奈良を知れば、幸せな未来を作れるかも
久しぶりのnoteは、私の出身地、奈良について書いてみる。
私は大阪で生まれ、2歳の時、奈良に転居。そして、大学卒業まで奈良で育ったので、私の人間としての基礎は、奈良で育まれたと信じている。だから、プロフィールには「奈良出身」と書いている。
大学卒業後は、東京で就職し、人生の過半は既に東京になってしまった。学生時代は、奈良には何にもないと思っていたし、東京で就職した当初も、「奈良出身」と言うのがちょっと恥ずかしくて、「大阪生まれです」って言っていた。
でも、40歳を過ぎて、ダボス会議などに出席して、海外の人と交流したり、世界の歴史を学ぶようになってから、「奈良って、実はすごいんじゃないの?」って思うようになった。
実は、奈良ってすごい?
ダボス会議のような国際会議では、世界各国の国のあり方や政治について議論されることが多く、しかも、東欧などでは、数年前に国ができたとか、20年前から国の公用語が変わったという話をする人達もいて、当たり前にある「国」という存在が、実は、誰かがデザインしたものであることや、その国の形が国民の意識や文化を作っていることを考えるようになった。
では、日本という国は、いつからできたんだろう。そんなことを改めて考えたとき、ふるさと奈良にヒントがあった。「奈良(なら)」という言葉は、韓国語で「国」を表す言葉だそうで、そもそも奈良は国を作った場所だったことを知った。(奈良の語源は諸説あり、これはその一つです)
統治のための宗教と幸せのための法律
まだ国としての形が整っていなかった日本に、聖徳太子が、仏教を持ち込んだのは、国民共通の規律を作るためだったらしい。歴史の授業では「仏教を持ち込んだ」という事実は学んだ記憶はあるが、「なぜ仏教を持ち込んだか」は習った記憶がない。八百万の神を信仰する神道では、国民を統治するのは難しく、神道という心的支柱は残しつつ、統治するために規律(○○しちゃダメとか、○○しないといけないとか)のある仏教を導入し国の基盤作りに取り組み、次のタイミングで、あの有名な十七条の憲法を制定した。
一時期、サウジアラビアとご縁を得て、何度か訪問していた際に、サウジアラビアの憲法は、コーランだと言われて、びっくりしたことがあるけれど、聖徳太子が仏教を持ち込んできた時って、きっと、「日本の憲法=仏教」みたいな使われ方だったのではないかと思う。サウジアラビアで、コーランに基づくルールを色々聞いた時、それって社会保障の仕組みそのものだと思った。例えば、男性は妻を4人持てるけど、全員に平等にしなきゃいけなくて、かつ、4人目の妻には障害があったり貧しかったりする人を選ばないといけないとか、未亡人はコミュニティ全体で養わないといけないとか、お金持ちは必ず利益の一部を社会のために使わないといけないとか・・。つまり、昔、宗教は国民統治の規律だったんだと深く思った。
今、日本は、法治国家だし、世界各地が憲法や法律を持つけれど、格差や犯罪は増えている。改めて、様々な宗教を学んでみると、そこにはルールだけではなく、幸せになるための心の姿勢も書かれていることに気づく。昔を学ぶと、今、私たちに必要な法や社会の姿も見えてくるかもしれない。
大仏建立は、国民参加のクラウドファンディング
私が奈良の歴史の中でも、とても興味を持ったのは、大仏を建立した聖武天皇の話。自然災害などに見舞われて国民が苦しい状況にあった時、大仏建立という大きな公共事業を行なったというのは誰もが知る有名な話ですが、実は、この事業には、税金を積極的に使わなかった。
聖武天皇は、大仏建立にあたり、「権力のある天皇が指示を出せば、大仏を作ることはできるが、『世の中の平穏と動植物との共栄を願う』という思いを同じくする人々の力を結集して作ることにこそ意味がある」と、全国の国司などにも、「大仏を作るために国民から無理矢理富を集めたり、税金を徴収してはならない。思いを同じくするならば、一枝の草、土の一握りでも提供して欲しい」と伝えた。
今で言うところの、「クラウドファンディング」だ。
その結果、この大仏建立に協力した人の数は、当時の人口の半分(のべ)だそうだ。
しかも、「世の中の平穏と動植物との共栄」といえば、今風に言えば、生物多様性の精神でもある。
世界初の国際フェス開催?
大仏が完成するまでには幾多の苦難があったそうだが、大仏に目を入れる大仏開眼供養には、海外から来日した僧侶も含め、1万人がその場に集ったと言われている。定刻通り移動できる手段のない時代に、海外からも人が集まってくるなんて、信じ難い。しかも、大仏の目を入れたのは、インド人の僧侶であり、大仏の前で踊られたのはベトナムの舞だった。大仏殿の前の石畳には、中国と韓国と日本の石が敷かれている。まさに国際フェスティバル。
持続可能な社会実現のヒントは奈良にある?
2013年に、ダボス会議のYoung Global Leadersの仲間たちを奈良に招いた際、東大寺の森本公誠長老の「奈良では、海外の人々から様々な知識と知恵を与えてもらって大仏建立や国づくりをした」という言葉に、仲間の一人が、「海外の人の力を借りて国づくりをしたなんて、先進国である日本の人が言うなんて、なんて謙虚なんだ。私の国なら、我々の祖先が作ったとか言うのに」と、とても感動してくれた。
しかも、1300年前の史実が、書物として残っていて、その時代から今に至るまで、天皇家が続いていることにも、かなり驚いていた。
世界みんなで持続可能な社会を作ろうと国連発のSDGsの活動が広がっているが、世界の力を借りて国づくりに取り組んだ奈良の歴史を学び直すと、今、私たちが取り組むべき持続可能な社会作りのヒントがあるのではないかと思う。
世界の力を借りた奈良は、今、世界に歴史と知恵で、恩返しをする時じゃないだろうか。
だから、世界のみんなと奈良に集って、未来を創造したい。
※このnoteは、奈良県からJリーグを目指す奈良クラブがnoteと行う、地域をつなぐ取り組み 「#ならをつなぐプロジェクト」の参考作品として書かせていただきました。
ならをつなぐプロジェクトについて詳しくはこちらからhttp://naraclub.jp/homegame/connect-nara/