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「密」はもう無理〜蕎麦屋さんで感じたこと。

自炊生活を続けているが、どうしても蕎麦屋のお蕎麦が食べたくなり、ひとりで近所の店へ。久々の外食。

もとからあまり好きなお店ではなかったのだけど、コロナ後に入ってみるといろんなところが目について「もう無理」となり、来たことを後悔した。

入店するといきなりスタッフの方にプッシュ型の消毒液で消毒するよう言われた。まあ、これは当たり前なので言われた通りに。この店はコロナ対策が徹底しているのだなあと思ったが、実はそうではなく、その真逆だった。

店はお昼どきでも思ったより空いていた。カウンター席に案内され、隣の人とひとつ置きに座らされる。ガラガラのボックス席がいいなあと思ったけど、なにせ一人だから、わがままは言うまい。一席おきでもまあまあ近い。男性のお蕎麦をすする音が気になってちょっとソワソワ。

このお店は結構広くて、閉口するのがスタッフがとにかく大きな声で「○名様ご案内しました〜」とか「2番さんオーダー入りました〜」とか、スタッフ間の連絡事項を叫び続けるのだ。店側から「大きな声で」と言われているのだろう、スタッフ女性の、無理して張り上げた甲高い声が鳴り響く。ずっと巣ごもりをしていた身にはこの騒音はつらい。

蕎麦屋さんとか居酒屋さんとか、この「張り上げ声」を旨としている店は多いけど、よく考えると内輪の連絡事項を全ての客に聞かせる意味がわからない。声を張り上げなくてもちゃんと回っている店はたくさんあるのに。もし「景気づけ」と思っているのなら、それはもう時代遅れだ。意識が変わったのだ。お客さんのほとんどは静かに食べたいはずだし、あれだけ声を張り上げればマスクしていても飛沫だって飛んでいるかもしれない。コロナをきっかけに真っ先に考えなおし、アップデートするべき部分なのではないのか。

などと考えているとお蕎麦が来たので食べ始めたのだが、次の瞬間ぎょっとした。

隣に人がいるのだ!

コロナ対策で「一席おき」を徹底しているのかと思ったのは私の勘違いだった。「ソーシャルディスタンス」「密を避ける」という配慮ゼロの店だったのである。

隣の人との間、50センチ。2メートルのソーシャルディスタンスがすでにニュースタンダードになっている私としては耐えられず、こうなるともう、食べた気もしない。

早々に席を立った。

レジ前にコロナ対策の張り紙があったので読んでみると、たしかにアルコール消毒や換気のことばかりで「密を避ける」ことは一切言及していない。売上げに影響することはしない、ということなんだろう。それが店の方針なのだから私がとやかく言うことではないが、私のほうでも二度とここには来ないという方針が決まった。

この怒りにも似た不快感は何なんだろう。消毒は強制的なのにディスタンスに無頓着という「わかってない」感、「一応やってます」感への怒りなんだと思う。消毒も大事だけど、やはり対策は「NO密」が肝だ。じゃないと安心できない感覚にすっかり変わってしまった自分に気がついた。

そして、この同じ感覚を持って対策してくれる店と、そうでない店にすでに二分化されている。「密?関係ないよ、気にしすぎでしょう」という人はこの蕎麦屋でも平気なんだろう。

つまりそれは、「密」という身体感覚において、人がはっきり分断されてしまったということなのだろうか。

いずれにせよ、やはり外食はまだ無理だった。こういう不快な思いをするぐらいなら、家で美味しい蕎麦を作れるように頑張ろうと思うのだった。



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