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カナダ・トロントの思い出

カナダという国を知らない人はほとんど居なくても首都がどこか、最大都市はどこなのかを知らない人は多い。カナダ最大の都市トロントは北米東側に位置する一年の半分が冬と言っても過言無い寒い所である。
 日本の三十倍近くもあるカナダ国土は七割が未開の地であり、人の住める所は少ない。しかし、逆に言えばそれだけ豊富な自然に囲まれた豊かな国である。私はそこで一年を過ごした。なぜトロントに興味を持ったのかと言えば、トロントという街の由来である。「人の集まる所」という意味であるという説を入り口に、北米最大のダイバーシティ、様々な人種が住むというそこに行ってみたいと強く思ったのである。(現在ではトロントの由来は「水の中に木が立っている場所」とされている。wikipedia参照)片言の英語が話せるだけの私はワーキングホリデーのビザと少しのお金、100Lのトランクだけを持ってトロントを訪れた。憧れてやまなかった街は、まさに思い描いていたものと遜色無かった。ピアソン国際空港へハロウインの21時ごろ降り立ち、バス停を探す私に、インフォメーションセンターの天使の仮装をした老婦人はすぐTTC(トロント交通。バス、地下鉄、市内電車などがある)のトークンを買う場所を教えてくれ、バス停への行き方を教えてくれた。まさしく私にとって天の使いだった。

 トロントは新しいものと古い物が存在する街だ。
オールドトロントと呼ばれる地区は今でも古い、白黒映画を撮ってもそのまま通用する様な建物が並ぶ。撮影料が安いという理由からよくハリウッド映画を撮っている。トロントニアン(トロント市民の意味。生粋トロント生まれという意味では今あまり使われなくなった)はそんなハリウッドの映画撮影にも目の色を変えたりしない。あまりにも日常的に撮影は行われているし、「たかが」映画の撮影に浮き足立つのはクールじゃないと言うものだ。 私は住まいをクレイグリスト(北米最大の生活情報掲示板)で探し、ダウンタウンの真ん中にあるチャイナタウンに得ていたが、家のすぐ前で撮影している事もあった。ダイバーシティの名に恥じない人種のるつぼトロントでは百近いエスニックタウンを抱え、それぞれにルーツの違う人種が住む街である。驚くのは彼らの順応力と英語力の高さだ。中国人と間違えられ中国語で話しかけられた事もあるが、英語で、と言えば彼らはすぐに英語に切り替えて話してくれた。成人してトロントに渡る者も多いはずだが、皆英語が当たり前に出来る。このフレキシブルさは日本人には無いものだし、日本ではこういった感覚は育たないだろうと感じた。彼らは必要にせまられているが、ひょうひょうとやってのけている、そんな爽快感がある。

