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賃労働

仕事とは価値を産む行為、だと思うのである。例えば、野を耕し、種を蒔き、育て、無数の実りを得て、収穫すると、それで命を支えることができる。その一連の行為を仕事というのだと思う。本来なら、そこに達成感があって、たぶん生きている実感だってあるのだろう。現実には一人でできる仕事もあれば、多額の資本を投入した大規模な事業の一端を担う形の仕事もある。人の生活が多様であり、その多様を支える価値も多様であるわけで、つまり、仕事もいろいろだ。しかし、専門化・細分化が進み個々の目先の現象から全体像へのつながりが必ずしも担保されていないのも現実ではないだろうか。

価値を産む行為を分ち皆でする全部足しても何故か足りない

分業で各自付加価値追い求む足し合わせると何故か足りない

分業で捗るはずの大仕事分け損なって収拾つかず

給金の多寡しか見ない賃労働期待ばかりで成果は知らず

存在を証明できぬ人々が並んで求む遅延証明

仕事がうまく行かないとか、所謂「労働の疎外」のようなことを感じて心の平穏が乱されると些細なことで他人と諍いを起こすことだってある。当事者だけの争いで済めばまだしも、それがもとで公共交通機関の運行に支障をきたすこともある。

諍いで電車が止まる夕方に人が駆け寄る男が叫ぶ

諍いで電車が止まる夕方は後ろの人のガム噛む音する

諍いを避ける呪い(まじない)深呼吸「あなたはわたし わたしはあなた」

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