優しさの本質とは

お晩です。先月、教習所へ行っていた時の話。
中型免許取得の為10日間ほど教習所へ行っていました。そこは女性教官が多く、そういった教習所は珍しいのではないかと思っています。教習時間になると番号で呼ばれるのですが、とある女性教官が「おいでおいで」と手招きしている姿に可愛いのなんのこりゃ参った参った。教官ダサスーツは女性のシルエット無視、防寒着も平成初期かっ!てな具合ですが、それがまた可愛いのなんのそりゃビビったビビった。中型免許はおっさん教官に番号で呼ばれます、はい。

今回は優しさについて投稿させて頂きます。
一番多く担当になった教官の方はとても大柄な肥満体型でした。その方(以後・太)は表情はふてぶてしく、そもそも指導が雑です。注意、アドバイス全てが嫌味なような言い方はとてもに嫌な気持ちになる。教習所なので気を使うのは当たり前、誰もが違反やミスが無いようと運転しているのは当然のことです。他の教官の方はミスの原因を説明し解決方法をしっかりアドバイスしてくれているのに対し、太はただ怒り口調で指摘してくるのにはこちらも同じく怒りを駆り立てられました。
仮免許を取得し路上講習になった頃、太の嫌味な指導に間がないことに気づいた。ミスをしたら間髪無く言う。言葉を選ぶ思考が無いのでその間は無いである。「この人は思った事がすぐ言葉にでるんだ、その程度の社会性かぁ、ミスしたらまたすぐ口にでちゃうぞ」そう思うと自然と笑みがこぼれ、こちら側の怒りは全く無くなりました。
怒りがなくなった事で他に考える余裕が生まれました。分析です。『なぜ優しい言葉が出ないのか』。厳しい言葉が正義、人に興味無い、それが効果的、交友関係が嫌い。考えようはいろいろ、どれでアプローチするか。『人の評価が気にならない』がふと頭によぎった、何故ならとても肥満体型であるから。大抵の人はやや肥満くらいで見た目や健康を気にしだすが、あそこまで肥満だとその余地はない。教習者はトラック、太は乗り降りはいつも大変そう、息もしずらそう、でも太にはそんなの関係ない。それが太の生き様。怒りが消えた事で、太の言動が読み取れ、自然と太に興味が無くなった。
残された言葉が『優しい言葉が出ないのは、人の評価に興味がないから』である。これを対義語にすると『人の評価が気になるから、優しくする』なのでは。少々ずれはあるのでしっかり対義出来てはいないのだが、一度この言葉が出てしまうとそればかり考えるようになってしまった。何故なら僕が考えた世の中の承認欲求トップ3に当てはまってしまうからである。
1位:カッコイイね・可愛いね
2位:悪だね
3位:良い人だね
良い人と思われたい言動には優しさ、思いやり、気配り等々がある。その全てには見返りが生じる。円滑に場を進める手段の演技、少数派よりかは多数派でありたい、高評価が欲しい。見返りのない優しさは、自分が犠牲になればいい、悪く思われたり言われるのわかっていても相手に改める試練を与えない、本当の事を言って逆ギレさせたくない。そこまで行くと病みが生じる。世の中の優しさはキラキラしていて爽やかだが気づかれない優しさは病み(闇)で終わってしまう。優しくすれば金が増えるはサイコパスっぽい感じでこれまた別ですね。
優しいと思われたい人同士には見返りの交換条件が成立し互いを尊敬すらして事が終わる。今回教習所で出会った太に優しさ求めて不快になっていた僕は間違っていた。成立しない優しさの交換条件、優しさのフィールド(競争・領域・集団)に勝手に引きずり込み太に勝った気でいた。
優しさとは時に攻撃的で、虚しくもあり、メリットだけではないと気付いた。優しさの意味はとても多いのだと。
これからは自分を犠牲にした優しさは止め、交換条件の成立しやす承認欲求の優しさで生きていこう。そうしよう。人の評価を気にしてない人には、こちらも気にしない距離感でいこう。

僕って良い人だろ~あなたの人生救ってるだろ~
それで良いのだ。

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