美人とイケメン

言葉は触れないとわからない。触れることによってどういう状況(コンテクストって言うんだけど)で使う言葉なのかがわかってくる。

最近実感したのは、「美人」と「イケメン」が分からない。周りが「あの人美人だね~」「あの人イケメン!!」って言ってるのを聞いて、なるほどああいうのが美人/イケメンなのか、って19歳になってやっとこさ学んでる。
頭の中で'感覚'を組み立てることをしてるんだね。(幼い頃は感覚を感覚のままどんどん吸収するけれど)

読者の中には「この人は美人、この人はイケメン、この人はそうでもない」みたいに判断ができる人がいると思うのだけれど、その判断ってどこから培われてきたのかって考えたことはありますか。
おそらく雑誌のモデルが基準になってたり、あなたが人生で関わってきた人の言動から学んできたことだと思う。生まれた時から持っていたものじゃなくて、特別な条件下で獲得してきたものだと思う。

(自分が美しいと思う顔を見てられるのって幸せよね。自分が醜いと思う顔を見なきゃいけないのって苦痛よね。)

まとめると、基準はつくられたものなんだってこと。美人/イケメンは社会的・絶対的に決まってるものじゃない。もっともっと小さな労力で世界の見え方はガラッと変わると思う。例えば付き合う人のタイプを変えるとか、別の国に行くとか。



私は価値観を自由に行き来したい。
様々な色付きサングラスを持ってて、それらを意図的に付け替えるみたいなイメージ。

青色の価値観では相手が何言ってるかわからないし、そもそも理解したくもなかったのに、シャキーン!と黄色の価値観に付け替えたらすんなり理解できた、共感しまくり、

なんてことができるようになりたい。

(サングラスを外したらどうなるだろう。
世界の真の姿とかってのが見えるのかな?それとも太陽の眩しさに視力を奪われてしまうのかな?)

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