嫉妬心というには

夫婦の問題。
嫉妬心。
職場の店主と仲良い問題。

嫉妬は自分の自身のなさだという。
自分に価値がないから、相手を引き留められない。とかなんとか。
過去に女性に不自由したことがない男性も、そういった過去から思い通りにいかない現実にを受け止められなく嫉妬心を抱きがちになるという。

そんなことを見るたびに思う。あながち間違いではないと。
私も実際、20代前半から結婚するまで切れ間なく女性と関係を持っていたし、一般的にいう不自由とかを感じていなかったし、一人の女性に対して思い通りにいかないということもなかったかもしれない。

自分の自身のなさという点では、
先ほど言ったように、女性関係という点では不自由はなかった。
だが、大学のときに腐ってしまい、ついには卒業論文を完成させることができず大学を中退してしまったという過去がある。
そのあたりの経験から、自己肯定感というものが低くなってしまったのかなと思うところがある。
なんでも、あるレベルまではこなすことができるが、一定のラインは越えられない、いわゆる器用貧乏タイプである。大器晩成型だと自分に言い聞かせているが、一つのことに打ち込んで限界を突破できない自分が嫌になるときがある。

そんな自分のバックグラウンドもあるので、
「自分が抱いているものは嫉妬心だ。
それは自分の自身の問題で、妻になにかを強制するものではない。」
と言われてもある程度は受け入れれる部分はある。

だが、この気持ちを一概に嫉妬心として片づけられるのもどうも府に落ちない。

「それは嫉妬心だよ。自分の自身のなさが問題だから、もっと自信をもってどんと構えてようよ!」
っていうのは、あくまである程度良好な関係が築けているということが前提ではないのか、思う。

対して私たちは、

妻→私
・興味が持てない
・前ほどの好きはない。男としては見れない。「パパ」という感じ
・性行為もなるべくしたくない。性欲が沸かない。

友人に、セックスレス3年目という夫婦がいる。
彼も最初は結構悩んだらしいが、今は割り切っているらしい。
話を聞けば、性行為こそないものの二人で晩酌したり、
「子どもに手がかからなくなったら二人で飲みにでようね。」
など、妻のほうからそういったことは言ってくれるみたいなので、こういう形もありなのかと納得したみたいだ。

性行為という一つの愛の形がなくとも、
それ以外で愛情を感じていれば安心できるというものだ。
「この人の将来にはちゃんと自分がいるのだな」と思えるなにかがあればいいのだ。
男は特にそういったものを感じたいのだ。

私の妻には、そういったものが一切ないのだ。
それが良い悪いではないが、
その代わりに私たち夫婦には、以前は週に1,2回くらいの夫婦の夜の営みがあった。
それに伴い事後に二人で会話するなどの「二人の時間」というものがあったと思う。
以前のように夜の営みを二人で楽しみたいという気持ちはもちろんあるが、
極論を言えば、エッ〇がなくとも、違う愛情表現があればいいのだ。

この投稿だけをみたら、まるで妻だけが悪い、ととられそうなので、
ここで書いておくが、
まず最初に浮気をしたのは私で、妻が今のようになってしまった大本の原因は私にあるといっても過言ではない。

だから、
「そもそもの原因をつくったお前がとやかく言うなよ!」
と言われても致し方ないが、
私はその過去のことを十分反省しているし、外に出るときもそういった心配はもうさせないように「連絡を必ずする」「決めた時間に帰る」など
その他にも行動で示してきたつもりである。

話が脱線してきので、
ざっくり話を戻すと、
控えめに言って、今の私たちは良好な関係とは言えない。

私に興味が持てない。
関係を良好にするために二人の時間を作ろうという気も起きない。
妻は言う
「恋人のようなことをしなくていいから夫婦として仲良くやっていきたい」
この字面だけをみれば、まぁそんな夫婦もいるよね。
で、片付けられるが私の今の状況でそれを言われれば、「それはもうただの同居人ではないか、、、」と感じてしまう。

そんな中で他の異性と親密にしているこの状況は、「嫉妬心」という言葉だけで片付けられるのか。

それだけが言いたかった、禁欲5日目。。。。
(好奇心による実験はなかったことにします)


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