような謎の共同体に、私も物書きとして興味を持ち、思い立って、いしばしコモンズ運営の留学生用シェアハウスに一ヶ月限定で間借りさせてもらうことにした。

菱田氏に連れられて、人が怖いという不登校の子どもたちや、留学生や商店街の人々と出会った。今までゲットーのような芸能と演劇の狭いコミュニティにいた私が、社会とやっと繋がってきたような感じがした。
そこで会うような演劇にも宝塚にも馴染みがない人々に、演劇で何か新しい体験を贈れるようになれるなら、今の大変さも徒労ではないと思った。
でも、だからといって、身体のうちに内臓を喰う虫を飼っているような、時限爆弾の導火線を見ているような、制限時間の問題は解決しそうになかった。

菱田氏は、川野惠子氏に「上田さんが石橋にせっかく一ヶ月いるから上田さんをいろんな人に会わせてあげて」と連絡したようだ。川野氏は昨年まで大阪大学の豊中キャンパスにおられたからだ。
新しい勤務先の岡山からわざわざ私の面倒を見るために大阪にやってきた川野氏は、突然にすごい速さで大阪大学での私の講演会をセッティングし、直前の告知にも関わらず満員御礼の盛況に終わるよう奮闘してくれた。彼女はその盛況ぶりを見て「上田さん、もしかしてオンラインサロンじゃないですか!今流行ってるんですよ」と思いついた。
オンラインサロンが何か知らなかった私はシェアハウスに帰り、菱田氏に「オンラインサロンというのがあるらしいです」というと、「いやいや上田さん待ってください、あれは課金した人しか入れないクローズドなものでイメージじゃないと思いますよ。だったら配信チャンネルはどうですか。シラスチャンネルは単発購入で通りすがりの人も見れるんです。今は学者とかが専門知識をシェアすることで、アルバイトを減らして執筆に専念できてるらしいです」と、硬い批評誌が母体の配信プラットフォームを教えてくれた。「とにかく僕がシラスチャンネルに問い合わせとくんで上田さんは自分の仕事しててください」と突然に今度は菱田氏がすごい速さでチャンネル開設をセッティングし始めた。
「あとnoteもやりましょう、文字で読みたい人と映像で見たい人は違うし価格帯も違うんで。あと阪大の講演会はそれだけだと勿体無いから文字起こしして使いましょう」と、彼が最新アプリを駆使してnote用に文字起こしをして、パートナーが誤字チェックをしてくれるという家族総出の協力体制で、瞬く間にnoteも始まった。

さらに、事務作業で忙殺されると泣きつくと「心当たりの会計事務所に
当たっておきますから上田さんは作品やっててください」と阪大関係者を助けている事務所に連絡し始めた。
配信の初回だけでもきちんとしたカメラで撮りたいと言っていたら、菱田氏の知人という本業のカメラマンがフル装備でやってきてくれた。人々は、菱田さんがこの人を助けろというなら助けるでー、というような感じでわらわらと集まってくる。
菱田氏は、人に人助けをさせる天才であった。

そのようなわけで、菱田氏は私と協力してnoteや配信チャンネルの管理をしていて、私がまだ不慣れな今は配信のアシスタントとして出演さえしてくれているが、一円も人件費は出ていない。
菱田氏と、彼に引き連れられて助力に現れる人々、私の作品を観たこともない人々は、私が困っているからといって、なぜ動いてくれるのだろう。
そのことを最近考えている。
私は子供の時、感謝が足りないとよく注意された気がする。人が何かしてくれることを当たり前と思ってはいけない、と叱られるぐらいに、結構、平気な顔をして人に色々やってもらうほうなのだ。そんな私でも、さすがに、このままにしておいてはいけないのではないか?何か返さないといけないのではないか?私は石橋に何を返せるのか?と真剣に悩むレベルになってきた。

しかし菱田氏とその仲間たちは今日も、お金がなくて困っているという学生に引越しの相談をされたといって、車を出してくれる暇のある人を探し、どこかから不要な電化製品をかき集めてきて、皆で汗だくになって慎ましい新居まで運んでいく。

理由がわからなくてずっと考えていて、そういえばこれが「コモン」のためなのだろうか、と今朝ふと思った。
コモンは公共財、資本主義のやり取りの枠外に置かれるべき、誰にでも必要な資源や自然だという。

石橋の菱田氏たちは、私のためというより、コモンのために資本主義を超えた交換をしているのかもしれない。
だから、私もそこでしていただいたことに感謝するのなら、コモンに対して働くことでしか返せないのではないのだろうか。
この人々に後ろめたく思わなくて済むような道を進まないといけないと思った。
享楽的でいい加減なところのある私に、踏みとどまって努力を続けるよう釘を刺し続けるのは、そんなふうに私を信じて助けてくれた人々の記憶だ。
この行き詰まった社会をどうにかしていけるのは、そんな美しさなのかもしれない。

私はかつて劇団という場所で、完成された作品という「美しさ」を求めていたと思う。その「美しさ」に近づくことでそれに関わった人々と共に達成感を得ることは、儲けるとか地位を得るとかいう欲求より強い衝動だった。
コモンを考える人々は、それとはまた違う「美しさ」を求めている人々なのだろうか。

それらは資本主義の埒外で私たちに残された数少ないものの一部だ。
「贈与」というのは等価交換ではなく面白いルールで運用されているらしい。人類史的に、贈与は「もらった相手ではなく別の人にパスする」形でなければいけないそうだ。
私は、メセナを募ることを説明する最初の番組配信の日、人にお願い事をするという奇妙な罪悪感で、終わった後にどっと疲れた。本当に社会に必要だと思うことのために頼むなら相手にとってもいいことだと自分に言い聞かせていたけれど、なぜか疲れた。
しかしアクティビスト菱田氏は、私や困っている学生の手伝いをするようネットワーク上の人々に頼んで働いてもらって、持てる者からは資金をもらって「いやあよかったよかった」と疲れ知らずで喜んでいる。それは、コモンのためにやっていることに一点の偽りもないからだろうか。

初回配信を終えた深夜、自信のなさと暑さも相まって疲労困憊し、これから大変だなあと肩を落として留学生用のシェアハウスに帰り着いた私に菱田氏からメッセージが送られてきた。
「アポロ計画ではありませんが、大きな一歩だったことは間違いありません。ゆっくり休んでください!」

私は、人から何かしてもらっても当たり前と思ってしまう、と子供の時によく叱られた。
だから今回、石橋で会った人々に、コモンについて考えさせていただいたことは、絶対に忘れないようにここに書き残しておく。


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※ここからは告知をさせていただきます。

Noteでのアカウント開設に加えて、配信プラットフォーム「シラス」でもチャンネル開設をさせていただきました。
(ステージナタリー編集部さまに記事にしていただきました)

初回は無料でご覧いただけます。(延長部分を除く)
今回のNoteを含めた新しいチャレンジに踏み切った背景について説明させていただいています。ぜひ御覧ください。

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