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退院後二週間目 備忘録

5月19日 日曜日
特に出かける用がないので、終日家で過ごす。特記すべきことはない。

5月20日 月曜日から5月24日 金曜日
通常通り出勤。通勤は往復立ち、エスカレーターは使ったり使わなかったり。特記すべきことはない。結局、未読メールを片付ける作業は捗らず、この週は1,050通を残して業務を終了する。

ロンドン在住の直接の上司との月例電話が木曜日にあり、入院のことを尋ねられるかと思って脳挫傷を英語で何と言うのかとか、脳挫傷そのものについて少し調べた。結構深刻なものなので、「へぇ、そうなんだ」と呑気に驚く。しかし、結局1週間寝ていただけで今のところは済んでいるので自分は軽症なのだろう。ちなみに入院先の病院のウエッブサイトによると以下のような記述がある。

衝撃が加わった側に損傷が加わるだけでなく、脳は脊髄液という水の中に浮かんでいるため反動で対側の骨にも当たり、そちらも損傷を受けることがあります(コントラクー外傷)。脳挫傷は外傷を受けてから数時間~数日かけて拡大することがあり、損傷を受けた部位に応じて脳機能の低下が出現します。

小さな損傷の場合には症状が現れないか、もしくは軽症頭部外傷に類似した症状のみの場合もあります。しかし、ダメージを受ける場所によっては手足の麻痺や思考能力の低下、発語困難などの重篤な神経障害が出現することがあります。また、損傷の程度がひどい重症頭部外傷になると意識が悪くなって混乱したり、最悪の場合、意識不明に陥ることがあります。

出所:慶應義塾大学病院脳神経外科教室のウエッブサイト

今のところ手足の麻痺はなく、思考能力はもともと低いので特段の変化はなく、発語に不自由は感じていない。ただ、忘れた頃にこうした症状が現れたらちょっと嫌だなとは思う。

それで、結局ロンドンの上司は何事も無かったかのように、いつも通りのつまらない話だけで30分の定期電話を終えた。

5月25日 土曜日
陶芸教室が休みなので、予て午前中に近所のマッサージを予約しておいた。前回よりも施術後の身体の反応が良く、少し続けて通ってみようかなと思う。それよりも整体を再開した方がいいのか。両方だと金銭面の負担が大きくてかなわない。

施術後、帰宅して昼食をとり、妻と日本橋三越で開催中の東日本伝統工芸展を観に出かける。義弟が木竹部門の鑑査委員で、賞の対象にはならないが作品を出品しないといけないことになっている。どのような作品を出すのか、正月に帰省した折に聞いていたので、結果としてはその確認のような感じだった。

9月の本展もそうだが、大きな流れとして伝統工芸展の規模が徐々に縮小している印象がある。しかし、一方で出品作品のレベルは徐々に高くなっている気がする。あくまで素人の感想だが、この国の手仕事に関わる人材の層の厚さはまだまだ捨てたもんじゃないのではないか。汗をかいて手足を動かすことに敬意を払う層も当然に一定水準を保っていればこそ、そうした手仕事が細々とではありながらも継承されている。本当にそうであるなら、まだ何事か希望を抱いても大丈夫なのではないか。そんな気がするのである。

伝統工芸展を後にして東京駅へ向かう途中、東京長浜観音堂に寄って浄光寺(滋賀県長浜市高月町落川)から遠路お出ましになられている十一面観音立像、薬師如来像、阿弥陀如来像を拝む。東京長浜観音堂は以前は上野の不忍池の近くのビルの一階にあったのだが、数年前に日本橋の路地裏のビルの四階に移転した。ちょっとわかりにく場所にあって、存在意義としてどうなのかと心配していたのだが、今年度いっぱいで閉館だそうだ。

東京駅から京浜東北線と埼京線を乗り継いで老母のご機嫌を伺う。

こうしてとりあえず無事に退院後二週間を過ごした。下肢の痛みはだいぶ軽くなったものの続いている。依然として厄介なのは、横になった状態から起き上がるときで、頭がかなりクラクラする。毎朝、起床に際して一旦座った状態で少し様子を見てからゆっくり立ち上がるようにして対応している。起床直後に後味の悪い夢が残ることは無くなった。

それにしても、やはりこういうことになると死が身近に感じられるようになる。たまたま『文藝春秋』6月号に今年92歳になる美術史家の辻惟雄のインタビュー記事が掲載されている。そこで辻はこんなことを言っている。

批評家の吉本隆明さんは老いた後の人生について、「長い周期で物事を考えるのをやめろ」と書いています。つまり、老人になったときは死ぬことを考えるより、目先のことに集中しろというのです。

辻惟雄「若冲と70年安保」『文藝春秋』2024年6月号 306頁

なるほど、と思ったのだが、自分の目先に何もないことに気づいてがっかりしてしまった。

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