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工芸思考

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工芸思考で訪れた場所、工房、対話の備忘録。 工芸思考とは、物で受け継がれていく価値を対話で解き明かしていく活動です。
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#佐賀工芸

名尾手漉き和紙_佐賀_工芸思考

名尾手すき和紙。 山に囲まれた名尾は、農地が少なく貧しいから、紙漉きの技術を導入して和紙づくりをはじめる。350年前から工房を開放し、問屋不在で自分で売るスタイル。 ↑訪問者のための和紙づくりの工程を説明したパネル。 機械化による紙の大量生産が普及し、100軒あった和紙やさんも、35年前に最後の1軒、谷口家のみになる。 名尾手すき和紙は、カジノキの長い繊維を激しく振って絡ませるため、薄手で丈夫。提灯用の紙をはじめ、番傘、合羽、障子紙に使われる。 たった一軒残った谷口家

藤巻製陶_佐賀_工芸思考

1775年には有田での開窯が確認されている 磁器の窯元、藤巻製陶。 とても目立つフジマキの煙突を サンタクロースがよじ登ってました。 地元の電力会社さんが忙しくないときに頼んでサンタさんを設置してもらうそう。 技術の流出を防ぐために、お上の意向で 分業制で有田焼の産業は育ち、江戸の鍋島藩が定める17窯場のひとつが藤巻製陶でした。いまは一貫生産で、白磁や青白磁等の淡い青みがかった釉薬を施した磁器を主に制作しています。 いまや藤巻製陶を知らしめる青白磁は、先代(九代目)が 絵

泉山磁石場_佐賀_工芸思考

泉山磁石場。 有田焼、日本の磁器発祥の地。 有田焼、伊万里焼、唐津焼、鍋島焼 ... 佐賀になぜ焼き物がこんなに沢山あるの?と思ったら、 豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵が関連していました。 朝鮮出兵の際に、唐津を起点に日本へ多くの陶工と職人が連れてこられ、その中の朝鮮人陶工が有田の泉山で磁器の原料を発見する、という。 火山の中で奇跡的に生まれた土だといわれ、 鉄を除去した土から、柿右衛門窯が初めて白い磁器を作り出しました。 1616年から400年近く、山がなくな

畑萬陶苑_佐賀_工芸思考

肥前鍋島藩の御用窯として、将軍や大名への贈答用高級品だった鍋島焼。 廃藩置県によりその歴史を一度幕を下ろしますが、技法と伝統は20年のブランクを経て再度復活します。 畑萬陶苑の 畑石 修嗣 さんは 豪華絢爛な絵付けを現代風に新しく解釈したり、デザイナーとのコラボレーションにも手を惜しまず、 他方で、200年以上前の陶片から当時の絵柄や技術を読み解き、鍋島焼の絵付けのルールを忠実に守るなど 現代のナウさと色褪せない古さのバランスを探っている姿が印象的でした。 時には、デザイ

文祥窯_佐賀_工芸思考

究極のSDGsがここにありました。 有田焼の原料の主流が、扱いやすくて白い熊本県天草産の天草陶石になるにつれ、 前の投稿の泉山陶石は使われなくなりました。 この地元の『財産』泉山陶石の価値を 400年前の江戸時代の技法を試行錯誤して学び、 息を吹き返そうとさせる試みが文祥窯にあります。 こちらの技法のメリットは、割れにくい、作っているときに失敗しにくい、とのこと。 完璧な白、を求める必要などなく、精製は捨てることを伴うのであまりしたくない。鉄粉の跡も味だし、

健太郎窯_佐賀_工芸思考

迷いがない。そんな印象を抱く、健太郎窯。 虹の松原を見下ろす絶景の地に工房をつくると決めて 山を開墾して石垣を積むところからはじめたらしいけど この窓の借景は、ぴたっと最初からこう計算されていたかのようにはまってる。 お客様をまず迎えるのは、ほんのりお香も炊いてあるお茶室。 そうだ。器をめでるときは、お茶室で落ち着いて低い位置で手に取りたい。 そうして、器と絶景とを眺めていたら、芋羊羹のような壺焼き芋がお茶と一緒に出てくる。 抜かりない。。('◇') このおもてなし、な