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町の文化人が集う月並祭

荒れ果てた金刀比羅神社が再興してから約12年間。
毎月欠かさず9日の夕刻より、月並祭宵宮が執り行われております。

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祭事の時だけ、提灯と幕を飾ります。

山頂に向かう参道を灯す提灯のあかりは、眼下の青梅駅からも確認することが出来、毎月9日の夜だけ明かりが灯るため「今日はこんぴら様の日だね」との便りが届くと、その風情の有様に何だか胸の内にもジワーっと温かさが灯ります。

毎月の月並祭後の直会は、その時その時ご参列いただいた方々との一期一会の文化サロンと化します。

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本日、令和三年葉月の月並祭こんぴらサロンは紙芝居「青梅物語」
とても幅広く素晴らしい内容でした☆抜粋して掲載します。

青梅市の成立と戦争を経て現在に至るまで

明治27年 立川から青梅に鉄道が通る。
宮ノ平・日向和田の石灰を運ぶことが主な目的であり、現在の和田神社が昔の日向和田駅であった。
昭和10年に御嶽山ケーブルカーが開通し、昭和19年に奥多摩駅まで出来上がる。
石神前駅前は観光を目的とした「楽々園」が建設され、プールやバラ園、動物公園などがあり賑やかだったそうです。

明治30年 多摩川初「万年橋」架橋。
2番目に友田の多摩川橋、続いて千ヶ瀬の調布橋が架橋、その後も続々とたくさんの橋がかかったことが地域の発展をもたらしました。
橋の下を飛行機が飛行することもあったそうで、その度盛り上がったとか。
大正7年には河辺下にフランスの飛行機が不時着し、みんな総出で砂利をならし再離陸に協力したそうです。その時の写真が河辺春日神社にあるそうですので、いつか拝見したいですね☆

昭和20年 B-29が柚木へ墜落
品川国民学校の子供たち1192名が青梅へ疎開してきていたそうで、各町の公会堂がその宿舎の役割を果たしていました。
文豪吉川英治もその頃青梅にて執筆活動をされていて、墜落した米軍機のパイロットを町人が責め立てるなか、「この人のせいではない」と止めに入ったというお話があるそうです。
時期的なものも重なり、戦時中の貴重なお話もたくさん聞かせていただきました。死の危険が身近にあったこの時代。防空壕の中など今では想像もつかないような生活を実体験されてきた方々に頭が下がる思いです。

昭和24年 青梅~荻窪間を都バス開通
お祝いパレードで賑わい、花火大会もその一環として始まりました。

昭和26年 青梅町・霞村・調布村が合併して「青梅市」に
昭和30年 吉野・三田・小曾木・成木が吸収合併され現在の青梅市へ

この頃の青梅市は大変な賑わいで、映画館(大映/キネマ/セントラル)もあり、多摩川競艇が始まり、鉄道公園や永山グランドが出来ました。
ちなみに福島県の猪苗代湖と同じ面積だそうです。

昭和41年 西多摩地域としては先駆けの市民会館の開館

昭和42年 誰でも参加できる大衆マラソン「青梅マラソン」の開催
奥多摩渓谷駅伝の方が歴史は古いそうです。

昭和43年 産業観光まつり開催
雨が多いのは、グランド造成で追いやられた金刀比羅様の祟りだと言われたこともあったそうな(苦笑)

昭和44年 カヌー大会の始まり

昭和46年 河辺下グランド・福祉センター・プラネタリウム建設

昭和47年 青梅駅前に長崎や開店

昭和55年 総合体育館開館

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なんせ青梅生まれ青梅育ちチャキチャキの青梅っこ80代の方々が聴衆されているもので、紙芝居がここまで進むのに盛り上がる盛り上がる話が脱線して進まない進まない笑

今日はここまで!といった感じで終わりました。

本当に素敵なお話会をありがとうございました!

今回の直会では、齊藤先生より”金刀比羅様が神奈備とされる神聖な地形のお話”もしていただきましたが、そのお話はまた次の機会に!



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