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012_My Life②

小学校は成績も良かったし、スポーツもできてまぁまぁ優秀だった。
若干おてんばだったので、学校の中庭にある池に落ちてみたり、図工の時間にカッターで手のひらを思いっきり切ってしまったり、数々の伝説は生んだけどw

クラブ活動は音楽部に入り、小学3年の時に新設されたブラスバンドへ入り、トランペットを4年間担当し、入学式、運動会、文化祭、卒業式なんかで、演奏してた。
週末は地元にある軟式野球の女子チームに入っていたので、その練習。
他にも水泳教室や器械体操なんかもやってたし、冬にはスポーツ教室主催のスキー合宿(かなりのスパルタw)にも行ってた。

そんな楽しい小学生ライフを送っていた9歳。
今まで住んでいた小学校近くのマンションから、電車で30分近くかかる区へ引っ越すことに。
転校はしたくなくて、なんとか小学校卒業までは越境通学を認めてもらえることに。

そしてあんだけ小学校お受験で大騒ぎして、結果区立の小学校へ進んだのに、今度は中学のお受験に挑まされることに。

母親としては大学までついている学校に中学から入れば、受験で何度も苦労することもないし、別居している父親は養育費(学費含む)と生活費を払う約束をしていたらしく、まぁ今思えば学費の高い学校ばかり選んでいたなぁ my mother←

9歳の私はそれを「いや」とも「いい」とも言わずに、小学校と塾をせわしなく行き来する日々が始まる。
でも、好きだったブラスバンドと野球は続けたくて、塾の成績を下げまいと頑張った。
平日は学校の授業と部活の練習が終わると、母親が待っている小学校最寄り駅の喫茶店へ。そこでご飯を食べて、ランドセルと塾のカバンを交換して塾へ。もちろん学校帰りに友達と遊ぶこともなくなった。週末も野球の練習が終わると塾へ。
もしかしたらこの時期は人生で1番忙しかったかも。

受験勉強は楽しいと思ったここはない。
ただ、塾での勉強は学校より進みが早いので、学校での授業は楽だったし、小学校の成績が安定するのは受験に有利。
でも「受かりたい」というより「受からなきゃ」というプレッシャーの方が強かった。

小学校6件になると、受験勉強がヘビーになってくる。週末は模擬試験、学校別対策のクラスが始まり、休みの日は1日中塾に缶詰め。
夏休みの旅行もお預け。この年だけは自分の誕生日のお祝いもなかった。

母親に対して文句を言ったり反抗したりはなかったけど、小学校6年の冬、気づいたらノイローゼになっていた。
自分の部屋にあるものをカッターでズタズタに切り裂いて、母親に怒られてもなんの感情も湧かなかった。
中学受験は2月1日。そこから逆算してギリギリ間に合うまで、塾と学校を休むことに。

学校を休んでいる間、担任の先生がも毎日のように電話をかけてきてくれた。別に励まされるわけでも、現状をねほりはほり聞かれるわけでもなく、クラスで起こった面白いこととか、ブラスバンド部の先生からの伝言とか。そんななにげない会話にすごく救われた。

完全なオフモード状態で迎えた2月1日からの受験。
結果、第1希望を含む3校不合格。
まぁそうなるわな(笑)
悔しいという感情もあんまりなかったけど、
「どこか受からなきゃ」という気持ちだけは消えなくて、2次募集で高倍率(後で聞いたら18倍だったって)の女子高に合格。
ギリギリ、母親の願いは叶えました←


そんなこんなで、いよいよ始まる中学校生活。
どうなることやら。

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