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寿命がない社会が来たら?

今取り組んでいる仕事の一つに、森ビルが毎年秋に主催している、未来を議論するイベント「イノベーティブ・シティ・フォーラム(ICF)」の中のワークショップのデザインをするという仕事があります。

デジタル社会が進展する中で、私たちの働き方や生き方はどう変わって行くのか、そして、その変化にどのような準備をしておけばいいのかなどを、様々な分野の方々と議論をするために準備を進めています。

未来といっても、あまり先の未来になると議論が発散してしまうので、2030年くらいの近未来を議論しようと思っていますが、企画を詰めていると、ついつい2050年や2100年といったずっと先のことも考えてしまいます。

そんな先のこと・・と言いつつも、遺伝子解析技術やナノテクノロジーなどが、急速に進展しているのを見ていると、人生100年もあり得るなぁと思ったり。さらには、次の世代は、寿命がなく永遠に生き続けることができるかもしれないと、理論物理学者の先生に言われたりして、不死の世界も近未来に存在するのか・・と唖然としたり。

では、長生きや不死は、人間にとって幸せなのか。そんな疑問が湧いてきます。限りがあるから、工夫したり、頑張ったりしてきた人間が、永遠に生きられるとしたら、何もかもを先延ばしして、怠惰にならないだろうか・・。なんでも先延ばしする人と、人生に終わりがなくても頑張り続ける人が共存したら、社会の格差はもっと大きくなってしまうのではないだろうか。

いや、そもそも人が死なないとなると、子供を産み育てる必要性はなくなるのだろうか。もし子供が生まれなかったら、人類は進化せず、結局、古い考えから抜け出せず、滅亡への道を歩むんだろうか・・。などと、妄想がどんどんと膨らんでいきます。

不死の研究はすでに至る所で行われているそうですが、不死が実現しなくても、健康な体で100歳、120歳を迎えられる人生が目の前まで来ているとしたら、私たちはあらゆる常識を見直さなければならなくなりそうです。個人的にも社会的にも働き続けないと経済的に厳しくなるでしょうし、終身雇用はもはや死語となりキャリアのあり方も変わるでしょうし、死を前提にしている宗教も、新しい戦略を立てないといけないかも・・・とか。。

そんなことを考えつつ、でもやっぱり、寿命が伸びても、不慮の事故はやはり起こるわけで、誰にとっても人生はいつまで続くかはわからないのだから、今この瞬間を大切にすることに、今まで以上に注力すべきだし、今目の前の課題を解決し続けることが、結果、未来の変化に対応するための準備になるに違いないと思ったのでした。

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