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政治家が辞める時

法務大臣が選挙違反。金をバラ撒いて実刑3年。
経済産業大臣が公選法違反。金をバラ撒いて逮捕。
農水大臣が公選法違反。たまご会社から不正な金をもらって起訴。
法務大臣の奥さんが立候補し、一度は当選したけど、金をバラ撒いたので当選無効。

「法務大臣」は河井克行。
「経産大臣」は菅原一秀。
「農水大臣」は吉川貴盛。
「法務大臣の奥さん」は河井案里。

いずれもこの半年の間に議員辞職した自民党の国会議員です。
これらの「」内の肩書には全て「元」か「前」を付けるのが正解なのですが、このナゾの冠がつくと国民は不思議と黙り込みます。

まぁ、やっちゃったことなんだし仕方ないんじゃない・・・。ということでしょうか。

正確には、その職に就いている時にお金をもらいました。それがバレて逮捕となり、逮捕の直前で「辞職」するので「元」か「前」がついて報道されます。これで「昔の人」的な印象が作られます。でも、しつこいようですが、この方々は全員「大臣」在職中にお金の問題が発生していて、そのことが明らかになったので逮捕されたのです。

こう考えると、報道で本人の名前の後に「氏」がつけられるのも、嫌になってきます。文章にして書くときは私もルールが気になり「○○氏」と書きますが、これもまた逮捕された当事者を「なんちゃって犯罪者」にしているのではないかと思うと、別の責任を感じます。字面が作る印象で既に終わったことにされると、日本人の「死んだ人を悪く言ってはいけない」という社会規範がそうさせるのでしょうか。

確かに裁判が確定するまで「疑わしきは被告人の利益に」。どんな被告人にも無罪推定が働きます。裁判が終わるまで犯罪者として扱ってはなりません。しかし、このことでかえって本人の罪の意識が薄れ、周囲の感覚もマヒすることで同様の犯罪が生まれる温床を作っているのではないでしょうか。半年間で現職の国会議員が4人、しかも大臣だった立場の人が次々と逮捕されることは異常事態でしかありません。これに慣れているということは、感覚がマヒしているということ。そして、この4つの事件で、3つの問題点が浮き彫りにされました。

1. 歳費=給料は誰が払う?
2. いつ辞める?
① 辞めるタイミング次第で、ボーナスが出る?
② 辞めるタイミング次第で、補選をやるかどうかが決まる

1.歳費=給料は誰が払う?

歳費の問題は、毎回言われています。「犯罪者に給料を渡すのか!」と。確かに、逮捕された直後はどの事件でも毎回この点が批判されます。確かに、「逮捕された犯罪者に給料」は民間では考えにくいことです。でも現行の制度がそうなっている以上、支払わざるを得ません。そして、何より裁判が確定するまで無罪推定が働きますので、犯人扱いして給与を取り上げることはできないのが建前です。この問題を放置できない、と公明党が歳費法の改正案を提案しました。公明党の北側一雄副代表は「『政治とカネ』の問題に、政治の側がどうケジメをつけていくのかが問われている」と明言したにもかかわらず、自民党はプロジェクトチーム(PT)を掲げてまで検討する風を見せていましたが、この法案はリリースされました。また同じことが起きたら、また同じことが問題視されることになった、ということです。

2.いつ辞める?

逮捕されたら「いつ辞める」のか。これはそっくりそのまま歳費問題とリンクします。

刑が確定した河井案里氏の場合、当選したこと自体が無効となりました。国会議員になったことはない、ということです。でも歳費=給料は支払われました。これはさすがにおかしいだろうとマスコミのバッシングも続きました。コロナ禍で収入が落ち込んでいる国民にとっては、怒り心頭。でも、事後的に当選無効になったとしても、在職中に本会議などでした「採決」を無効にすることはできません。そこから議員活動に応じた歳費の全面返還を義務付けるのは困難という見方も出てきます。

辞めるタイミング次第で、ボーナスが出る?

そこで、この歳費問題を明らかにしようと、先に述べたように、公明党が法案を準備しました。その法案では、支払われた歳費の4割を返還するとされました。全額ではなく4割とした根拠は、歳費にはそもそも生活保障としての費用も含まれていること、そしてその根拠として国家公務員の起訴休職の場合に4割を限度に減給できる定めを準用した背景があります。「全額に近い金額でないと県民感情にはそぐわない」との反論もあったようですが、憲法49条「議員の歳費」を根拠にここにひとまず落ち着かせようということになったようです。でも、時間の経過とともにこの事件そのものが飽きられてきた頃、この法案もとん挫させられてしまいました。ここが狙いだったのかと思うと、してやられた感が増幅します。返還されずに手元に入る歳費の中にボーナスも、国民感情を逆なでるひとつでした。

