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2001年11月ミラノで仕事が見つかったけど、家がなかった。

会社まで徒歩で行ける場所にみつけたその名も怪しいABC Hotel という 安ホテルから出勤したのは何日間だったか、1週間くらいか。余談になるが、2021年の今も存在しているのかとググってみたらありました、口コミ2.5で。 「良い点はミラノの中心地にあるというそのたった一点のみ、それに満足できるなら部屋の古さや臭さや暗さには我慢しろ」などという散々の書かれよう (笑)

確か石造りの建物の中の数階分がホテルになっていて、鉄の柵がついているお化け屋敷にありそうなエレベーターでその階に着いても、廊下が真っ暗で呼び鈴鳴らすまで出迎えてくれる人もいなかった。私の持つ全荷物=サムソナイトのスーツケース1個を引きずって部屋に入ると、板張りの床がギシギシ音を立てた。部屋の中に入っても暗かった。唯一明るかったのは曇ったガラス張りの朝食を食べるスペースだったけど、その窓からはコンクリート以外何も見えなかった。初出勤の日、そこの固い椅子に座って不味いコーヒーを飲みながら、仕事をしながらどうやって家を探そうかと考えていた。

ミラノでの仕事の初日、小綺麗にして安ホテルから出勤 (笑) 初日だし、みんなの前で紹介されるかしらなどとドキドキしていたら、誰にも紹介されなくて、事務手続き以外は放っとかれた。ここに座れと言われただけで、仕事は自分で全て覚えていけというような感じだった。 自己紹介は自分から同僚を追いかけて、分からない事は聞きまくり、毎日すこしづつ慣れていった。

さて、家。どうする。仕事が終わってから町中の張り紙を見て歩く。インターネットも普及していない時代、情報は足で探してみつけるものだった。在ミラノ外国人のフリーぺーパー、大学の掲示板、家の前に貼ってあるAFFITASHI 部屋貸しますの看板。フィレンツェでの経験から、私は共同アパートを希望していた。仕事が終わってからミラノの街を歩き回って、情報収集した。

共同アパートはその名のとおり、1軒を数人でシェアして使う事。数部屋あるアパートであれば、それぞれの部屋を間借りして、それ以外の場所:廊下、キッチン、バスルーム、電気機器などは共同で使用する。これにプラス共同の居間なんてあれば贅沢なほうだったと思う。

フリーペーパーに韓国人の女の子が出していた広告            【3ベットルームの1ルームに空きあり、バス、キッチン共同、トラム駅近く、ミラノ中心地まで10分、3階、閑静な住宅地、スーパーあり、当方韓国人女子、家賃。。。リラ(日本円で3,4万くらいだったかな)】

電話をすると、元気な韓国人の女の子の声。日本人なのね、嬉しいわ。欧米の人は煩いから。私はモーダの勉強のためにミラノに来てるの、あなたは?いつ家を見に来れるの?

大したアパートではなかったが、予算の都合上贅沢も言えないし、正直探し回ることに疲れていたのと、自分の家がないという不安定な気持ちにさよならしたくて、そのアパートを借りることにする。それに大事なのは、同居人INQUILINAの感じの良さと信頼できそうな人柄だ。韓国人の彼女は同じ東洋から来ているという事で、お互いに共感する部分があった。

もう一人の同居人は男の子だった。この二人はあまり仲が良くない事が後で判明。私が借りた部屋は、白い壁の、イケアのクローゼットとベッドと大きな窓がある以外は何もない殺風景な部屋だった。その家までバスとトラムで移動したのは、仕事後の夜。その日はとても寒い日で、大した布団も持っていなかった私は、友人にもらったコットンの薄い布団の上に、コートやセーターを重ねて身体の上に乗せて寝た。寒くても、殺風景でも、私の居場所が出来たという満足感があった。明日からこの部屋に私の色をつけていけばいい。まずは、暖かい布団を買いに行かなきゃな、どうやって運ぶのか。



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