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新潟県立歴史博物館監修 『見るだけで楽しめる! まじないの文化史 日本の呪術を読み解く』 河出書房新社

先日読んだ『季刊民族学』176号に金沢大学客員研究員である鳥谷武史氏の「日本の生活に息づく宗教 モノとまじないのかたち」という記事が掲載されていた。最近、たまたま立ち寄った書店で標記の本が目についた。これは2016年4月23日から同年6月5日にかけて新潟県立歴史博物館で開催された「おふだにねがいを 呪符」という展覧会の図録を書籍化したものだ。図録が好評で完売したので、書籍化して販売したということらしい。本書の発行は昨年5月30日、例の感染症の世界的流行で世の中全体にあたふたしていた真っ只中だ。

「まじない」と「のろい」が同じ漢字「呪」であることを知らなかった。しかし、すぐに了解できた。昔、確か20数年前、仕事で3ヶ月に一回くらいの頻度で目黒にある会社にお邪魔していた。その会社はアルコタワーに入居していたので、目黒駅から行人坂を通っていく。坂の途中に寺があり、坂に面したところに小さなお堂があって、絵馬や護摩木を奉納できるようになっていた。無地の絵馬と護摩木があって、自分で料金箱に所定の金額を納めて奉納する仕組みだ。ある日、約束の時間まで余裕があったので、時間つぶしに、奉納された絵馬や護摩木を眺めていた。参拝客の多い大きな神社仏閣と違って、そこはあまり願い事の為に参詣するような寺ではない。それほど多くはない絵馬や護摩木があったのだが、その中に「◯◯◯◯と結婚できますように」とマジックで書かれた絵馬と護摩木が大量にあった。「◯◯◯◯」は男性の名前で、願い事の主は女性の名前だ。その絵馬と護摩木を数えはしなかったのだが、かなりの数だった。これなどは「まじない」のようでもあり「のろい」のようでもある。ふたりがどのような関係だったのか知る由もないのだが、願う側からすれば「まじない」であることが、願われる側にとっては「のろい」であったりすることもある。同じことの両面なのだから、同じ漢字を当てることに何の不思議もない。ところで、◯◯◯◯氏は無事でおられるだろうか。

そんな話はさておき、妙な感染症で世間があたふたしていることもあってか厄病退治のまじないのことが目につく気がする。『民族学』の記事もそういうもののひとつだ。鳥谷氏は記事の中でこのように書いている。

世界はいままさにウイルスの猛威にさらされているが、まじないは昔から防疫手段としてもちいられてきた。たとえば、民家の軒先に「蘇民将来子孫」と書かれた呪符が下げられていることがある。これは、かつて疫病神である牛頭天王を家に迎え入れ、もてなした蘇民将来という人物の子孫と自称することで疫病の災禍から逃れるためのまじないとされる。このような、軒先に配置して災厄を避ける護符にはさまざまなものがあり、門守と総称される。(『季刊民族学 No.176』84頁)

このnoteの見出し画像の写真は2017年8月に広島県福山市鞆の浦で撮影したものだ。立派な蘇民将来の護符、柊の小枝を刺した鰯の頭、茅の輪、文字が判読できないが梵字の記されたお札が玄関の軒先に掲げてある。彼の地にはこういう家がかなりあった。鞆の浦にある沼名前神社は明治時代に渡守神社と鞆祇園宮を合祀して改称したものである。祇園宮のほうは創建不詳で、つまりそれくらい古い。地元では祇園宮の呼び名である「祇園さん」が合祀後の沼名前神社にも引き継がれている。「祇園」といえば京都の祇園祭が有名だが、京都の八坂神社はここから分祀されたものだという話もある。但し、その京都の八坂神社の創祀には鞆の浦の祇園宮のことは書かれていない。

祇園祭もそうだが、夏は疫病祓の行事が各地で行われる。祇園祭の前身とされる御霊会は平安時代初期、貞観年間に疫病が流行したことに際して疫病神や死者の霊を鎮める為に行われたものである。祇園祭のとき、家々の軒先には厄除粽が吊るされる。そこにも「蘇民将来之子孫也」と書かれたお札が付いている。蘇民将来の子孫、と名乗ると病気にならないらしいのである。蘇民将来については標記の本から引用する。

蘇民将来に関する最も古い記述は、卜部兼方著の『釈日本紀』に引用された備後国風土記逸文である。その内容というのは、ある時、蘇民将来という名の兄弟のもとに旅の途中で一夜の宿を求めた神(武塔の神)に対し、裕福であるにもかかわらず泊めなかった弟の将来は家族もろとも滅ぼされ、貧しいながらも宿を提供した兄の蘇民将来は助けられ、弟のもとに嫁いでいた娘も、神の言う通り茅の輪を腰につけていたことによって難を逃れた。そしてこの神は自らを速須佐雄の神と名乗り、後の世に疫病があれば、蘇民将来の子孫といって茅の輪を腰に付ければこれを免れると言ったという伝説である。(60-61頁)

蘇民将来はフツーの人だが、そこに関わる神様がいるらしい。「速須佐雄」はスサノヲ、あるいは素戔嗚に通じることは直感的にわかる。スサノヲとなると日本の神話の基本に関わることで、多種多様な分野の多種多様な人々が多種多様な論説を展開している。全く自分の興味の外のことだったのだが、たまたま2015年にDIC川村美術館で開催された「スサノヲの到来」という展覧会を見て、カオスのようなスサノヲ話を目の当たりにして驚いてしまった。この展覧会の図録も図録というより論説集で、そこに寄せられた文章の量と熱さに圧倒された。スサノヲのことはまた別の機会に書くかもしれない。

昨年来の感染症騒動で既に緊急事態宣言が3回も発出されているが、「緊急」というのは滅多にないことを指す言葉であって、年に何度もあることを「緊急」とは言わない。勿論、発出する側はその都度「これっきり」と思って発出するのだろうが、その「緊急」に際し市井の人々が行わなければならないことが結局のところ「外に出ない」ということしか伝わってこない。感染症で、病原のウイルスが特定され、それに対するワクチンが製造され、その接種をする、ということは明瞭だ。しかし現実の生活の場面では、発生から一年以上経過して、「家にいなさい」と言われるだけで他に何の手立ても打たれていない。これで科学だの医学だのと、それがあたかも世の中の問題解決の切り札であるような物言いをされると、なんだか苦笑が漏れてしまう。感染症対策で各地の祇園祭や各種夏祓が中止されているが、肝心の人間はそうしたまじないに望みを託していた頃とあまり変わっていないようだ。

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