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今のお葬式って。家族葬①

タイトルから暗い!
あかんヤツかもしれないと思われるかもしれませんが、現在のお葬式事情をチョコっと。

私は両親が他界していることもあり、ここ数年で3つ??数え方がわかりませんがお葬式をあげました。

勿論、喪主ではないけど家族としてお葬式を取り計いました。

今年は父の7回忌にあたります。
父が亡くなって丸6年になります。

父は亡くなる数年前に胃癌になり、手術は無事に成功しました。
ただ、父は団塊の世代の人で、定年後これから楽しむぞ!と言う時期に癌になり、性格も神経質で生真面目だった事もあるのかな?術後の予後が良くありませんでした。

とにかく気落ちしていました。
元々痩せ型だった父が、亡くなる1〜2年前には、びっくりするくらいおじーちゃんに見えました。

そのくらい気持ちから老いを感じさせられました。

本来食べることが大好きだった父ですが、気持ちと体のバランスを崩していたと思います。

父が亡くなった頃は私もまだ離婚はしておらず、一緒には住んでいませんでした。

朝、母から電話があり
「お父さんが息してない!」と言うではありませんか!
私的には何かの冗談か、大袈裟に言ってるのか?と初めは思いましたが、あまりにも必死な母の声に

「私に電話じゃなくて救急車を呼んでー!」
と言い電話を切り実家に行く準備をしました。

私は寝起きだった事と、まさか本当に亡くなってしまうとは、その時点では思ってなかったと言うのも事実で、愛猫にご飯をあげて実家に向かいました。

実家のマンションの前に救急車が停まっていたので、まだ運ばれていないのか?と救急車の中を覗きまだ乗っていないことを確認して家に入りました。

私を出迎えてくれたのは、何と刑事さんでした。
何がどうなってるのか?頭が混乱しましたが、刑事さんが詳しく説明をしてくれました。

お父様は救急隊員が駆けつけたときには亡くなられており、救急搬送する事はできませんでした。
そうなると、自宅で亡くなったことから、救急隊員から警察に電話があり、私達が駆けつけました。

自宅で亡くなると、形式上「殺人」など事件性がないか調べなくてはなりません。

だからご協力ください。

とのことでした。

そして母は既に取り調べを受けており、私を見ると勝手に中断して、私に経緯を話し始めました。

「私が(母)起きて、歯磨きしてご飯食べようと思って、お父さんに声をかけたら息をしてなかった。あんたが(私)救急車呼べと言うから電話したら、マンションにAEDはないのか?と聞かれてあったから有りますと答えて、救急車が到着までAEDて処置をしてほしいといわれた」

と言うようなことを言っていました。
マンションの管理人さんが現地にいて持ってきてくれたことがわかりました。

ただ救急隊員の方も直ぐに駆けつけたらしく、AEDを使う事もなく既にお亡くなりになっていることが明らかだったため使用しなかったと言うことでした。

そこから、とにかく現場検証しますと言うことで、色々聞かれます。

写真も部屋中撮られます。

家族構成を聞かれたり、家にある現金をすべて出して並べてそれも写真に撮られます。物取りの犯行ではないと言う裏付けです。

後は家で亡くなっているので司法解剖に回され死因を特定すると言う事もあります。

司法解剖は住んでいる町で何処が受け持ち病院か決まっており、◯◯病院に搬送します。
と言うことで、救急隊員の方や刑事さんたちが搬送するわけでもなく、葬儀屋さんがここで入ってきます。

司法解剖の時に提携している葬儀屋さんと言うことでした。
病院まではその葬儀屋さんが連れて行ってくれます。

ただ、帰りは自分たちで葬儀を行ってくれる葬儀屋さんを見つけて、そこにお願いして欲しいとの事。

また、自分たちも(葬儀屋さん)葬儀屋なので式を行う事は出来るので、全く見当がない場合はお声がけくださいと言う感じでした。

実家はとある所の互助会に入っていたらしく、葬儀はその互助会の葬儀屋さんにお願いすることになりました。

とにかく父が亡くなったという感傷に浸る暇はなく、今から解剖に回しますが、今日は混んでいておそらく夕方の18時頃になるので、その頃に病院に来て欲しいという事でした。

朝イチの出来事で刑事さんたちが帰ったのが午後を回っいました。

そして葬儀を行ってもらう葬儀屋さんに連絡して直ぐに駆けつけてくれます。

そこから家で、葬儀の形態を決め、祭壇や、棺桶や花やとにかく色んなことを決めます。

ここで、我が家の家族構成ですが、実家には両親と兄が住んでいました。

ただ運悪くとしか言えませんが、その時期は毎年兄は東京に3ヶ月くらい出張に行っている時期で不在でした。

私はまだ離婚しておらず元夫がおり、元夫に父が亡くなったと告げ、仕事から帰ってこれるか?と連絡を取ったりしました。

もうこの頃にはかなりの不仲だったので、帰宅をお願いする事がめっちゃ嫌だったと記憶してきます。

兄も東京からお昼過ぎに帰ってきて、葬儀の内容を決めていきます。

長くなりましたが、ここ父の葬儀は家族葬にすることに決めました。

父は、病気の予後が悪く激痩せしており、おそらくその姿をたくさんの方々に見せたくなかったのかな?と母の感じからそう思いました。

あと、父は兄弟とは揉め事があり、誰とも連絡を取っていなかったので、父の親戚関係はほぼ無縁。母の妹弟が来るということだったので、本当にこじんまりと済ます感じでしたが、やはり棺桶はそれなりになり、葬儀の時に着る白装束や肌着などもそれなりになり、お花だけは豪華にしたいという思いもあり、家族葬といえど100万は余裕で超えました。

司法解剖が終わるのが18時だった事もあり、通夜は翌日に決まり、司法解剖後はいったん家に帰ることにして、葬儀屋さんと病院で待ち合わせをします。

家に帰ってきた父は、頭も開頭したとの事で包帯でグルグル巻きでした。
TVで見るような感じとは違います。
もちろんきれいな状態になってはいますが、頭と喉など包帯でグルグル巻きですし、口が空いた状態になっていました。死後硬直が強くて治らなかったとの事でした。

白の祭壇を祀ったり、線香は切らすなと言われたりドライアイスの事など、とにかく初めてづくしの母、兄、私と元旦那。

父は次男だったのでお仏壇もなかったですし、母も父の実家の宗派も知らず、とにかく大変な1日となり、本当に父が亡くなってもう会えないと実感するのは葬儀の時になりました。

長くなってしまいましたので、この辺りで。

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