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わたし的お茶(茶道)事始め

まぁまぁちゃんとお茶を習い始めてから、4年になります。

月に3回、金曜の夕方はお茶のお教室。(裏千家)
茶道をまったく知らなかった私が、ビシバシ京都の大先輩のお姉さま方の叱咤激励を受けて、繰り返し繰り返しやってきて、思うことをつれつれと。

しかし、私はまだまだ道半ばなので、本当に初心者の所感というか、感じて考えたことを素直に書きます。茶道に興味を持つきっかけになったり、こういう考え方もあるのかくらいに思っていただけたら光栄です。

和菓子から、はいれ。

中高生が茶道部に入る理由のひとつに「お菓子が出るから」とよく聴くけど、これは筋悪くないはず。(私は別の部活でした。)
なぜならお菓子が一番わかりやすく季節を体現し、見目麗しく鎮座しているから。ご銘もわかりやすく粋なので、和菓子から興味を持つのは楽しいと思います。
例えばこちらのお菓子は『天の川』だし、

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こちらのお菓子は『照葉』で、

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こちらは『沢辺の蛍』

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見目麗しく季節に合わせたお菓子が出てくるから、ご銘は何だろう?と思案する時間も贅沢。ご銘を言われて、「あぁ!そういうことね!」とわかる瞬間は、とても勉強になります。

さて、プチクイズです。
こちらのお菓子のご銘は何でしょう?

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(ヒント:11月下旬、12月初旬くらいに出たお菓子です。)
正解は、明日以降にコメント欄に書くとして('ω')

他にこういうポップな雰囲気のものもあります。

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かわゆい。。上から、節分、ハロウィン、クリスマスです。

ちなみに、出すお菓子が決まっている行事もあって、桃の節句は、こちらの「ひちぎり」。

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引きちぎった形をしていて、お内裏様の対に見立てて色分けされてることもあります。

お茶人のお正月と言われる、お開炉の日はお善哉。

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お開炉とは、夏の間に塞いでいた炉を開けること。
炉を開けたのをお祝いして、『寿』の掛け軸を飾り、
小さなお餅を入れたお善哉に
スッポンの汁で炊いたお昆布と、
山でこの時期に採れる栗や柿を添え(山包渡(やまつと)と呼びます)
亥の子餅もいただく、十一月の茶人のお正月です。
茶道をするまでまったく知りませんでしたが、季節の流れをわかりやすく感じさせるこの慣習が、私はとても好きです。

外さぬお作法だけは意識しましょう。

さて外さぬお作法とは?
これだけおさえておけば失礼がなさそう、と茶道ひよっこの私の個人的見地にもとづくので賛否両論あると思いますが、参考程度にお考えください。

私の思う外さぬお作法とは、

・入場するときは右足から畳を跨ぐ。退出するときは左足から畳を跨ぐ。

・通っても失礼のない経路は先輩方に聴く。

・お道具は大切に扱いましょう。特にお茶碗。
(お道具によるけど、なるべく両手で、脇を締め気味で持つ。お茶碗を扱うときは指輪厳禁。お道具を傷つける可能性のあるアクセサリーは外して臨みましょう。)

・座る位置、おじぎ、いただき方、お皿の置き方まわし方、お茶碗の正面を覚えましょう。
(細かいことは沢山ありますが、畳の十六目のところに座る、おじぎのタイミング、お菓子は三口で薄茶は三口半でいただく、お皿をどこに置いてどうまわすか、お茶碗の正面はどこかなど、意識して見様見真似でも覚えましょう。)

上記を知っておけば、先輩方にしかめっ面されることもなく、
失礼なく新しいお作法を教えてもらえて、学びも速く深まるはず。

ご銘を楽しもう。

ご銘とは?
お茶を点てて、お客様にお茶をサーブして、自慢のお道具も観てもらって、お道具の問答が終わった後に、ご銘を訊かれます。

これは言わば(現時点の私の解釈ですが)、
お客様をもてなす一連の所作やお道具の揃えは、
何をテーマにおこなっていたの?と最後に問われる言葉です。

今までの流れをぴりっと締めて、余韻を残す
季節を感じさせる粋なひとこと。
この余韻こそが、お茶の醍醐味でもあります。

で、季節によっていろんなご銘がある訳ですが、
チャレンジャー&実験が好きな私は、
調べて来ずに、オリジナルでご銘を発想できるのではと
全くのオリジナルご銘をくり出したことがあります。

拝見の最後に『ご銘』を訊かれて
オリジナルで、いちかばちかで
「灼熱の太陽」と応えてみたらば

夏のご銘は涼をとる方が風雅やねぇと
〈岩清水〉や〈ひぐらし〉を教えていただいた。

そうか。昔のひとは、
言葉からも涼しさを感じていたのだなぁ。

暑い暑いとばかり言っていたら節操ないなぁ、とも感じたわけで。
(2018年7月28日FB投稿より)

深い。。

11月はお茶人にとってお正月にあたるそうで
暮れの10月のご銘は寂しいものでないと、
とお茶の先生、擬似親戚くらい仲いい友人の叔母様が仰ってた。

その反動で?本日のご銘は龍田姫。紅葉の染まる秋山の神らしい。
(2018年11月9日FB投稿より)

11月のお茶人のお正月明けは、華やかなご銘「龍田姫」が好まれるよ、とのこと。

お教室の前に、ご銘をささっとインターネットのサイトで調べるのも一興。
このご銘で、どういう反応が返ってくるか、というちょっとした勝負の瞬間がおもしろくて私は好きです。

慣れと方程式と一連の流れの緩急をつける所作。

お茶のお稽古をかさねていくと、慣れていきます。
そして、あんまり考えなくても出来ていきます。
無駄な動きが無くなるし、手つきも美しいと言われるようになり
ダンスのように緩急をつけて、決まった諸式で客人をもてなすことができるようになります。

そして、ひとつひとつのお道具の位置や向き、所作の順番は理由があるので、

新しいお点前を習うことになっても
既に習った方程式に則って、結構すんなりと覚えられます。

ダンスみたいなものです。
全部、細かくお道具の位置や向きややることの順番が細かく決まっているけど

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(全てのお道具は然るべき位置と向きが決まっています。)

選ぶお道具、自分の佇まいや所作、言葉にする銘によって、
客人へのもてなしを、自分なりに表現する。

ものすごい脈々と受け継がれた文化の型の中に、自分がいるなぁというダイナミズムを感じるし、

これが文化なのか、と、思います。

「お茶を習うことは邪魔にならへん。」

と、先生やお茶の大先輩方が言うのが少し哀しくて、違和感があったのだけど
いまならその感覚、少しわかります。

茶道を習って何のメリットがあるの?と言われたら
すぐにめちゃ合理的な答えは出すことはできないし、答えを出す必要はないなぁとも。(先生は、絶対お嫁に行けるようになるし大丈夫!と謎の効能をうたうけども。笑)

ただ、アンテナが研ぎ澄まされる、気がする。
季節の移り変わりや、表現への心の配り方への切り口が増える。

決められたお作法を、心を静め、ひとつひとつ順番通りにしていくと
脈々と数百年も受け継がれてきたお茶人の思考に思いを馳せる、ときもある。

文化を受け継いでいくって、こういうことなのかなぁって。

そしてこれは「道」なので、
たかだか一生で終わらないことなんだと思います。

お時間いただきありがとうございます。