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江戸時代は幸せだったのか?

最近、人工知能やロボットが当たり前になった未来について議論する機会が時々ある。そんな時に、必ずと言って誰かが、人工知能やロボットが人間の仕事を半分奪う未来がやってきたら、江戸時代のような社会がやってくるのではないかと発言する。

江戸時代は、生活のために働く時間が今の半分くらいで、残りの時間を地域のために使ったり、遊びに使ったりしていて、社会における芸術文化も発展したし、GDPもかなり高かったらしく、良い意味で評価される方がいる。

私も江戸東京博物館に行くのは好きで、江戸時代の文化芸術や上水道の技術などの生活インフラの整備なども含めて、江戸時代が素晴らしいということには賛成する。

けれど、少しだけ気になるのは、江戸時代は、ある意味、身分が固定していたこと。購えない格差があった。頑張っても商人から武士にはなれないし、農民から武士にもなれないし、その固定された格差の中で、与えられた環境を存分に楽しむ工夫があったとも言えるのではないかと思ったりする。

人工知能やロボットが当たり前になる時代には、高度な医療技術も進むと思う。そして、その医療技術を受けることができるのは、高額の医療費を払える人だけかもしれない。もしかしたら、再び、固定された格差の時代がやってくるかもしれない。

その時、固定された格差の中で、人は幸せを感じるのだろうか。。


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