昼食を買いに外出したら大怪我して一ヶ月経つまでの話 ① 人生初めて救急車に乗る

2019年が終わろうとしている。
歳を取るごとに年々時間感覚が加速していくのを自覚しているが、2019年もいろんなことがあった。凶事の多い、全体的に良いニュース少のない年だったように思う。
個人的には2018年もわりと散々な目に遭い、今年こそは、と思っていた2019年だったが結局最後までいいことはほとんどなかった。私の年内イベントの最後(と思われる)が右手首骨折・顔面裂傷であったからである。
まあこれが「痛いの見本市」と言うほどいろんな痛い目にあったので備忘録として残しておく。
助かった今はネタになったので死ぬまで擦っていきたいと思っています!
しかし一つだけ言っておく、階段は気をつけて降りろ。
あと、ここから下は主に「痛い」話で溢れかえっている。グロテスクなところもあるので自衛をお願いします。

その日私は正午を回る前に近所のスーパーへ食料品の買い出しへ出かけるつもりでブーツを履いた。しかし、定位置に家の鍵が見当たらず、一度履いたブーツを脱いだ。これが後の悲劇を生むのだが、そんなことは前日の昼を食べたきりで腹ぺこの私には予測できるはずもない。かかとが1cmほどのブーツをはいておけばよかったのだ。このことはずっと後悔すると思う。
仕方なくブーツを脱いで私は前日に着ていたコートのポケットから鍵を取り出し、再び玄関に戻った。
『めんどくさいからこれでいいや』
ブーツの隣に並んでいた5cmほどのかかとがのあるピンヒールのパンプスを履いて私は自宅を出た。私の住むマンションにはエレベータがない。特に不便を感じたこともなかったが、次に引っ越すときには絶対にエレベーターのついているところにしようと思う。

もうお分かりかと思うが、何食べようかなあ、などとのんきに階段を降りていた私、あと数段で地上。
というところで悲劇は起こった。
階段のふちにピンヒールが引っ掛かったのである。
「え」
と思わず声が出た。ポケットに手を入れていたわけでもスマホをいじっていたわけでもなかったのだが、
両手は出なかった。加齢を感じた。
次の瞬間、右手がコンクリートに叩きつけられ、ついで顔面に強い痛みが走った。もう痛いなんてものではなく、視界が真っ白になった。突然目の上に何かをぶっ刺された痛みに、私は数秒うずくまってうめいた。痛い。本当に痛い。なんだこれは。私に何が起こったのだ。いや、階段から落ちたんだ。右手は『あ、これは折れた』と思った。見れば、右手首5cmほど下で不自然に内側に曲がっている。確実に折れているが、動かせば指が動いた。神経は無事、動かせる。次に私はスマホのカメラを起動して顔を映した。ひどくなければ自力で病院へ行こう、と思ったからである。しかし顔面は血塗れだった。
あーこれは救急車だな、と諦めて119をコールする。すぐに反応があった。
「火事ですか救急ですか」と聞かれ、救急車を依頼して住所を伝え、電話を切った。清潔な布で患部を被え、と言われたが、布のようなものは何も持ってなかった。ダウンコートはナイロンめいていて血を吸わない。血の流れるままに任せるしかなかった。
その頃には痛みがずくずくとうずくようなものに変わっていた。とんだ失敗である。5分前の私、なぜヒールを履いたんだ。
頭を非常に強く打っていたので『あー死ぬのかなー』と思いながらシンデレラのガラスの靴よろしく階段に残っていたヒールを回収して履き、割れた眼鏡をポケットに収めた。血塗れのiPhoneの時計を確認しながら、額から流れる血の多さに体温が下がっていくのを感じた。寒い。とにかく痛い。あたりは一面血で汚れていた。これは帰ってきたらきれいにしなくては…どれぐらいで来てくれるだろう、とぼんやり壁にもたれていると10分ほどで救急車が来てくれた。11:44に電話をかけて、55分には到着してくれ、まずはほっとした。名前を確認され、歩けますかと言われたので、歩いてストレッチャーに乗る。そんなに近くはない駐在の救急車、隊員は四名。意識を途切らせないようにと大声でいろんなことを話しかけてくる。財布から免許を出し、氏名を確認される。
いやそれさっきも言ったし…痛えし。と思いつつ質問に答えていく。
「今救急車が多く出ていて、病院のはしごになるかもしれません。その場合、頭の傷がひどいので、脳外科へ先に行きます」
私は「どこでもいいですよろしくお願いします」とだけ答えた。候補に挙げられた病院は自宅から5分ほどの大きな脳外科である。
骨折は時間が経てば治る。しかし脳挫傷、くも膜下出血などは時間との戦いになるのかな…などとぼんやり考えながら私はストレッチャーの上で隊員の決定を待った。数分ほどで「○○総合病院が受け入れてくれるそうです、向かいます」と救急車は走り出した。その総合病院は広島市内で1、2を争う大きな病院である。どうやら病院のはしごは回避できたらしかった。
都会住みのため、その総合病院もすぐ近くだった。10分ほどで到着したはずである。しかし、怪我をしてストレッチャーに乗せられたままの私には、車の停止も走り出しもこたえた。重力を感じるたびにめまいがした。
どうかみなさん、救急車の音が聞こえたら「どこからやってくるのか」確認し、速やかにルートを譲ってほしい。1分1秒を争う患者もいる。結果的に私は自宅でこうして過ごしているけれど、そうじゃない人がいる。救急車には、もう帰れないかもしれない人が乗っている。それはあなたの愛する家族友人知人かもしれないのだ。
救急車には、その他に細心の注意を払って救急車を運転し、懸命に患者を診ている救急隊員が乗っている。
人の生き死にがかかっているのだ。それを覚えていてほしい。
余談だが、運び込まれた総合病院の救急入り口で数ヶ月前、私は救急車に行き当たった。搬入口を横断せずじっと待っていた私に、助手席の救急隊員はぺこりと頭を下げて通過して行った。人として当然のことをしたのだが、あの時立ち止まって本当によかった。そんなことを思い出した。

