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体験格差とトラウマ本。正の体験を増やすより、負の体験を減らしてほしい

最近よく目にする「体験格差」に関する話題。

この場合の体験というのは、旅行や習い事だったり、親と過ごす時間だったり、いわゆる質の良い「正の体験」を意味するようだけれど、個人的には「正の体験」を増やすより「負の体験」を減らす方が、子どものためになるんじゃないかと思う。

というのも、楽しかった正の体験よりも、苦々しい負の体験の方が記憶に残りやすい気がするので。

自分の子どもの頃の記憶で、強烈に覚えているのは、眠くもない時間にお昼寝を強制される保育園が大嫌いだったとか、拾ってきた捨て犬を飼うのを親に却下されて号泣したとか、負のエピソードばっかりだ。

正の体験エピソードといえば、自転車に乗れるようになった、泳げるようになったときのあの瞬間。自分の力で何かを手に入れた、お金では買えない成功体験は、やはり強烈に覚えている。

親には申し訳ないけれど、家族旅行や、自分が懇願して始めたはずの習い事など、誰かに与えてもらった正の体験は、さほど記憶に残っていない。

買ってもらったおもちゃは覚えていなくても、おもちゃを買ってもらえなかったことは忘れられない、ということかもしれない。


思えば、自分の子どもの頃の記憶には、ほとんど大人が登場しない。

昭和は田舎といえども子どもがたくさんいて、遊び相手には事欠かなかったし、何なら幼児一人で川や田んぼに冒険に出かけたりしていた。
今だったらネグレクト扱いになりそうだけれど、子どもの世界に大人は無関心で、干渉されることはなかった。

家族や親戚に近所の人、周りには大人がたくさんいたはずなのに、自分のワールド内に登場する大人というのは、世話してくれたり食べ物をくれたりするモブキャラでしかなかった。
スキルやレアアイテムをくれる賢者キャラも登場しなかったけど、許可なく人のワールドに侵入してきたり攻撃してくる敵キャラもいなかった。

決して裕福でも平穏でもない環境で、記事で言われるところの良質な正の経験はしていなかったかもしれないけれど、後にDVや虐待という言葉を知ったとき、大人から叩かれたり叱られたり否定されたりといった負の体験をしていないだけでも、もしかして恵まれていたんじゃないか?と思った。


そして思い出すのが、「赤い靴」という絵本。
女の子が恩を忘れ自分勝手なふるまいを続けたため、死ぬまで踊り続けるという呪いにかかり赤い靴を脱げなくなり、やむなく足を切断してもらうというアンデルセンの童話なんだけれども。

人を裁き戒めるようなストーリー、そしていわさきちひろの優しい絵柄と、切り取られた足だけが踊り続けるイラストの禍々しいコントラスト。
さながら笑いながら人を切り刻むサイコパスだ。

こんなもん、子どもに読ませるなーーー(怒)

幼少期のトラウマの、東の横綱が座敷に飾られていた般若の絵なら、この絵本は西の横綱だ。

自分に与えられた絵本はこれ一冊だけだったのに、唯一の絵本体験がトラウマ本という悲しさよ…

身の回りには本を読んだり買ったりする習慣のある大人はいなかったので、恐らく誰かからの贈りもので、恐らくその人は表紙だけを見て選んで、恐らく親も中をろくすっぽ見ずに与えたんだろうけども。
もし内容を知っていて誰も何とも感じずに贈ったのだとしたら?恐ろしすぎる…

私がオカルトや恐い話が好きなのは、この絵本のせいだ。たぶん。

まとめ:子どもに不必要な恐怖体験を与えないよう、大人は気を付けましょう。


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