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目的のない対話、それ自体が宝物

朝日新聞の「耕論」でお話をする機会をいただきました。

あの震災は、当事者として被災した人たちはもちろんそうだったに違いありませんが、よそものの立場で被災地に関わろうとする私にとっても、それまでの経験や信念などほぼ全ての再構築が求められる日々であり、それはとても難しいことでした。
今よりも11歳も若くて、今よりも盲目で、しかも義憤に駆られていた当時の私のような人間は、最も厄介だったかもしれません。
悩みは尽きませんでしたが、それは違うよとか、勘違いしてるよとか、心配しなくて大丈夫だよ!とか、時には子どもたちからも、子どもたちの保護者の人たちや地域の人たちからも、さまざまな事を教えていただいたり、叱っていただいたりを重ねました。

気づいたら、「被災地支援するんだ」というよりは、たまたま被災地だったところで、たまたま出会った大切な人たちが、震災がどうこうというよりは、もともと持っている悩みや課題、または大切にしてきたのに無くしてしまった物事と向き合い直す手伝いをしている、そんな感覚になっていました。

あの頃は子どもだった人たちが11年も経つと青年期に入っています。3月11日が近づくと、SNSをずっと更新していなかった人も、今の現在地の想いをつづっている様子を見かけます。
社会人になっていたり、都会に出たり、地元に残っていたり、お母さんになっていたり、人によっては今になって出来ていたことが出来なくなっている人もいたり、逆にやっと亡くなった人と対話できるようになっている人も、いるようです。

震災から時間がたって慰霊祭がなくなっても、世の中が見向きをしなくなって3月11日の2時46分を忘れても、彼らの人生は続くし、私の人生も続きます。
これからも、あの日々に出会った人たちと、何でもない日を喜び合えるこの関係を、大切にしていきたいです。


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