総合病院へ到着したのは12時15分くらいだった、と記憶している。時間を確認するのは私の癖で、そのころには出血で開けづらくなっていた目で処置室の壁にかかっていた時計を確認した。ストレッチャーから処置台へ移され、これから治療していきますからねーと看護師さんと救急ドクターに声をかけられる。コードブルーじゃないけど若く美しい女性であった。よろしくお願いしますと返答してあとはお任せするしかなかった。
真っ白く広い空間で処置台に乗せられた私はぼんやり考える。
ついてない。これで死ぬとしたら悔やまれる…その可能性があるとしたら脳だけど、これだけ意識がはっきりしているからそれはないか…ひとまず検査してもらってからだ。
ドクターが聞いてくる。
「家族に連絡してもいいですか?連絡先はわかりますか?」
わかるけど、もし死ぬなら、死んでから連絡してもらったほうがいい。
死にかけてます。なんて言った日には急いで来て事故でも起こされたら困る。そもそも家族がほとんどいない私だが、唯一繋がりのある妹夫婦は少しばかり遠方に住んでいた。
そう考えた私は「処置が終わったら自分で連絡します」とこたえた。
ドクターはちょっと笑って「わかりました」と納得してくれた。彼女は非常にテキパキとした明るい人で、息も絶え絶えの私に向かって「よかったです、これ、打ち所が悪かったら即死でしたよ」などと笑えないセリフを言ってくれた。痛いのに私は血塗れで笑った。本当にそうだと思ったからだ。毒舌ドクターは迅速に処置を進めてくれたが、出血がどんどんひどくなる。CTやレントゲンを経て再び処置室に戻った。今度は若いイケメン医者が出てきてレントゲンを見ながら
「バキバキに折れてますね。手術が必要だと思います」
と、こともなげに言った。単純骨折だといいな、と思っていた私の希望は打ち砕かれた。いや右手の骨も砕かれてるけどな。
3Dで見た私の橈骨(太い方の骨)は上部が粉々に砕け、十字に深く亀裂が入っていた。尺骨(細い方の骨)も折れていた。しかし、なけなしの運動神経で右手が出たのは不幸中の幸いだった、と思うことにしている。右手を犠牲に頭への衝撃が薄らいだようで、CTの結果、頭蓋骨、脳には異常が認められなかった。その検査結果に少し安堵する。死ななくて済みそうだ、しかし痛い。額からは鼓動の度に血が流れ出た。
このころには目がほとんど開かなくなっていた。顔も右手も痛い。

