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工芸思考

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工芸思考で訪れた場所、工房、対話の備忘録。 工芸思考とは、物で受け継がれていく価値を対話で解き明かしていく活動です。
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工芸に息を吹き込むのは、五感をつかった体験じゃないか

ストーリーとかよりも。 中川木工芸の中川さんと開化堂の八木さんが工房を訪れて、いろんな工芸の職人さんと対話をしていく工房トークを よかったらご一緒しませんか、とお声がけいただいて えぇって舞い上がったりしながら なんてありがたいんだって、何も持ってない私は必死でついていったりしているわけで。 工房トーク、工芸思考について思うところはまた書くことにして(これはまた改めて書きたい) 工房トーク第一回目を開催して、いろんな示唆を貰ったのだけど(これもまた雑でもメモ書きしたい)

工芸思考_備忘録2020_0107

工芸思考という、工芸のものづくりを通して見えてくる思想があるのでは?と様々な分野の職人と対話を深めて、思考を話し言葉で言語化していく試みを、 木桶の中川木工芸の中川さんと、お茶筒の開化堂の八木さんに誘っていただいて、しています。 中川さんと八木さんの木桶もお茶筒もすごいのだ。(よかったらググってみてください。) まず理屈抜きに美しい。そして、思想がある。そして、積極的なコラボレーション精神。アグレッシブさよ。 このお兄さんたちは、敢えて俗っぽくわかりやすく言うと 京都の

輪島探訪記。

恐れ入ります。忘れるのが勿体ないので、またまた簡単探訪記シリーズです。工芸について考えたことはまた後の記事で書きます。 紙芝居的に読み流していただいて、何か気になることやツッコミがあったらコメントでいただけたら幸いです。 さて、やってきました金沢。 そして、車で拾ってもらって、能登の海。 そして輪島に着いていただいたのは、伸福のお寿司! そこから、今回の工芸思考での輪島のホスト、輪島キリモトさんの新工房に向かいます。 桐本さんの最近の仕事、東京メトロの駅構内の内装や

変態はとことんこだわったらいい。分業の中の輪島工芸思考Part1

『工芸思考』で輪島に行ってきました。輪島キリモトの桐本さんのアテンドで輪島塗を知る旅です。 ↑この秋に移転した輪島キリモトさんの新工房 このそもそものきっかけは、コロナ禍の『工芸思考』。 4月5月は毎週土曜日に、Zoomで工芸にまつわるお題を立てて複数の職人さんとお題に関連する方たちとトークする様子を、工芸思考のFacebookページからライブ配信をしていて、 5月のある土曜日の夜、桐本さんがZoomに入室していらしたのでした。 桐本さんがZoomに入室したときの鮮烈

輪島塗のチーム戦の未来。輪島工芸思考Part2

輪島に向かう道中、中川木工芸の中川さんの車に金沢で拾ってもらってから 何をテーマに話す?ブレストをしていました。 まず気になるのは、輪島は街ごと輪島塗の分業がされていること。 分業スタイルで工芸のイノベーションはどうやって起こるか。分業におけるもどかしさはあるのか、ないのか。 イノベーションを起こすには、輪島キリモトの桐本さんスタイルで、商品の企画、木地から塗りまでの作成、販売まで包含してしまうか。全工程包含スタイルは、他の人にどう伝播したか。 分業のメリットは、BtoB

尾崎人形_佐賀_工芸思考

かわいいかわいい、尾崎人形。 佐賀県内陶磁器の中で歴史的に最も古く、700年以上の伝統を残す、尾崎人形。1281年の蒙古襲来の際に捕虜となったモンゴル兵たちが、人形を模した笛をつくり、遠い祖国を偲んで吹き鳴らしたのがはじまりだそう。 鳥の笛は祖国の方向にと、ちょっと斜めを向いてる。 継承が一度途絶え、その後2009年に 最後の継承者のお手伝いをしていた62歳の高柳さんが、地域の人の薦めで継承した尾崎人形。 この地域は焼き物に適した土がとれるから、もともと火鉢を作っていて

