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異常非常

百日紅咲いたその日の大豪雨
さるすべり さいたそのひの だいごうう

百日紅咲いた端から山滑り
さるすべり さいたはなから やますべり

百日紅そのうち花が二百日
さるすべり そのうちはなが にひゃくにち

季語は百日紅、夏である。百日紅は自分が暮らしている自治体の「市の花」で、近所の街路樹にたくさん植えられている。その名の表記の通り、開花時期が長く、10月初旬まで咲いている。今年は開花が遅いと思っていたら先週初めに花が開き始めた。咲き始めると暑さが厳しくなる。我が家にはエアコンがないので、「いよいよか」と少し緊張する。緊張の夏、である。

今年はまだあまり耳にしない気がするが「ゲリラ豪雨」と呼ばれる激しい雨が降ることが多くなった。それでここ数年は毎年のようにどこかしらで人命に関わる大きな被害を出している。流石に「ゲリラ豪雨」だけでは気象庁とか日本気象協会という公的機関が発表するものに用いる表記として如何なものか、という指摘があったかどうか知らないが、「線状降水帯」というカタイ響きの言葉を聞くようになった。

言葉はともかくとして、今は所謂「夕立」が、自分の中の語感を超越した降り方をするようになった。娘と美術館のカフェでクナーファ(konafa)なるものを食べていたら、一転俄に掻き曇り稲妻が走り雷鳴が轟いた。食べ終わった頃でもあったので、とりあえず勘定を済ませて一旦外へ出てから地下街へ降りた。そのまま駅に入り、地上のホームに上がったら空が崩壊したような激しい雨になっていた。電車に乗って東京を出て、新宿に着く頃には小降りになっていたが、夏の外出は油断がならない。

夕立が過激になったというようなことを指して「異常」と言う人もある。「温暖化の所為」という人もあるだろう。地表の平均気温が上昇しているのは事実なのかもしれないが、それを「異常」と呼ぶのは少し身勝手な了見のように思う。昨日と同じ今日があるわけがなく、今日と同じ明日が来るはずもないのだから、雨の降り方が変わるのも当然だろう。自分の都合に合うものが「常態」で、そこから外れるものを「異常」とか「非常」と呼んで排除や矯正の対象にするのはちょっと怖い。自分が世間の「常」の範疇に入っていればよいが、何かの弾みでそこからはみ出してしまったときに、果たして平穏に生活ができるのだろうかと怯えてしまう。

ところで、気象にまつわる落語というと、新作ではあるが、桂枝雀の「雨乞い源兵衛」が真っ先に思い浮かぶ。今年、私も枝雀が亡くなった年齢になった。だからどうということはないのだが、だいぶ死が身近になってきたと思ったりする。


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