辞めるタイミング次第で、補選が決まる

辞めるタイミングが変わると何が変わるのかという問題には、空いた椅子に誰をいつ座らせるのか、があります。その選挙区を空白にするわけにはいきません。補欠選挙になるのか、次の本選まで空席にしておくのかということは、公職選挙法のルールで明確に異なります。

問題なのはこの法律そのものではなく、法律の規定を利用して辞職を表明するタイミングを選ぶことで、在席する政党に貢献することができるということです。

今回の河井克行氏の場合、辞職するタイミングによって自身の選挙区である広島3区でも、補選が実施される可能性がありました。後釜となる候補者は、自民党の広島県連と公明党とのつばぜり合いの結果、公明党の候補者のなることが決まりました。モヤモヤを抱えたまま衆議院の補選と参議院の再選挙を行ったほうが良いのか、それとも同日に補選が予定されていた二勝を目指し、北海道2区の吉川氏の補選で不戦敗、羽田議員の弔い合戦となった長野の補選で数合わせをするのか、水面下では検討されていたでしょう。

河井克之氏は、結局補選が行われない日程になったことを確かめるかのように、法廷でも強硬な否認から態度を改めるようになりました。結果は、みなさんがご存知の通り、北海道、長野だけでなく、参議院の再選挙も野党候補が勝利と、与党3連敗となりました。たらればではありますが、1勝3敗としたほうが良かったのか、それとも4連敗という無残な結果を回避できてホッとしたのかは、今となっては判断が難しい政治状況です。

政治家の辞職について、出処進退はその政治家自身が決めるというのが永田町では原則とされています。今回の河井夫妻や菅原氏のように法的責任により、政治家の地位を追われる前の辞職は最終手段にすぎません。政治家の最後の矜恃として、自分の手で職を辞するのです。

しかし、現在の永田町では、「政治責任」や「説明責任」という言葉が、とても軽く扱われているように感じます。新型コロナウイルスの緊急事態宣言下の深夜に飲食店を訪れて離党した議員も一人ではなく、4人もいました。
一見すると、巨大与党から離党することは政治生命の危機のように感じます。しかし、これらの一見痛々しい離島議員も選挙のみそぎさえ受ければ復党できるという、民間の常識からはかけ離れた世界が永田町には存在しています。また、秋元司議員は、カジノを含む統合型リゾート(I R)を巡る汚職事件で収賄罪に問われていても、係争中であることを理由として「政治責任」や「説明責任」を果たそうとはしておらず、辞職もしていません。

国民から選ばれた存在である代表者が、自身にかけられた疑惑を、誤魔化し、論点をぼやかし、正面から語ろうとしない。時間が経てば忘れられる。辛抱してその時を待とうとしているようにしか見えません。政治不信の原因を政治家自身がコツコツと作り上げているのです。

でも、これが政治家の首を絞める結果になっているかといえば、どうでしょう。

実際に、数々の事件や疑惑が起きていたにも関わらず、菅政権の支持率はさほど落ちてはいません。日本経済新聞社の5月の世論調査によると、内閣支持率は政権発足後で最低の40%だったものの、自民党の政党支持率は立憲民主党よりも30ポイント以上高いのです。

政治不信が、現与党、現政権の追い風になる。

安倍政権から約10年の間、国民はこの現実に慣れてきました。政党の選択肢が他にない、野党よりは自民党がまだマシという消極的な選択理由を仕方のないことだと思い込んでいるのかもしれません。「当選すれば、それで禊。これまでの全て赦される。」これで国民は納得しているのでしょうか。

永田町を去る山尾志桜里の決断

先日、国民民主党の山尾志桜里議員が、次の選挙に立候補しないことを表明しました。政治と少し離れた部分でスキャンダルはあったものの、政治家としての資質については菅総理も官房長官時代に舌を巻いていたほどの人物です。彼女の不出馬の理由はこうでした。「10年かけてできなかったことは、次の10年でもできないと感じる」だから「今回の任期を政治家としての一区切りとしたい」ということでした。議員は任期をもって務めるべきという彼女の持論を自ら体現したことにもなるようです。

政治家が政治家として一生過ごすのではなく、人生の一部分で政治家としてすべきことをしたなら、次のステージに移るのがノーマルとなるべきなのではないか、とも言っています。

嘘を言おうが、論点をぼやかして嵐がおさまるのを待ってさえいれば、また議員として歳費を受けていられると、その立場にしがみつく人とと、その実力を認められ惜しまれながらも信念を実現する人との違いはどこにあるのでしょう。

この永田町のおかしな不文律に対抗できるのは国民一人ひとりの「政治を諦めない」気持ちでしかありません。東京オリパラ後の9月解散が噂されていますが、「代表者を選ぶ」ことができるのが私たちの特権。この特権と一緒に、裁判の行方と、政治家の進む先をウォッチし続けることも忘れずにいたいものです。


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