見出し画像

喪失体験

雨音に叩き起こされ敗戦忌
(あまおとに たたきおこされ はいせんき)

虎が雨驕る人への祟りかな
(とらがあめ おごるひとへの たたりかな)

夕立に負けず劣らず朝も立つ
(ゆうだちに まけずおとらず あさもたつ)

季語は順に、敗戦忌、虎が雨、夕立でいずれも夏。見出し画像はヤフーの雨雲レーダーのスクリーンショット。今日の6時現在のもの。5時40分頃に目が覚めた時はものすごい雨だったのだが、トイレで腰をおろして用を足している間に雨音が静かになってしまった。部屋の窓からの豪雨の風景を写真に撮って上げるつもりだったのだが、普段と変わらぬ写真になってしまったので差し替えた。

「虎が雨」は初めて聞く季語。手元にある小型の歳時記で「夕立」を開いたら、その一つ前に出ていた。8月15日は炎天の印象が強いのだが、あのコテンパンに負けた戦争の記憶が薄れ、世間がつまらぬことで大騒ぎをして右往左往しているので天が情けないと涙を流しているのではないかと思った。

虎が雨:旧暦五月二十八日の雨。つまり曾我兄弟が討たれた日なので、この日に多く雨が降り、その雨は十郎祐成と契った大磯の遊女虎御前の涙だという言い伝えから出た季語である。何んともあわれなことだが、そうしたあわれさと自然(雨)とが結びつくのも俳句の持つ文学性でもある。(『新版・俳句歳時記』雄山閣)

昨日のnoteで武内晴二郎の作品に少しだけ触れた。武内晴二郎の作品には轆轤で挽いたものがない。左腕がないからだ。轆轤で挽くだけが陶芸ではない。片腕がなくても作ろうと思えば立派な作品を作ることができるということだ。こういう作品を目の前にすると、自分が何も考えずに生きていることがよくわかる。

2011年の民藝夏季学校の倉敷会場の回に参加して、武内晴二郎の御子息である武内真木氏の講演だったか他の登壇者との座談だったかを聴いた。真木さんは栃木県益子の濱田窯で修行の後、晴二郎の後を継いで陶芸家としてご活躍だ。真木さんの話で今でも覚えているのは、父親が片腕だったことはあまり意識にない、ということだ。子供の頃は当たり前のようにキャッチボールをして遊んでもらったりしていたというのである。

晴二郎は生まれつき片腕がなかったのではない。先の戦争の時に学徒出陣で徴兵され、中国漢口(現湖北省武漢市)で戦傷を受けて左腕を失った。徴兵時は中央大学経済学部に在学中で、おそらく陶芸をやるつもりなどなかったと思われるのだが、復員後、倉敷市で作陶を始めるのである。腕を失ってから何事かを始め大成した、というところに私は五体満足でこのザマかと恥ずかしさを覚えるのだ。


読んでいただくことが何よりのサポートです。よろしくお願いいたします。