しかしここからが「痛い」の本番であった。
割れた眼鏡のフレームでざっくりと深く切れた私の額はどくどくと赤黒い痛みを訴えてくる。額の傷は出血が多いのは知っていたがこんなに湯水の如く流れたら元々貧血の私はこれで死ぬんじゃないかと不安を覚えたりもした。基本的に臆病なペシミスト(ただし見栄っ張り)なのである。
しかし輸血の指示はなかったので、死ぬほどの大量出血ではなかったことは確かである。腕は動かさない限り激しい痛みはおさまった。妙な形に曲がった右手はあとで、と毒舌ドクターは言った。
「まず額の血を止めます」
毒舌ドクターはばっさりと私の顔に緑色の布をかけた。看護師さんが「大丈夫ですからねー」と声をかけてくれる。彼女は始終本当に細やかに声をかけ、気遣いをしてくれ、後半痛みに耐える私の左手をずっと握ってくれていた。その暖かい手を握りすぎないようにこらえた。本当に痛いばっかりの長時間処置で、彼女の手は救いだった。

布をかけられ、局部麻酔を施される。この局部麻酔がもう痛い。痛いなんてもんじゃない。患部に直接針をぶっ刺し、麻酔が広がっていく感触を味あわなくてはならない。しかも角度と場所を変えて実に何度も刺す。
できるだけ「痛い」と言わずに我慢したが、それでも時折「いた…」と声を漏らすほどの痛みだった。
しかも家系なのか、なんなのか、私も血縁者もだが、あまり麻酔が効かない。効きづらく、すぐに切れる。
これ本当に意味あるのか?!と聞きたくなるほど痛い。
もはやもう何が痛いのかもわからないぐらい痛い。
「うーん、動脈が見つからないんだよねえ」
ドクターはつとめて平静に私の右目上に出来た傷をえぐり、すくい、かき回していく。同時に鉗子なのかピンセットなのか、何かを強く押し付けられ、痛みに頭の芯がキーンとしてきた。極度に体に力を入れているためそうなってしまう。落ち着け、と思うもののすぐに思考が痛みに支配される。
目に流れ落ちる血が気持ち悪い。長時間布をかぶせられたまま「出血箇所を探す」拷問を受けていると、息が苦しくなった。
「せんせ、いきがくるしいです…」
とようよう伝えたところ、すぐに酸素マスクが付けられた。
拷問が始まって数十分がたった、と思われる頃、私は痛みに弱音をあげた。
「…せんせい、あとどれぐらいですかねぇ…」
「うーんもうちょっと」
もうちょっとてどれぐらい?の答えじゃねえええええ!!
数字で頼む!!!と思いながらもそれ以上は言及できなかった。
これが3時間と言われても3分と言われても痛みには変わりがない。
ぐりぐりと引っ掻き回される目の上はひどい有様だったと思う。血は依然として止まらなかった。
「これ、耳鼻科の□□先生呼んで」
毒舌ドクターはおそらく1時間ほど格闘した末、別の医師を召喚した。なんで耳鼻科なんだろう、と思ったが、□□先生はすぐにやってきてくれた。もう何も言う気力すら残っていない私は黙ったまま奥歯を噛み締めていた。
「これは焼こう」
声から察するに男性医師だったようだが布の下の私には容姿はわからない。彼は10分ほどで出血箇所を焼き切り、出血を止めてくれた。レーザだと思うが、これがまた痛かった。ちかちかとスパークする光に怯えながら、私はひたすらじっとしていることに専念した。焦げたような匂いと、濃縮した熱さを感じた。正直泣いて暴れたいほど痛かった。レーザで深部を焼くとようやく血が止まった。そして中間部を消える糸で縫い、□□先生は帰って行った。
□□先生ありがとう…!!!!欲を言えば最初からいて欲しかった!!!超超超ありがとう!!!!!!
やっとのことで出血が止まり、一番上の皮膚を縫い合わせるのは毒舌ドクターがやってくれた。つんつんと皮を引っ張られる感触を気持ち悪いと思いながらようやく目の上の処置が終わることを神に感謝した。布が取り払われると、壁の時計は見えなかった。目がほとんど開かなかったからである。
「採血しなきゃいけないから、申し訳ないけど足から取らせてね」
ずっと私を励まし左手を握ってくれていた看護師さんが言う。私は了承したが、血圧も下がり、出血し続けていた私の足からは採血することができなかった。左右どっちも指したのにごめんね、と謝られる。やっと「目の上ゴリゴリかき回され圧迫される痛み」から解放された私はもう痛みのピークは過ぎた、と思っていた。足の甲に1本や2本針をつきたてられるぐらい、なんてことはなかった。
「左手じゃダメなんですか?」
左手は負傷していない。不思議に思ってそう聞くと「点滴をしてある側はダメなのよ」と言われた。そんなもんなのか、と思い「じゃあ右から取ってください」と言ったところ、毒舌ドクターはびっくりした様子で「(折れたところは)大の男でも触るなって言うくらい痛いはずなんだけど、大丈夫??」と聞いてきた。
実際に額のうずきより右手の痛みは大したことがなかった。私は「大丈夫です」といい、採血の針が右手に刺されたが、そこでも十分な血を採取することができなかった。ちなみに毒舌ドクターは「折れた腕から採血しろって言う人初めて見た」そうである。いやだって…要るって言うから…
「じゃあ股間からとらせてもらっていい??」
続いた毒舌ドクターの言葉に私は「え!!」となった。なぜなら…その日に限って私は上下お揃いの下着をつけていなかったのである!!
上下揃ってないのはいやなので、大抵そうしてるのに、今日に限って!!適当なパンツを!!はいてるのに!!!
できればやめて欲しかったがもう他に針をさせるところがない。
私は涙を飲んで右の股関節部から採血される羽目になった。痛みでは涙は出なかったけどこの時ばかりは涙を飲んだ。(心中で)
みんな、ヘタれたパンツとブラは捨てろ。まあ新しいものだったからよかったけど、適当なおばさんパンツを披露するのは本当に恥ずかしかった。
いやそんなこだわり、医療従事者にはどうでもよかったと思うけど!!
あと、冬でも無駄毛の手入れはちゃんとしておこう…足とか…?どこでこんな辱めを受けるかわかんないぞ。

