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文化財保護委員会会議 2015年7月22日 (愛川町日記 2015年7月24日から転載)

二回目の傍聴


第二回文化財保護委員会会議。

一回目も傍聴したので初の連続傍聴。

歴史のお話は好きだし、前回「ぜひ次回も傍聴に来てください」と言われたので、二回目。

しかも、

今回は




愛川町郷土資料館で開催です。

現在、戦争関連の企画展を行っていることもあり、審議会前に委員全員でそれを見る時間がありました。

おかげで私の若干の遅刻もなんとか間に合いました。





1年に1本

まず、最初の議題は



これと



これ。

「石柱」と「案内板」です。

よく町内で見れますね。

「石柱」ではなく「金属製の杭」もありますが、どちらも前面に文化財の名前、側面に文化財の由来が書かれています。

「案内板」は見たまんま。高札風のものに手書きで文化財の薀蓄が書かれています。中には長い歳月の中で文字がかすれたり、表面が剥げていたり。

さびやなどで傷んだ標柱を石柱にかえる「標柱石柱化」計画。



案内板を修理する「案内板の修繕」計画。


この二つが最初の議題です。


まずは「標柱石柱化」

愛川町には73の標柱があり、うち70%の53本が石柱化されています。


最近の石柱化を見てみると

22年度「信玄道」
23年度「水道道」
24年度「栗沢」
25年度「浅利明神・浅利墓所入り口」
26年度「伊保坂」
27年度「深堀沢」

ときて

28年度「滝の沢」
29年度「隠川沢」
30年度「一里坂」
31年度「近藤坂」
32年度「両向坂・両向新道」

と計画されています。

1年度に1石柱。

ま、確かに立派だし、お金がかかっているみたいなんでそんなもんですね。

案内板は町内48か所にあります。例年2枚ずつ修繕されますが、「2枚ずつなど間に合わん!」、ということで

その中でも「桜坂」(角田)「三栗山牛松」(三増)、「小沢渡船場」(角田)など10枚を平成28年度、平成29年度が修繕されます。

石柱化にせよ案内板にせよ、「文化財的価値」よりも「場所(人が訪れる場所)」「傷み具合」のほうがピックアップされた文化財が多いですね。

確かに「桜坂」はいいお話なのに、近づいても読めない案内板ですからね。

文化財に興味を持ってもらうためにも修繕・石柱化は進めてほしいです。




やはり「三増」は重要な文化財


案内板修繕の中に「三増合戦のあらまし」の案内板も候補に挙がっていました。(修繕決定)

三増の合戦場にある案内板です。

こちらは「修繕」というか「見やすくできないか」ということ。

大きくしたり、フォントを変えたり。

これは次の議題「三増合戦パンフレット改訂版について」につながります。

10数年ぶりに「三増合戦パンフレット」が変わります。

「あ、そんなのあったんだ」と不勉強な私は思いましたが

今回、内容も含め見直されます。

大まかにいえば「三増合戦前後のお話」「合戦中のお話」「三増合戦関連文化財のお話」の三つに分かれています。

前回のパンフレットが基になりますが、表現や写真などが変わり、サイズも大きくなり見やすく、私としてはおすすめな感じです。

三増合戦は戦国史に名高い大規模山岳戦。しかも、「武田信玄対北条の若手」とあれば私のような歴史好きにはたまらない文化財ですね。

多くの歴史好きのためにもこのパンフレットがいいものになり、たくさんの方が三増に来るといいですね。

しかし・・・・

武田関連のこういうものは大概のおおもとの資料は「武田による武田の為の武田の歴史書」で名高い『甲陽軍鑑』がもっぱら。

パンフレットは「甲陽軍鑑」と「北条記」と「関八州合戦録」が使われてますが、

やはり「甲陽軍鑑」。
やはり「武田目線」。
やはり「武田びいき」

ま、北条はどちらかというと玄人好きしそうな武将だからな・・・
武田は万事派手だから、人気がありますしね。

いっそのこと「北条から見た三増合戦」「武田から見た三増合戦」の二つのパンフレットでもつくりますか。



宝の山?

この二つの議題で今回の審議会は終わりました。

雑談的に話題は「愛川町郷土資料館」のお話に。

上の方の写真に出ている郷土資料館のゾウの化石(レプリカ)は正式には「ステゴドン」というゾウで、おおもとの骨(レプリカの下にあります)は、昭和62年に小沢で見つかった神奈川県最古のゾウで神奈川県の天然記念物。


同じ地層でステゴドン発見から四年後には猿の化石が。
これまたものすごい発見。

読売新聞の記事を引用すると

「神奈川県内で見つかったサルの化石が、これまで確認されていない新しい属のサルであることが、京大霊長類
研究所(愛知県犬山市)の西村剛准教授(霊長類形態学)のグループの研究でわかった。

 ニホンザルしか生息していない日本国内に別のサルがいたことを裏付けるもので、論文は昨年、人類進化学の
国際専門誌「ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション」に掲載された。

 生物の分類で、属は種の一つ上のグループ。西村准教授はこのサルを「カナガワピテクス(神奈川のサル)」
と命名。化石は1991年、神奈川県愛川町の約250万年前(鮮新世)の地層から地元の古生物学研究者が
見つけた頭蓋骨の一部(高さ約6センチ)で、ニホンザルより一回り以上大きい。

 フランスなどヨーロッパやアフリカで見つかった化石と似ており、大きさや形からニホンザルとは別の
グループと考えられていた。

 しかし、世界各地に分布しているサルでも、一つの仲間だけが広範囲に分布する例は珍しく、西村准教授は、
このサルが当時、日本を含むユーラシア地域に広く分布していたかどうかを再調査した。

 化石をコンピューター断層撮影法(CT)で詳しく分析し、基準となるフランスの標本と比べた結果、標本に
はない、鼻腔(びこう)の周りの空洞が確認された。現在、東南アジアに生息するコノハザルやテングザルなど
近い仲間にもこの空洞がないことから、西村准教授は新属と断定した。

 新属の意義について、西村准教授は「かつて日本にニホンザル以外の独自のサルの仲間がいたことが証明され、
サルの系統や分類を見直すきっかけになる」としている。

 発見当時、この化石を鑑定した岩本光雄・日本モンキーセンター元所長(自然人類学・霊長類学)は
「ニホンザルと別の系統だとは分かっていたが、新属と断定できなかった。最新技術による研究成果。
どんな進化をたどったのか、今後さらに研究していく必要がある」と話している。 」

というわけで、こちらも神奈川県の天然記念物。

その他、サイの化石、サメの化石など愛川町の地層からは天然記念物がザックザック。

詳しくはこちらを見てほしいですが、「もっと積極的にアピールしてほしい」という委員さんたちの声には納得。

しかも、これらはだいたい似たような場所から発掘。



ここらへん。


あれ?
ここは・・・

いま、高田橋の工事をしてますよね?


当然、工事前に文化財の発掘調査を・・・・

「してません」


ええ・・・?

一瞬耳を疑いましたが・・・

まだまだ新しい発見があったかもしれないのに・・・

ま、土地の所有の問題や文化財保護法の問題はありますが。

急いで工事をしなくてもいいのに・・・。政治がらみでもあるんですかね。

少し残念な話でした。

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