フェイクニュース

「フェイクニュース」がここ数年ずっとキーワードとなっているが、「なぜこんなにも?」という疑問が絶えない。あまりにも社会が成長しないからだろう。いや、正確には堕落しているからだと思われる。
世の中の人々の知識量が尋常じゃない程に減り、複数の角度から捉えるというものの見方ができなくなったのが原因としか今のところ考えられない。
かつてフェイクニュースは、笑いのネタであっはず。噴飯ものの怪しい記事で笑いをとるというのがフェイクニュースであったはず。
それが今となっては血相を変えて「嘘だ」「本当だ」の応酬。側から見ていてため息が漏れる。
さらには「フェイクニュース」だとふれまわれば、その発言が支持され、フェイクになる。
世の中はフェイクニュースを信じたいのか、信じたくないのか?なんとも不思議な状況である。
二十歳くらいの人に、冗談を言ったら「ウソ?!」というリアクションが返ってきた。
嘘か本当かで世の中見ていたら、エンタメは全てウソなる。「手品で物が消えました」も、「ウソだよ、消えてなかない」となるし、漫才のボケなんて「ウソ」だらけ。
笑いや冗談が通じない。なんとも恐ろしい状況である。架空の空間に対しての理解がなさすぎる。そもそもこれは頭で理解することなのだろうか?
本当のことだけを見て生きていきたいとでも考えているのだろうか?信じたいものだけ信じる。いや、少し違うな。
おそらく自分の考えや意見などなく、なんとなく自分が好むものを「後付け」で、自分の「意見」と言い張っているだけ。それにそぐわないものは受け入れない。なぜなら「ウソ」だから。結局のところ、思考すること、知識を蓄えることから逃げたいだけなのだ。
それはもはや「人間」ではなく、ヒト科のナニカかでしかない気がする。
人間社会はいつの世も頭のあったかいヒトに支配をうける。
ユートピアに生きるヒトをみて味わうデストピア。ヒトは本当に成長しないものだ。
そう痛感した1週間であった。

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