いろいろ奪われた感満載の私、もうライフはゼロを通り越して毒の沼に足を突っ込んでいたが、まだまだ拷問が待っていた。いやもう勘弁してくださいよ、もう終わりですよね?と思っているところにさっきのイケメンが帰ってきた。と思ったらにこりともしない大男を連れている。必死でほとんど開かない目を開いて見る。
イケメンドクターと同じ服を着ているので、おそらく医師、彼も端正な容姿の持ち主だった。なんだこの病院若くて顔が良くないと採用されないのか?てゆうか誰?と思う暇なく彼は淡々と話し始めた。
「腕が短くなっているので伸ばします。相当痛いので麻酔をしてから行うこともできます。しますか」
は?腕が短く??
事務的な口調に、私はここで漫画みたいにニヤリと笑った。
早く終わってほしいし、かかってこいやオラあ!という好戦的な気持ちが湧いたからである。
「これが今日のハイライトですかね。そのままやってください」
これまた漫画みたいなセリフだが本当にこう言った。私が到着してあと、数台の救急車が到着したが、その時処置台に乗ったヒロインはもう私以外にいなかった。許されるであろう。
彼は一瞬以外そうな顔をしたが、では、とすぐに処置にかかった。
ぐ、と折れた私の腕を掴み、そのまま、手首を引っ張ったのである。
私は激痛に目を見開いて叫び、思わず左に顔を背けた。
「あうっ!!!」
人生初めて冗談でもなんでもなく「あう!」って言った。もう他に言葉が出なかった。大男ドクターは無表情に私の腕をぐにぐにと整形し、引っ張ったり伸ばしたりしている。看護師さんが再び左手を握ってくれていた。この治療で痛みで気絶する人もいるそうで、鎖骨の矯正はほとんどの人が気絶するとか…(怖い)
瞬間的、爆発的な痛みが右手に起きた。痛い、熱い。折れている、本当に折れているのだ、と実感し、悶絶した。折れた腕をグニグニされている間中、私は短い悲鳴を上げていた。「いっ…ていって!!(怒)」って感じで。
そうして腕がいい感じに伸びたのか、イケメンが何かのパッケージを開けた。痛いのが終わったので、なんじゃこれは?
とみていると、それは青く、保冷剤のような柔らかい弾力のある分厚いシートだった。大男とイケメンが手早く私の右手にそれをあてがった。暖かい。
これもしかして固まるのか。みていると暖かなそれは徐々に固まってきた。すごい!と妙な感動を覚える私の右腕は包帯で巻かれていった。
これはギブスではなく、簡易固定のシーネと呼ばれるものだそうだ。昨今は固定して直すパターンでない限り、こちらを使用することが多いとか。(ネット調べ)大男は包帯を巻くとさっさと去った。イケメンがにこにこで話しかけてくる。どうやら彼が私の主治医になったようだった。
骨折は程度がひどく、手術要であること、当院で手術するなら1週間後に予約できる。月曜にまたきてください。今日はもう帰っていいですよとのことだった。ようやく処置が本当に全て終わったのだ、と思うと緊張の糸がとけてどっと疲れを感じた。そこでようやく救急隊員の皆様にも、いつの間にか姿を消した毒舌ドクターにもお礼を言えていないことに気がついた。懸命に開けた目に映ったのは17時近い時計だった。約5時間そこにいたことになる。右手首骨折(粉砕)と顔面裂傷、どんだけ目の上の処置に時間がかかったんだ…あれが一番痛かった。(断っておくが、毒舌ドクターに文句を言う気は全くない。彼女の経験値の一つになったならそれで良い)

