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【book log】クララとおひさま

カズオ・イシグロ氏の「クララとおひさま」

太陽光発電で動くAI搭載「人口親友」が、人間の心の動きを高度な環境設定含めて情報処理しながら理解を深める。一方、人間の、富裕層の子どもたちは向上処置という遺伝子操作を受け、いい大学に入ることを目指す。
親たちが開くパーティすらも、「楽しさ」ではなく、いい大学にいくためという意図から、バックキャスティングした設定がある。
話題になっているからこれから読む人に失礼なのでこれ以上は書かないけど、私も参加している様々な審議会で「良きもの」としてかわされる「科学的根拠」という言葉について、ここのところずっと悩んでいる。

エビデンスベースで、教育の有り様を検討することは、とても大切なことだと思う。でも、時にデータはどこかに導きたい人の都合で切り取れる。
また、過剰な数値化は、現場が直感的に大切だと信じてやっていることの優先順位を良くも悪くも変え、測れるものに寄った行動をしようと力点をかえる。
エビデンス、といわれるものの扱い方の有り様に、その哲学を見誤ったときに、クララを子どもたちに買い与える社会に近づくように思える。

もはやそれも、時間の問題かもしれないと思わされる不気味さを感じた。

エビデンス、科学的根拠。
それが意図せず現場を支配し管理するための政策づくりに使われるのではなくて、そこにいる人、特に先生や親たちが、目の前の子供たちや学級の様子をしっかりと観察し見立てられる余白をうむための議論につかいたい。
制度やシステムは、人の感性を信じるための環境設定でありたい。


一見、小学校高学年にでもわかるようか優しい文体の本。
広告には「人工知能ロボットと少女の感動物語」と書いてある。

しかし、私の杞憂は的外れかもしれないけど、今私たちが良きこととして判断しているいろんなことに、疑問符をつきつけているように見える。
あれこれつながって見えてしまい、そこも奇妙な気持ちになった。


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