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不詳人物

鯉のぼり唱歌に潜む謎の人
(こいのぼり しょうかにひそむ なぞのひと)

端午の節句である。昔に比べるとだいぶ少なくなったが、それでも近所のマンションのベランダとか寺の境内で鯉のぼりが泳いでいる。鯉のぼりを見るたびに或る人を想うのである。

文部省唱歌『鯉のぼり』

一番の歌詞に現れる「たちばなかおる」とは何者なのだろうと子供の頃は訝しんでいた。この唱歌を歌ったり耳にしたりするのは小学校低学年なので、その謎が解けぬままにその後に齢を重ね、結構いい年になるまで「たちばなかおる」を人物だと思い込んでいた。今でもこの時期になると「たちばなかおる」を想い、鯉のぼりを見上げると笑ってしまう。

甍(いらか)の波と雲の波、
重なる波の中空(なかぞら)を、
橘(たちばな)かおる朝風に、
高く泳ぐや、鯉のぼり。

開ける広き其の口に、
舟をも呑(の)まん様見えて、
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には、
物に動ぜぬ姿あり。

百瀬(ももせ)の滝を登りなば、
忽(たちま)ち竜になりぬべき、
わが身に似よや男子(おのこご)と、
空に躍るや鯉のぼり。

作詞不詳だ。それも謎な感じを増幅する。全体に文語調だが、不思議なことに甍が瓦屋根のことであるというのはあっさり了解できていた。家並みの波のような姿と雲とが青い空を挟んで呼応しているかのような風景があり、その波と雲の間を鯉幟が風に泳いでいる。それは子供の頃でもわかったのである。そこに唐突に「たちばなかおる」が現れて、「朝風に」どうするのかと思ったら、「高く泳ぐや鯉のぼり」に戻ってしまうのだ。「え、今の誰?」「あさかぜにどうすんの?」と思うだろう。フツーは思わないのか。

改めてWikipediaを見たところ、節句の行事は平安時代からあったらしいが、鯉のぼりは江戸を含む関東の風習で上方にはなかった、とある。ひょっとして関西の小学生は「鯉のぼり」を歌わないのか。とすると、この「鯉のぼり」の話は関西の人に通じるのか?(2021年5月3日月曜日記す)

『歌川広重 名所江戸百景 水道橋駿河台』

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