看護師さんが血塗れの髪をざっと濯いでくれ、私は家に帰ることになった。5時間弱寝転がっていたため、お手洗いにも行きたかった。よぼよぼで車椅子に乗せてもらい、お手洗いに行ったあと、立ち上がったことで一気に血の気がひいてしまい、そこからほぼ動くことができなくなった。お手洗いの鏡に写る私は異常なほど白い顔をしており、顔の右半分はガーゼで覆われていた。顔中皮膚の下ががどす黒い紫色になっていた。左目もほとんど開いていない。これが自分の顔かとびっくりした。まさにゾンビ、特殊メイクか?という感じだった。よろよろで出てきた私を看護師さんが急いで車椅子に乗せてくれ
「これで帰宅は無理です。ベッド空けましょう」と言ってくれたところ、イケメン主治医がすぐに入院の手続きをとってくれた。

総合病院の病室には常に空きがないらしかった。
用意ができるまでここで待っててね、と言う看護師さんに別部屋のベッドに寝かされ、その日参加するはずだったボランティアの運営に電話をし、当分いけないことを伝えてからようやく家族に連絡することにした。
どうやら今日は生き延びたようだ、また怒られるだろうなあ…と思いながらメッセージを送る。私はしょっちゅういろいろポカをやらかしては友達、妹夫婦にちゃんとしろと怒られているのだ…気が重い。すぐに弟から返信があった。
『今電話できる?』
私はえらくレスポンスがいいな、と思いつつ電話をとった。
「早いね」
「うん、例の仕事の件なんだけど」
弟は直前のメッセージを読んでなかったらしく、別件の仕事の話で電話をしてきた。(ちょっとした仕事を頼まれていたので)
「あれ?メッセ読んでない?グループメッセに送ったんだけど。姉ちゃん、階段から落ちて死にかけた。今病院」
「はあー?!!」
まあ、そう言うよね。
ざっとあらましを説明して、申し訳ないんだけど誰か来てくれると助かる。と言うと、すぐにわかった。と言ってくれた。二つ返事だった。
彼は実の弟ではない。義理の弟である。はっきり言って血の繋がりのない赤の他人である。妹の夫、というだけなのだが、これが大変に私によくしてくれる。姉ちゃんはウチ(妹夫婦の)で面倒をみないといけない。という謎の使命感をもってくれている。(それだけ私がぼやーっとしているのだが)なんなら彼の家族も私のことを「お姉ちゃん」と呼んであれやこれやと良くしてくださる。
実の親と縁が切れており、祖父母の他界した私の唯一の親族がこの妹夫婦家族なのだ。私は家族の縁が極端に薄い。18から一人で暮らしているし、実父には会ったことがなく、実母と暮らしたのは10年に届かないほどの年月だ。そんな私に新しい家族(姪甥)をくれた妹夫婦のことを愛しているし、感謝している。それなのに私はまた迷惑をかけてしまった。しょんぼりしながら車椅子で病棟へ移された。
そこはICUの一角だった。

