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笑顔咲ク日

【コトバノチカラ】

相手を喜ばせたり、怒らせたり、悲しませたり、楽しませたり
口から発せられた言葉でその人の全てを決めつけられたり、時には人を生かす力や殺す力すら持っている

嘘を本当にするのも本当を嘘にするのも

「言葉の力」

そして

「言葉の怖さ」

だと思う

言葉は完璧なモノで使い方を間違っているのか?

それとも

言葉は不完全だから誤解を招くのか?

そう問われたとしたら、ボクはきっと後者を選択するのだと思う

決して否定的な意味合いではないのですがね

【素敵な言葉に出会いました】

こちらはTwitterのフォロワーさんが公開していた画像です

この言葉のひとつひとつが心に刺さり、御本人様の許可をいただき引用させてもらいました

たぶん…

この中の言葉にひとつふたつと共感できる方もいらっしゃるかと思います

実は今日(令和2年6月24日)という日にこの言葉に出会ったことに《運命》めいたものを感じたのです

先に公開しているnoteの中にも書いてありますが、この日は子供の命日になります
そして、6月は日にちは違いますが奥さんが亡くなった月でもあるのです

一番怖いのは、忘れ去られること。

これは表記された言葉の意味とは少し違うかも知れませんが…
ボクの人生はこの6月のためにだけ生きているのだと思っています
だから…これから先に病気や歳をとって

《二人を忘れ去ること》がとても怖いのです

一番悲しいのは、別れてしまうこと。

大前提に《大切な人》というのがあるとは思うのですが、二人を失った当時のボクにこの《悲しい》という感情はありませんでした
《誰かを残して死ぬ》という恐怖心も無くなって、それよりも直ぐに会い行かなきゃとしか思えなかったのです
そこで上の《一番怖いのは忘れ去られること》に繋がるのだと思いました

「私達との時間を無かったことにしないでよね」

そんな声がしたのかも知れません

一番寂しいのは、会えないこと。

子供の成長もですが、あの生意気で強情っぱりでそれでいて優しい彼女が歳を重ねてどんな女性になったのか
ボクの中で時間が止まっている彼女たちの未来に会えないのは…やっぱり寂しいかな

一番悔しいのは、伝わらないこと。

子供が生まれた時、この子は一生笑うことも泣くことも出来ない…そうお医者さんに言われました
彼女は母親として1年間一生懸命子供を育ててきたと思う
ボクも含めて他人は「気持ちは届いているよ」そう彼女に言うしか無かった
三人で買い物に出掛けても鼻にチューブを差してる子供を好奇の目でみられて

「お子さんどうされたの?」

そんな言葉にいちいち笑顔で応えていた彼女
僻みなのかもしれないけど

「ボク達は普通にしているだけなんだ」

それでもやっぱり…そういう気持ちは伝わらない

一番楽しいのは、共に過ごすこと

誰かと時間を共有して楽しい時間はたくさんありました
泣いたり笑ったり怒ったり喧嘩したり…

それでも

彼女と出会ってから一緒に過ごした日々より素敵な時間はボクは知らない

だって三人で過ごした時間は楽しいなんて少なかった
二人で泣いて泣いて泣いて泣いて…それでも

「幸せの敷居を少し低くして」

幸せを見つけること笑顔でいられることに

《いのちの理由》

をみつけたから…共に過ごしたそんな素敵な時間

一番幸せなのは、出会えたこと。

ボクよりも向こうの二人がそう思っていてくれていたら…

【笑顔咲ク日】

子供が生まれて笑うことも出来ないと伝えられてからボク達は決めた

「ずっとこの子に笑いかけて三人で笑って生きよう」と

そして子供が亡くなった今日も二人で決めた

「この先も写真に笑いかけて三人で笑って生きよう」と

そして、彼女と話せた最後の日

「この先も私達に笑いかけて三人で笑って生きよう」と

そう約束したからね

君の遺した《コトバノチカラ》はすごいね

見えてるかな?

ボクはちゃんと笑ってるよ

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