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愛知登文会の勉強会に協力しています🥀

たとえば丹後震災記念館や旧口大野村役場など、丹後半島にもかつてを物語る風景のひとつである貴重な建物が、保存及び活用の課題に直面しているものがたくさんあります。仮に文化財建造物に登録されたとしても、古い建物を使える状態・できることなら良い状態で、維持することは様々な課題があり、多くの所有者が悩みを抱えています。
こうした歴史的建造物の所有者が、その保存活用を推進するために結成した団体のひとつが「登録有形文化財所有者の会」略して「登文会(とうぶんかい)」。その中心的活動を担ってきた地域のひとつは、愛知県。平成23 年6 月に結成された「愛知登文会」では、所有者相互による情報交換や先進事例の見学会や一般公開、表彰など、積極的に様々な活動を進められているのですが、昨年2023年からそこに加わった活動のひとつが「ウィキペディア勉強会&ワークショップ」です。保存活用を推進するためには、まず、その存在を広く知ってもらうことが大切だという気づきからスタートし、図書館総合展での発表をきっかけに、オンライン百科事典Wikipedia の講師としてお手伝いすることになりました。きょうは、今年最初の勉強会のレクチャーのため、愛知県立大学サテライトキャンパスを訪問しています。

【企画案内と講義スライドはこちら】

さて、キャンパス訪問に先立ち、立ちよったのは名古屋市「文化のみち」エリアにある旧川上貞奴邸。この記事冒頭の写真の建物で、愛知登文会の勉強会&ワークショップのテーマである登録有形文化財建築のひとつです。川上貞奴は、19世紀のニューヨークで公演期間中に体調を崩したら役者に代わり、ピンチヒッターとして舞台に立った元・芸妓で、その高い教養と日本舞踊で西洋の人々を魅了し、日本初の女優として活躍しました。1900年のパリ万博にも登壇し、その芸の高みはエッフェル塔より高いと絶賛された女性です……と、ここまでは世間によく知られた話ですが、このパリ万博で川上貞奴が着ていた着物がいまの京丹後市大宮町口大野で織られた絹織物だということは、案外知られていないかも。

川上貞奴は丹後ちりめんのいわば<観光大使>の役を担い、パリ万博に出品された丹後ちりめんは完売、その後、ちりめんの海外輸出は激増し、丹後ちりめんは「仏蘭西ちりめん」とヨーロッパで大人気となりました。ということは、名古屋市の旧川上貞奴邸のガイドには書いてありませんが、くみこう図書館にある丹後ちりめんの図書資料にはちゃんと書いてあります。
歴史って、様々な角度から眺めてみると、こんなふうに一見無関係に思われたものが、意外なところで繋がっていたりして、おもしろいですね。みなさんも何かを見たり聞いたり調べたりして、意外な繋がりを発見したら、ぜひ教えてくださいね!

1900年パリ万博の川上貞奴のポスターと舞台衣装


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