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私の三間飛車

 三間飛車戦法

 それは、私の得意戦法であり、ウォーズ二段昇段への原動力になった戦法です。しかし、メイン戦法を三間飛車に変えたのは、ここ2年前くらいです。本記事では、どうして三間飛車が得意であり、好きになったのかを振り返りながら語っていきます。

平成18年頃の得意戦法

 平成18年の夏頃、将棋を覚えました。当時は、戦法など何も知らず、ただただルールに従って指すだけで精一杯でした。でも、考えるのが好きで、ドンドン将棋にのめり込んでいきました。
 秋頃になると、青野先生の棒銀戦法の本を買い、面白い!と目を輝かせながら読んでいたと思います。中学生だった私はほぼ毎日、昼休みに友達と将棋を指し周りには敵がいないくらいの実力に成長しました。とは言っても、棋力は今でいうウォーズ5級くらいだと思います。

平成19年から平成21年頃の得意戦法

 平成19年には高校将棋部に入部しました。そこには、自分より強い人が沢山いて驚きました。中学時代は周りに敵なしだった私の天狗の鼻を折られた気分でした。顧問の先生も、アマ四段の強豪でした。
 当時のメイン戦法は、四間飛車でした。つまり、私は平成19年から令和4年の今までの15年間、ほとんどずっと振り飛車党という訳です。四間飛車を始めた理由はいろいろありますが、一番大きい理由は前年のNHK杯で四間飛車党の窪田先生が大活躍されていたからです。また、振り飛車というのは、①角道開ける②角道止める③飛車を振る④居飛車側が飛車先の歩を伸ばしてきたら角を上がる⑤美濃に囲うの5つのポイントさえ押さえていれば、最序盤から必敗形になることは、ほとんどないことにも魅力を感じました。
 平成20年の県の高校新人戦では、参加者100人以上居る中、ベスト16に入りました。運が良かったとはいえ、大好きな将棋で結果を残せてとても嬉しかったのを覚えています。この頃には、居飛車はほぼやらなくなり、生粋の振り飛車党となりました。当時の棋力は、ウォーズ3級くらいだと思います。

平成22年頃~平成25年頃の得意戦法

 平成22年には地元を離れて大学に進学しました。もちろん将棋部に入部しました。そこには、県代表に何回もなったことがある同期のN氏も入部しました。N氏と初めて対局しました。私のノーマル四間飛車に対して、居飛車穴熊を採用してきました。結果は完敗でした。メタクチャ強い!という感想を持ちました。その後、N氏と何度対局しても、フルボッコにされました。当時NHKで、阿久津先生が石田流の講座をしていました。石田流をやってみようと思い立ち、久保先生の「さばきの極意」で定跡を学びました。
 当時のプロ棋界の振り飛車は、先手なら石田流、後手ならゴキ中や角交換振り飛車が流行していました。私も影響されて、先手なら石田流、後手なら角交換四間飛車をメイン戦法に変えました。N氏と対局しても、序中盤はまずまず戦えるようになりました。と言っても、終盤力が桁違いなので、すぐに逆転されましたが(笑)
 平成25年頃、将棋ウォーズを始めました。2級で止まりました。

平成26年~令和元年頃の得意戦法

 平成26年に就職しました。この年にウォーズ初段になりました。この頃の主力戦法は、先手なら石田流または先手中飛車、後手なら4→3戦法またはゴキゲン中飛車を用いていました。仕事が激務で、将棋をほとんどやっていない時期もあり、棋力は停滞していました。平成31年には、転職を経験しました。令和元年7月にTwitterを始めました。これが大きな転機となりました。

令和2年~現在の得意戦法

 山本四段がノーマル三間飛車で、振り飛車党の天敵である居飛車穴熊に快勝している棋譜を見て、ノーマル三間飛車をメイン戦法にしました。私に合っていたようで、ドンドン勝率があがりました。リアル大会でも、三間飛車1本で戦い、優勝したこともありました。

 そして、令和3年7月12日に約7年ぶりに昇段し、ウォーズ二段になりました。三間飛車は私の得意戦法であり、一番好きな戦法です。

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