名尾手漉き和紙_佐賀_工芸思考

名尾手すき和紙。 山に囲まれた名尾は、農地が少なく貧しいから、紙漉きの技術を導入して和紙づくりをはじめる。350年前から工房を開放し、問屋不在で自分で売るスタイル。 ↑訪問者のための和紙づくりの工程を説明したパネル。 機械化による紙の大量生産が普及し、100軒あった和紙やさんも、35年前に最後の1軒、谷口家のみになる。 名尾手すき和紙は、カジノキの長い繊維を激しく振って絡ませるため、薄手で丈夫。提灯用の紙をはじめ、番傘、合羽、障子紙に使われる。 たった一軒残った谷口家

藤巻製陶_佐賀_工芸思考

1775年には有田での開窯が確認されている 磁器の窯元、藤巻製陶。 とても目立つフジマキの煙突を サンタクロースがよじ登ってました。 地元の電力会社さんが忙しくないときに頼んでサンタさんを設置してもらうそう。 技術の流出を防ぐために、お上の意向で 分業制で有田焼の産業は育ち、江戸の鍋島藩が定める17窯場のひとつが藤巻製陶でした。いまは一貫生産で、白磁や青白磁等の淡い青みがかった釉薬を施した磁器を主に制作しています。 いまや藤巻製陶を知らしめる青白磁は、先代(九代目)が 絵

泉山磁石場_佐賀_工芸思考

泉山磁石場。 有田焼、日本の磁器発祥の地。 有田焼、伊万里焼、唐津焼、鍋島焼 ... 佐賀になぜ焼き物がこんなに沢山あるの?と思ったら、 豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵が関連していました。 朝鮮出兵の際に、唐津を起点に日本へ多くの陶工と職人が連れてこられ、その中の朝鮮人陶工が有田の泉山で磁器の原料を発見する、という。 火山の中で奇跡的に生まれた土だといわれ、 鉄を除去した土から、柿右衛門窯が初めて白い磁器を作り出しました。 1616年から400年近く、山がなくな

ARITA PLUS _ 佐賀_工芸思考

窯元7社で会社をつくり、個々では弱いデザイン力を補い育てる拠点、ARITA PLUS。 最先端の設備を導入し、プロトタイプを作ってイメージを擦り合わせたり、 釉薬の垂れの予測設計や熱による変形予測などもして スピーディに、商品の企画や開発を容易にする。 そして、7社の窯元でまとめて発注を受けることで 提案や作るものにも柔軟性と、クリエイティビティが加わる。 一流のレストランやホテルの要望を真摯に擦り合わせ、実現するにはもってこい。 二階はさらに建築士も引き込んだシェアオ

畑萬陶苑_佐賀_工芸思考

肥前鍋島藩の御用窯として、将軍や大名への贈答用高級品だった鍋島焼。 廃藩置県によりその歴史を一度幕を下ろしますが、技法と伝統は20年のブランクを経て再度復活します。 畑萬陶苑の 畑石 修嗣 さんは 豪華絢爛な絵付けを現代風に新しく解釈したり、デザイナーとのコラボレーションにも手を惜しまず、 他方で、200年以上前の陶片から当時の絵柄や技術を読み解き、鍋島焼の絵付けのルールを忠実に守るなど 現代のナウさと色褪せない古さのバランスを探っている姿が印象的でした。 時には、デザイ

文祥窯_佐賀_工芸思考

究極のSDGsがここにありました。 有田焼の原料の主流が、扱いやすくて白い熊本県天草産の天草陶石になるにつれ、 前の投稿の泉山陶石は使われなくなりました。 この地元の『財産』泉山陶石の価値を 400年前の江戸時代の技法を試行錯誤して学び、 息を吹き返そうとさせる試みが文祥窯にあります。 こちらの技法のメリットは、割れにくい、作っているときに失敗しにくい、とのこと。 完璧な白、を求める必要などなく、精製は捨てることを伴うのであまりしたくない。鉄粉の跡も味だし、

健太郎窯_佐賀_工芸思考

迷いがない。そんな印象を抱く、健太郎窯。 虹の松原を見下ろす絶景の地に工房をつくると決めて 山を開墾して石垣を積むところからはじめたらしいけど この窓の借景は、ぴたっと最初からこう計算されていたかのようにはまってる。 お客様をまず迎えるのは、ほんのりお香も炊いてあるお茶室。 そうだ。器をめでるときは、お茶室で落ち着いて低い位置で手に取りたい。 そうして、器と絶景とを眺めていたら、芋羊羹のような壺焼き芋がお茶と一緒に出てくる。 抜かりない。。('◇') このおもてなし、な