少し前の話だが、やや恥ずかしい体験をした。

神社でお参りするときのお作法、「二礼二拍手一礼」。あれを人に見られながらやった。

その日私は、近所の公園でお花見をしていた。屋台を尻目に桜を見ながら歩き、ベンチを求めて彷徨い、桜の木がなくなったところでようやく現れた空きベンチに座り、パン屋のパンを食べた(「パン屋の」の部分が重要)。
気が済んだので帰ろうとしたところ、連れが「トイレに行って帰りたい」というので、すぐそばの神社に寄り、お手洗いをお借りした。
程なくして出てきた連れに、「お邪魔したからお参りして帰ろうね」と言って本殿まで来たのだが、用があった本人はスッと賽銭箱の前から離れた。私は一人になった。境内は閑散としていて私達しかいなかった。

私は連れに見られながら、一人でそのお作法をこなした。

「なにをどうするんだったっけ」とまではならなかったが、たいへんにぎこちないお参りをしたのは確かだ。元来、人に見られていると思うと手が震えて何事もうまくできなくなる性質である。授業で当てられた時は黒板に普段の倍ほど汚い字を書いてきた。
「文字を書く」みたいな日常に馴染みまくった動作ならまだしも「二礼二拍手一礼」である。「私は一体今なにをやっているのか」と一瞬思う。惑う。もはや神様になんと念じたか覚えていない。
そして、小学1年生で初めてピアノの発表会に出ることになり舞台袖からピアノまで歩くところから練習していた時、親から「お辞儀がなんか変」と言われたことを思い出した。何が変なのか分からず本番を迎えたので、今でも「なんか変」なお辞儀しかできないと思われる。

そして少し経った今日、たまたま神社でお参りをしたのだが、人に見られているという意識がなくても、一緒に来た人と一緒にお参りしていても、この日のことを思い出しなんだかむず痒くなった。来年の初詣までには美しい二礼二拍手一礼を身につけたいものである。

それにしても思うのは、なぜ「お邪魔しました」というお参りを私一人でしたのかという疑問である。一向に構わないのだが。そのまま帰るとなんかちょっと気が済まなかっただけだし。きっとした方がいいよね。しらんけど。

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