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古寺消滅

裏山と見えしところは由緒ある智者の集いし古寺の跡
(うらやまと みえしところは ゆいしょある ちしゃのつどいし ふるでらのあと)

古寺の老僧語る歴史には身近き他人の息吹流るる
(ふるでらの ろうそうかたる れきしには みぢかきひとの いぶきながるる)

ナントカの「発祥」多き古都の里静かな町に面影探す
(なんとかの はっしょうおおき ことのさと しずかなまちに おもかげさがす)

旅行に出かけるときは駅の近くに宿をとることにしている。鉄道がない土地なら、バス停の近くだ。以前の職場の同僚で、住まいは大田区と決めている人がいる。彼自身は埼玉県川口市の出身なのだが、奥さんが博多の人で羽田空港の近くに住みたいというのだそうだ。いざとなればすぐに博多へ行くことができそうな安心感を求めてのこと。「東京には人情がなか」だそうだ。私が旅の宿を駅近にするのも単に安心を求めてのことだ。本当に安心かどうかは、どうでもよいのである。

奈良に出かけるときもJRか近鉄の駅から徒歩圏内に投宿する。そういう場所ですら、感染騒動以前から繁華街はあまり繁華ではなく、夕食の場所に困るので、昨年と今年は食事のついている宿にした。

駅周辺ですらそんな状況なので、古寺と呼ばれるところの周辺は、よほど覚悟して出かけないといけない。しかし、少なくとも食に関しては、そういうとこにある、ここやっているのかな、と不安を覚えるような構えのところでもハズレたことがない。そういうところが人の暮らしが培った風土だと思うのである。

今は何事も東京第一で、ヒトもモノもカネもここに集中するのだが、所詮は急拵えのハリボテのようなものだ。権力の中心に位置づけられたのが高々400年前で、そこから首都としての機能が形成され、本格的に首都となったのが明治以降、名実共に一極集中化したのは戦後のことにすぎない。これほど短期間で集中が進んだのは、この国の人々の物事の捉え方の習慣のようなものに拠るのだろう。これが最先端、これが何処そこで話題、これが誰それが言っていた、というような自分以外の見知らぬ誰かが与えた皮相なラベルだけを頼りにして、金銭というデジタル表示された唯一の尺度で物事を測る。そんなことをして、孤独だの居場所がないだのと被害者面をしてみたりする。昔のエライ人が「我思う故に我あり」という言葉を残したそうだが、考えることをしない我は存在しえないということでもある。

奈良の好きなところは面白いのに空いているところだ。宿は駅の近くだが、レンタカーで遠出をすることもある。奈良が空いているのは面白いところが足の便の良くないところに点在する所為もあると思う。今回の奈良行きでは、JR奈良駅近くを午前8時半にレンタカーで出発し、浄瑠璃寺、岩船寺、円成寺、正暦寺、石上神宮、聖林寺、安倍文殊院と南進して午後6時に奈良駅近くへ戻った。冒頭の三首はその日に詠んだ。

私はその時の思いつきであちこちへ出かけたいのだが、妻はそういうのを嫌がる。仕方がないので、ざっくりと予定の説明をできる程度のポイントと帰還時刻の目安だけを事前に決めておくことにしている。今回のルートで、レンタカー予約時に決めていたのは、午前8時半出発、午後6時返却、円成寺と石上神宮にお参りする、という点。奈良に来ると必ず「祈りの回廊」というパンフレットを入手するのだが、そこに掲載されている地図を見たら、円成寺の近くに浄瑠璃寺と岩船寺が赤い太字で書かれていたので、そちらへもお参りすることにした。前の晩に宿で夕食をいただいている時、宿の人から正暦寺が日本酒発祥の地という話を聞いたので、そこにもお参りすることにして、あとは時間の余裕を見て決めることにした。時間を決めてどうこうするというのが嫌なので、こういうやり方になる。

今回訪れた寺はいずれも公共交通や主要道路の動線から外れたところにあるが、各寺の縁起によれば、どれもかつては数多くの建物とそこに集う人々を擁したとされている。それが1000年の時を経るとわずかな御堂や塔と庭園を残して大規模な伽藍の面影すら残らない。寺の縁起などの資料があるから「由緒ある」と言えるが、何の予備知識もなくそこに佇んで、果たしてどれだけの人がそうした由緒を感得できるものだろうか。古寺が朽ちゆく様に何を見、何を思うかは人それぞれだろうが、はっきりしているのは形あるものはいつか必ず滅びるということだ。それでも、そこを守る人々が寺の由来、仏像の縁起を語る時、自然と溢れ出てくるような活気が感じられるのである。形がなくなっても残るものがあることを、その言葉や語り口が何よりも雄弁に証明している。そういうものを感じる時、ありがたいなぁと思うのである。

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