 ワーキングホリデーのビザを取得していたので私はワークパーミット(労働許可)を与えられ、仕事をすることができた。お決まりのジャパニーズレストランだが、ここでの出会いの多くが私にカルチャーショックを与えてくれたし、トロントとのつながりを持たせてくれた。
 驚く事に、ヘルシーを愛するトロントニアンの中にはうどんを頼んで「ヌードルを抜いて」という人が居る!これは本当にびっくりした事だ。トロントには親切な人間が沢山居る。アジア人というくくりで多少の差別も受けたが、それは本当に極わずかなことだった。例えば十月から四月あたりまで雪が降るトロントでブーツはすぐにダメになる。塩が大量に道に撒かれるせいだ。慣れていない私はつるつると滑っては悲鳴を上げていたが、その度誰かが手をつかんでくれたり、道の向こうから「take care!」と声をかけてくれたりした、老若男女関係なく。
 トロントは自由の街だ。何でも自己責任で行うのなら、好きに振る舞う事が出来る。ただし、人を傷つけたり犯罪に関わってはいけない。暗黙の決まり事はそれだけだ。日本はなんと窮屈だろう、あれはだめこれはだめと最初からリミッターがかけられている。トロントではリミッターをかけるのは自分である。そして人々は倫理にハズレでもしない限り誰の行動も非難しない。勝手にやれば、というスタンスだが、困っている人の事は助けてくれる。この距離感は日本にはなかった。日本には他人の動向を探り、なにかあっても無視して通る、そんな風潮が確かにあるからだ。
 私はトロントでどこに行くにもどんどん歩いた。大きく高い街路樹がどこまでも植わっており、古い建物も新しいビルもあった。四季を通じて美しく、歩くだけでも楽しいところだったからだ。建物も日本のものとはもちろん全く違う。地震が少ない土地とはこんなにも自由な建築が出来るのかと思った。美術館や博物館が多く、それらはたいてい週に一度無料開放を行う。どんな人にもいろんな道が開かれる様に出来ている。ご多分にもれず金欠だった私はその無料開放の日を心から楽しんだ。エンターテインメントもNYやロンドンにひけをとらない演目があちこちでかかる。出来たばかりというフォーシーズンズのシアターには、何度もバレエを見に行った。素晴らしい音響でオーケストラとバレエが楽しめて、15$ほどから。精一杯のおしゃれをして出かけ、幕間にはシャンパンを飲んだりもした。特別な思い出である。
 トロントニアンは市の中心でしょっちゅうイベント会場になるシティホール(市役所)を愛していて、なにかあるとそこへ集まる。シティがこれでもかと祭りに力を入れていて、短い夏は毎週のようにそこここで祭りがあった。犬も歩けば祭りに当たるのである。なんの祭りかはわからなくても、そこへ行けばアイスキャンディを貰えたりしたし、芝生の上に座ってコンサートを楽しむ事が出来た。特に、世界中の一流演者が集まるJAZZフェスティバルはおすすめである。無料で楽しめる野外コンサートは最高の体験だった。トロントニアンは短い夏を思い切り楽しむ方法を知っている。そしてそれは旅行者であれ、私の様な一時の滞在者であれ、参加したい者には分け隔てなく振る舞われるものだった。この時期、数えきれないほどのエスニックタウンもいっせいに祭りを行う。目移りするが、どれにも参加して損は無い。朝、チャイナタウンを出発して一日でグリークタウン、リトルイタリー、コリアタウン、世界を巡る事が出来た。
 すぐ近くにカナダ一大観光地であるナイアガラの滝やモントリオール、首都オタワなどがあったが、私が一番愛したのはトロントのコーヒーショップで珈琲を飲みながら街行く人を眺める事だった。あまりに離れがたく、私は暇さえあればカナダで知らぬ者のないドーナツショップ、ティムホートンで1$のミディアムブラック珈琲をすすり、街を眺めた。英語はたいして上達しなかったが、英語話者に話しかける事に抵抗はなくなった。なぜか道を聞かれる事が多かったが、一年が終わる頃には複雑な説明も出来る様になった。そのころには私もこの街に住んでいるんだなあと思う事が出来た。彼らは日本人のように「すみません」なんて話しかけてきたりはしない。
 「Union Station?」と、こういった風だ。隅々まで歩いたせいで、私の頭の中には未だに鮮やかなトロントダウンタウンマップがある。沢山の人に美味しくて安価なレストラン、無愛想だけどいつも「have a nice day」と最後に付け加えてくれるおばさんが居るスーパー、そんな事を伝えて、トロントの話がしたい。
 トロントを形作るのは表情豊かな「人」である。人々の優しさで灰色の半年にも及ぶ冬も、楽しく過ごす事が出来る。-20℃などという外気温になるが、家の中は暖かい。私が間借りしていた家のオーナーはチャイニーズカナディアンだったが、家族同様に実に良く私をかわいがってくれた。彼が時折口にする子供に言って聞かせる様な「you are good girl」という言葉は私を幸せにさせた。私はトロントに比較的すんなりと受け入れられたが(と自分では思っている)多くの同じ時期にワーキングホリデーでトロントを訪れていた人はほとんどがホームシックなどを理由に一年のビザ満期を待たずに帰国した。彼らは道を聞かれた事が無いという。それは彼らが観光する事に夢中だったからに違いないと思えた。彼らの着ている物は皆新品同様で明らかにお金持ちの格好だったし、それらを身につけたアジア人が複数集まっていれば、ああ、日本人ね。と思われても仕方ないのだった。カテゴライズされることがいけないのではなく、ツーリストと思われることが現地人との触れ合いを減らす、と私は思っている。
私はバリュービレッジ(古着屋)で買った2$のTシャツを着て、ジーンズを履いてスニーカーでどこへでも歩いて行った。ただそれだけの違いだが、私はトロントを心から楽しめる滞在者になれた。彼らはお客さんのままトロントを去った。彼らがディープトロント、そしてトロントニアンの人なつこさ、人の良さを知らずに去ったのが残念でならない。
 あのたった一年のトロントでの生活は私の人生の中で最も輝いている。私を受け入れ、自由に振る舞わせてくれ、困ったときには手を差し伸べてくれたトロントニアンを愛している。そしてトロントは世界で一番素敵な街だ。安全で、食べる物が豊富でおいしく、市は人々を楽しませる事に一生懸命だ。トロント市も多少の問題をもちろん抱えているが、それをひいてもあまりある魅力がトロントにはある。ぜひ旅行などと言わず長期滞在して、その魅力に取り憑かれてしまってほしい。日本人は自己責任という言葉を理解する事が出来るだろう。自分で決める、自分で守る。その感覚はこれからの国際社会に必要な物だ。最後にもう一度言いたい。私にとって、トロントは世界で一番素敵な街だ。

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