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気持ちが整う場所とモノ ~場所編

この制限の多い環境の中で、2度目の夏がやってきました。マスク生活やリモートワークにもだいぶ慣れてきました。一年前の今頃、リモートワークという言葉は、まだ新鮮というより異質で、オンラインでの会議や仕事の管理なども混乱の真っ只中にありました。オフィスに通勤せず、自宅の便利とは言えないダイニングテーブルで仕事をしなければならなかったので、便利なのか不便なのか、環境の急激な変化についていくのがやっとというところでした。

でもそんなリモートな日々にもメリットがあることが分かりました。満員電車に乗らなくても仕事ができるとか、マスクをしなくても仕事ができるとか。そして新しい働き方「ワーケーション」は、感動的な概念でもありました。「ワーク」と「バケーション」の両方を取り入れた日常を手に入れる、休暇をとるような旅行先でリモートワークをすることで、バケーションも兼ねてしまうというもの。この言葉を初めて聞いた時は「その手があったか」と少しワクワクしました。いつものようにリモートで仕事をするけれど、いつもと違う景色、いつもと違う家並み。非日常のなかの日常。

一年経つと、こんな新しい概念にも少し慣れてきました。特に「リモートワーク」は、価値観の変化をもたらしました。都心で通勤に時間がかからない距離に住むこと、駅近であることが最優先だった居住地の選び方はガラリと様変わりしました。家で働くなら、都心の狭い部屋ではなく、郊外でもいいのではないか。国がこれまでどんな政策を掲げてもうまくいかなかった「地方分散」が、仕事部屋のある広い家でゆったりと暮らす選択肢として登場し、一挙に広がりました。リモートワークは新しい暮らし方の提案と質を変えていきました。

リモートワークで見つけた場所

私も、このリモートワークの恩恵に与っています。仕事の内容にもよりますが、面談がオンラインだったり、原稿の書くだけだったりする日には、自宅のダイニングテーブルで仕事をする日が増えました。
ただひとつリモートワークで困ることがあります。それは、仕事をするテーブルと台所が近いことです。私は、仕事で煮詰まると、ふらっと台所に立っている癖があります。台所という場所は、何かとしなければならない仕事のあるところ。その日の夕食の仕込みだったり、ガスレンジの油汚れを掃除したり、塩や砂糖を詰め替えたり。今やらなくても良いけど、今日の中のどこかでやらなければならない何かがある常にアクティブな仕事場が台所です。いつも身体を動かす仕事が台所にはあります。それで、私は難しい原稿に頭が煮詰まってきたとき、ふと気が付くと台所に立っていたりします。台所仕事はもともと好きなので、私にとってはストレス発散の場だと思っていたのですが、どうも最近の私には、仕事からの逃げ場でもあるようです。

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たちが悪いのは、難しい仕事に向き合っている時です。政治家のコンサルティングの中でもトラブル処理などの場合は、その議員の生い立ちからの背景を調べたり、取り寄せた資料を読み込んで人的関係を推理したりするのですが、難しい資料の山で頭がパンパンになることがあります。そんな時、ふと気が付くと私は頭が悶々としたまま、台所でステンレスをゴシゴシ磨いていたりするのです。

衆議院議員選挙が近いこともあり、少し難しい仕事が飛び込んでくることも増えました。自宅で仕事をする日は、PCの前ではなく台所で手を動かしながらその解決策を考える日が多くなっています。

そんな折も折、娘が仕事で猛烈に忙しいらしいという情報がチラッと入ってきました。いつもならLINEで「がんばれ~」程度の応援で終わるところですが、どうも食事もほぼ摂れていない様子。この状況で免疫力が落ちるのは良くない。食事を作って食べる気になるのは元気な時だけ。
じゃ、私が作って届けよう!
私の自己満足に過ぎないと分かってはいます。でも、丁度その時は抱えている仕事の難しさで頭がパンパンだったところ。

私は迷うことなく大量保存食調理を始めました。難しい仕事は頭の片隅に置いて、と言っても、ほぼ言いわけですけど。

大量のストック料理

夜の8時ころから始まった調理は、冷蔵庫と冷凍庫にある材料で思いつくまま作り続け、7時間後には全11品が完成しました。完成と当時に、ものすごい満足感。アスレチックレースに出場して完走したような気分でした。

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思い出すこと

これは娘のために作っているのですが、ふと思うと、昔の私に作ってあげている気もするのです。よく食べる三人の子ども達と17年続いた毎朝のお弁当作り。体操服にゼッケンを縫い付けたり、宿題を見たりしながら、台所では寸胴の鍋の中でコトコトと料理が音をたてています。忙しいのに、仕事もしながらよくやってたなぁ、わたし。そんなことを思うと、娘の今の忙しさや気持ちが、当時の私に重なって見えるのでしょう。大量の料理はあの頃の私への差し入れでもあったようです。

台所は、そこに立っているだけで昔の自分と出会ったりするタイムマシンのような不思議な空間でもあります。


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