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011_My Life①

I hate humidity!!!!!!

と叫ばずにはいられない最近。
梅雨なんて1番嫌いな季節だし、これからマスクをつけて外出することを考えると、湿気は控えめにして頂きたい←独りよがりの願望w

さて、My Lifeとタイトル付けて書き始めたんだけど、BBAになってくると……ゲフンゲフン、
えー、年を重ねてくると(意味同じやないかーい!)小さい頃の記憶とかが、勝手に美化されることない?
いや、小さい事の記憶に限定しなくてもいいんだけど、例えば昔付き合っていた人との記憶とか、都合よく美化されてることない?

え?私だけ??←

私、たまにあるのよ。
だから、どこかに書き残しておこうかなと思って。
でも今までの記憶全部書くと、まぁまぁ長編だし自動的に年齢大公開になっちゃうから、23歳までにしておこうかな?
それでも何回かに分かれるなこれ(笑)

元号は昭和。10月の末、午前5:55。
私は御茶ノ水のとある大きな病院で産声をあげました。
母親が病院へ行ってから5時間で生まれた、母体に優しい赤ちゃんでした。
(本当は病院着いてすぐに破水してしまい、早めに生まなければ危なかったらしい。)

我が家は祖母、祖父、母親、父親、叔父、叔母、私、犬の7人家族。
まるでサザエさん。
父親は代々続く酒屋の長男。
ほんのり跡継ぎを期待していたのに、生まれた子が女児と聞いて、がっかりしやつが数人いたらしい。
(いやまずは、無事に生まれたことを喜べよ←)
望まれなかった女児はそんなことを気にせず、すくすく育ちました。

とにかく外で遊ぶのが好き。
幼稚園が終わって家に着くと、帽子を通園かばんを放り投げて速攻遊びに行ってしまう子でした。

そんな半分サルのような幼稚園児も、お受験の嵐に飲み込まれることに。
(本人全く望んでませんでした。)

小学校受験の塾に通わされ、ひっかけ問題満載の模擬試験を受けさせられ(小学校なんて落とすための試験だからね)

2校受けて(仮にAとBね)両方とも合格したのに、母親がAを、父親がBを気に入らず、結局公立の小学校へ。

ねぇ、なんで受験させたの?←

小学校入る前に、母親は私を連れて家を出ました。所謂、別居というやつです。私の父親は娘の私が言うのもなんだけど、まぁダメ男で←

ギャンブルやるは、酒は飲むは、女癖は悪いはの三冠王!(笑)おまけに金にもだらしないし、家族旅行に行ってもビーチでナンパを始める猛者なんですわ。

そんな男に三行半を突きつけた母親は大正解。なので、父親と暮らしたという記憶はかなり薄めです。むしろ、家に父親がいるという生活があまり想像できないw

元気なのかしら?あの人←


今日はこのくらいにしとくか。


My Life、続く……


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