幸せの軸は自分の中に

実家に帰省し帰ってきた1月上旬から、今現在3月下旬まで、
私はこれまでになく大鬱状態だった。

以前からあった過食だけでなく、気分の変動が激しくなり、
人に会いたくなくなったり、逆に無性にさみしくなってかかわりを求めたり、、
また自分の容姿が前以上に見ていられなくなり、人の前に出たくないという気持ちにもなった。

3月も下旬になった、あまりに寝すぎてしまったある日。
なんとなく片づける気になって片づけていると、部屋のインテリアを更新したくなった。

家具を売っているサイトとインスタのインテリアを紹介しているアカウントを往復してみる。
「こんな部屋つくりたいなあ」と思うイメージに出会えた。
自分にとって久しぶりに、自分の中だけで完結する(外見に関係しない)願望だった。

テンションが上がり、ベッドカバーはピンク、カーペットはブルーを選びたくなっているから、もしかしたら気分が高まっているときにありがちな極端な選択をしようとしているかも、と少し不安にもなったが、やっぱりとてもわくわくしていることに間違いはない。

家でまともな生活ができていなかった最近の私を変えるためにも絶好のチャンス、これはノるしかないと思った。

こんなポジティブな感情とともに、少しだけ自分を冷静に考えることができた。簡潔に言うと、
「幸せの軸を自分の中にもたないと苦しい」ということだ。

最近の私ときたら、本当にグラグラしていた。
マッチングアプリで会った、大した関係性もない人間からのlineや一挙手一投足に「この人はいったい何考えてるんだ」と悶々とする日々。
「この人は私のことが好き?」「私はこの人をどう思っているの?」
人の気持ちとかいう完全に理解できないもののことばかりを考えて一喜一憂する。
その一回一回はなんてことなくても、それがずっと続くのは結構なストレスだったのだろう。
(たいていこの手の人たちはいわゆる”思わせぶり”なのだ)
気付かないうちに、私はそんな軽薄な関係性に依存していた。

見捨てられたくない、離れるなら自分からがいいとか。
相手より自分の方が相手を大切だと、会いたいと思っていたら嫌だとか。
自分軸がもともと弱いことの影響も大きいし、不安定な関係性の上でのそんな不安定な感情なんて最初から余計なものだった。
いつ消えるかわからないような男たちのことを真剣に考えるなんて馬鹿げている。
軸も自分軸も弱い私が踏み入れて楽しめるものではないのね。

また自分軸で、自分の楽しいこと、したいことをすることにする。
やりたいことが見つかったなら、全力で捕まえて放したくない。

でもそんなことをしていたらきっといい人も見つかるんだ、結構そういうもん。好きなことに全力な女性って私からみてもかっこいいもんなあ。

ついでに就活中なんだから、自分と向き合うという意味でもいい機会な気がする。これは楽しくはないし何ならしんどいけど、価値はあることだよね。

今回のことでわかったこと。
自分がなく、自信もない状態だと、外部にそれを埋める何かを求めようとしてしまうのだろう。
心配事があってどうにもならないとき、友達に飲みに行こうと誘うような感じ。
別にこれは悪いことじゃない。友達なんて支えあってなんぼってところもあるし、なにより安定している関係性なはずだ。

けど今回みたいな軽薄な、しかも恋愛感情も関わる不安定すぎるものだとどうなるか。
さみしさや、非充実感といった、ただでさえ安定しない感情の穴埋めに、浅い関係性の対象をあてがう。
一度は埋まる、でもすぐにどこかにいってしまうかも、いなくなってしまうかも、と不安で仕方がなくなる。
だからしんどい。

アプリは知らない人、普段関わらない人と会えるツールとしても楽しかった。たぶん得たものも多いだろう。
でも、その楽しさのためにわたしがアプリを再開するためには条件を付けることが必要だ。
・趣味とか仕事とか、熱中できるものをもっていること
・内面容姿ともに「自分結構いい感じじゃん」と思えるくらいには自信を持っていること
・一度しか会っていない人のことを信用しすぎるな、と自分に念じることができること

まあこんな条件、難しすぎてしばらく無理だろうけど(笑)
一人でもうちょっと楽しめそうだから今はオールオーケーてことで。


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