ICUでは「ご飯出るからね」とこれまたハキハキした看護師さんが説明してくれたが、私は前日の昼を食べたきりもう丸一日と半、何も口にしていなかった。喉が乾いて仕方なかったが、病室を出る事は叶わないだろうと諦めた。
一人で歩くことができないので、必然的に忙しそうに働いている看護師さんにお願いすることになる。それは憚られた。
厳密にいうとそこはICUの中にある別病室で、誰かの心臓とリンクしているのだろう電子音が常に響くそこの片隅に用意されたベッドで私はひっそり考えた。この怪我はどれぐらいで治るのだろう、手術をするならどこでするべきなのだろう。
考えるべきことはたくさんあった。そもそも、今日のCTで問題がなかったとは言え、本当に脳への出血が今後も起こらないかどうかはわからない。月単位かけて出血するような場合もある。
処置室で痛みにかかってこいといきがってみせた私はもういなかった。
じぐじぐと額と右腕が痛む。眼鏡は壊れ、ゴミになったため周りも見えない。薄暗闇の中、何度目かのため息をついた。

しばらくすると食事が運ばれてきたが、貧血と長時間何も口にしていないことで吐き気がしてとても食べられなかった。
小一時間ほどして弟が姿を見せ、何かいるものはあるかと問われたので水とゼリー飲料を頼んだ。弟は病院の売店へ行き、私にプリンと水、ゼリー飲料と靴を買ってきてくれた。私は忌々しいパンプスをまだ履いており、危ないからとマジックテープで開閉するタイプの靴を買ってきてくれたのだ。
「靴買ってきた」
べりべりとマジックテープを剥がしながら言い、ヒールのパンプスはレジ袋へつっこまれた。私はすっかり落ち込んでいたが礼をいい、手術と入院について相談を持ちかけた。入院にも手術にも家族の付き添いが必要だと言われたためで、大変申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
天涯孤独の人はどうやって入院するのだろう。
弟はすぐに言った。
「ここで手術を受けるより、俺らの地元の病院で受けてもらった方が便利はいい」
「それだよねえ」
私は買ってきてもらったプリンを左手で悪戦苦闘しながら口に運んだ。ようやくカロリーにありつき、水を飲めたことで人心地ついた。
6時間前、ヒールでこけたりしなければこんなところにはいなかったはずなのに、人生一寸先は闇、しみじみと実感した。

弟は一旦帰っても良いと言われたことを聞くと、じゃあもう帰った方がいいのでは、と提案してくれた。まだ職場にいたそうなのだが、事情を知った会社の人がすぐ行ってあげてと送り出してくれたそうである。
「とりあえず今日帰れるんなら連れて帰りたいんだけど」
「うーん、ちょっとこの状態で長時間車に乗るのはきつい。明日、友達に迎えにきてもらって、そっちに行ってもいいかね」
「わかった」
しょぼしょぼする私を尻目に、弟はてきぱきと看護師さんが持ってきた書類に目を通して記入し、帰って行った。
全くひどいことになったものだ、と再び暗い天井を見上げて思った。
ともかく、その日は真っ直ぐ歩けないほど私はフラフラだった。精神的ダメージも大きかった。5時間にも及ぶ処置の間、ずっと身体中に力を入れていたので、当然だった。痛みは体を固くしても当然どこにも逃げて行かなかったが、それぐらいしかできることがなかったのだ。
その夜は看護師さんが痛み止めを点滴へ入れてくれ、痛みは落ち着いた。
「頭を打っているし、このまま寝たら目が覚めないかもしれないと思うと不安です」
と看護師さんにポツリと言ったところ、彼女はそれを笑い飛ばした。
「大丈夫!!定期的に生きてるか私が見にくるからね!」
じゃあいいか、と思って私は寝ることにした。なんせ二日近くほとんど食べてないしたくさん血を失った。睡眠くらいは取らないといけない。

そう言えば、明日の朝もご飯が食べられないかも、とゼリー飲料を頼んだのに、パッケージには「0キロカロリー」と書いてあった。
弟よ、ダイエッターのお姉ちゃんを気遣ってくれたんだね!!ありがとう!!でもこれお姉ちゃんエネルギー取れないやつ!!!
血塗れのiPhoneはそろそろ電池が切れそうだったが、ありがたいことに心配したり、叱責したりする友人のメッセージで埋まっていた。
取り合えず、寝よう。明日は今日よりマシになる、はずだ。
エアコンつけっぱなしできちゃったなあ…まあ自宅に鍵がかかっているだけいいか。
取り止めのないことを考えていたらいつしか眠りに落ちてしまった。
→② 入院編へ続く

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