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被災した珠洲へ―子どもたちの居場所づくりのために

令和6年能登半島地震の発災を受け、カタリバの災害時子ども支援チーム「sonaeru(ソナエル)」が1月3日(水)に石川県へ現地入りし、長期化が予想される復旧フェーズの親子を支援する取り組み準備をスタート。昨日1月4日(木)より、石川県七尾市にて子どもの預かり・居場所支援を開始しました。

私自身も、メンバー2名と一緒に1月3日(水)に能登半島の先端、珠洲市に向かうため出発。
金沢市から七尾市、穴水町を通りながら、珠洲市へ向かっていました。はじめは、ある程度スムーズに車を走らせることができましたが、途中、道路の陥没や家屋の倒壊、道路工事をしていたため、一方通行になっている場所が多く、3時間以上交通渋滞が発生していました。

おそらく有志の方が陥没している道路を埋めてくれている箇所もありましたが、陥没した道路のほとんどはまだ整備されておらず、夜になると路面を確認しながら進まないと危険なため、更に渋滞していました。

金沢市から珠洲市へは、マップによると2時間半程で着く想定でしたが、この時すでに出発してから7時間が経過し、すっかり夜になってしまいました。このまま進むのは危険かつ困難だと判断し、一度作戦会議をするため、途中「のと里山空港」へ立ち寄ることにしました。

到着後分かったのですが、「のと里山空港」は電気も使える避難所にもなっており、多くの方が生活をされていました。

同行していたメンバーと、この後どうするか相談していたら、空港の方が声をかけてくださり、ありがたいことに泊めていただけることになりました。そのため、ここで一晩過ごし、明るくなってから出発することにしました。
空港内は、一部壊れてる箇所もありましたが、安全なところを見つけ、皆さんが生活していました。

地震が発生した1月1日からここへ避難してるというおじちゃんが、世話を焼いてくれダンボールを分けてくれたりしながら、寝床を確保することができました。
(車中泊を覚悟していたので、足を伸ばせるだけでもありがたかったです…)

現地入りする前に調達したもので食事を済ませ、翌日に備えました。
21時になると、寝室のために解放されている搭乗待合室と荷物レーンのある個所は消灯。

そっと見回りしてみると、夜中でも泣いていたり、「寝なさい」と言われながら「寝られないよ」と言ってる子どもたち。そのなかで高齢の方々も過ごしていらっしゃって、みんな気遣いあってこうして生活していくことは、とても大変なことだと実感しました。

この場所にいる方々にとっても、少しでも早く、安心できる環境に戻れますように‥と願うばかりです。

朝6時15分、辺りがまだ薄暗い中、空港の電気がつき始めました。
「朝が来たよー」と空を見る子どもたちと一緒に、朝を迎えました。

7時頃になると空港の人が備蓄米を温めて、避難している方々へ、朝ごはんを出していました。

私たちは、起床後足早に珠洲市へ向かい、無事本日12時頃珠洲市の学校へ到着。子どもの受け入れを始める準備を行いました。

今回は、避難所で過ごしている高校生たちと珠洲市で子どもの居場所を運営している「NPO法人ガクソー」、カタリバsonaeruの連合チームで子どもの居場所となる「みんなのこども部屋」の立ち上げを行っています。
その様子などについては、次の記事でご紹介したいと思います。


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