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田浦尚宏 先生(人吉医療センター)地域医療Dr's インタビュー 熊本版・地域医療の面白さ! Vol.1   

地域医療や総合診療のやりがいや魅力について、各地域で活躍されている医師にインタビューをしていきます。

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記念すべき第1回目は、笑顔がとってもステキな、人吉医療センター 総合診療科部長 田浦尚宏 先生(46歳)です。
インタビュー日:2023年3月22日

人吉医療センター 総合診療科


1.田浦尚宏 先生のご紹介

【略歴】
1995年3月 熊本県立熊本高等学校卒業 
1995年4月 自治医科大学医学部入学 
2002年3月 自治医科大学医学部卒業 
2002年6月 熊本赤十字病院診療部初期研修 
2004年6月 上天草市立上天草総合病院 
2006年6月 五木村診療所 (所長) 
2008年4月 上天草市立湯島へき地診療所 (所長) 
2009年4月 自治医科大学附属さいたま医療センター 
2010年4月 人吉総合病院、 五木村診療所 (所長)
2013年4月 人吉総合病院 (五木村診療所は所長ではなく 、 週一回勤務) 
2014年4月 人吉医療センター (五木村診療所週一回勤務)

【所属学会】
日本内科学会、日本消化器病学会 日本外科学会、日本臨床外科学会、日本肝胆麻外科学会、日本消化器外科学会、日本胃癌学 会 、 日本プライマリ・ケア連合学会、 日本病院総合診療医学会 日本救急医学会、日本腹部救急医学会、日本臨床救急医学会 など 

【取得資格等】
2010年4月 日本プライマリ・ケア連合学会認定プライマリ・ケア認定医・指導医 
2015年1月 日本外科学会外科専門医 
2018年 K-HANDS-FDF卒業 
2019年1月 日本腹部救急医学会腹部救急認定医 
2020年1月 インフェクションコントロールドクター 
2021年4月 日本病院総合診療医学会認定病院総合診療医
 総合診療専門研修プログラム統括責任者


2.Dr.田浦 のこれまでの歩み

・医師を目指した理由・きっかけ
両親が医師、薬剤師で、目指すのであれば、その業界でもリーダー的職業と言われていたので、医師を目指すようになりました。

・自治医科大学を目指した理由
出身県で必ず義務をしなくてはならないので、熊本で医師をしたいと思っていたためです。父親が眼科ですが、あとは継がなくてもいいと言われていたので、自治医大卒の総合医を優先させました。大学受験のとき上天草総合病院の地域医療に関する本を教えてくれたのは、上天草総合病院に勤務経験のある父親でした。

・総合診療/地域医療を選択した理由・きっかけ

自治医科大学に入学して、総合医として頑張るという考えはありましたが、具体的なものはありませんでした。その後、初期研修の上司からの指摘、地域の先生方からの指摘、同世代からの指摘、若い学生への教育、地域住民からの学び、行政との関わり、専門医との関わり、遠隔診療、など、総合的な診療、病院にとどまらない地域との関わりが増えていき、その度に自分ができて、他の人ではできない分野 を認識するようになっていきました。

関東のいわゆる大都市の病院での経験もありますが、そこでの経験が、「熊本の地域医療を継続する」という自分の方向性を決める後押しになったと感じています。

例えば、がん・脳卒中・心臓血管を専門とする病院ということを理由に、救急の交通事故の患者さんの受け入れを断った事例が心に残っています。その患者さんはすぐに適切な処置を行えば助けることができたけど、周辺の病院も外傷は扱っていないとことごとく断われている状況でした。自分としては断れ続けた依頼には受けてあげたいと気持ちで、上司に何度も相談しましたが、受け入れは叶わず、とても歯がゆい思いになったことを覚えています。

また、スポットの応援で入った病院で、夜中に腹痛の訴えで来院した患者さんを、尿管結石の診断で治療したことがありました。翌朝、看護師からとても感謝され、理由を聞いてみると、通常は診断がついたあとは、自分の仕事ではない(専門外)と何もせずに帰宅を指示する医師がその病院には多かったので、最後まで治療してくれたことが有難かったとのこと。地域に住んでいる住民はもちろん、スタッフもそういう医師を必要としていることを感じた経験でした。

義務期間の最後に赴任した五木村診療所(所長)での経験が大きかったと思います。医療過疎が進んでいく中で、お世話になった地域に恩返しをしたいという気持ちが強くなり、そのまま人吉・球磨で総合診療医として働きくことを決めました。また、この地域の医療を継続していくために、後進の教育もやっていきたいと思うようになりました。

〈五木村診療所〉


・他の診療科と迷ったことがあるか、またそのときの判断
もともとは、消化器系、外科、内科、救急を考えていました。総合的診療を行うことが増えたとき、どのタスクを減らすかを考え、勤務する病院の環境もありましたが、他の医師ができる内視鏡や手術が減っていき、他の医師が難しいと考える、他科専門医が任せてくれる診療が増えていきました。それらによって、他科への興味が広くなる一方で、1つの分野へのこだわりが段々と減っていき、自分がやり続ける方向性を認識していきました。


・総合診療・地域医療の魅力ややりがい

診療科や病院の役割によっては、患者さんと短期間の診療で完結する医師患者関係もあるかと考えますが、地域医療においては、病気になる前からその人を知り、価値観や文化を大切にして人生のさまざまな場面で関わり、場合により亡くなるまでの長い期間を関わることになります。「住民の健康を支える」という地域に必要とされる役割を担い、より多くの住民や行政から信頼を得ることができることが地域医療の魅力であると感じています。

また、総合診療は自分の能力と他科の協力によって、特定の疾患・分野だけでなく、どんな分野の診療にも関わることができ、より広い範囲の多くの人からの信頼や、人物としての評価を受けることができます。加えて、医療だけでなく、保健・福祉・行政・地場産業など、広い分野で仕事ができ、色んな人と関われることがやりがいにつながっています。

・総合診療が必要とされる理由
大学病院のように多数の医師がいない限り、どこにも医療の谷間があって、医師がいないへき地から、急性と慢性の間、医療と介護の間、臓器別・診療科の間、年齢の間、身体科と精神科の間があるので、医師の数ではなく、様々な質が大事であると思っていました。働き方改革や医療費、病院経営、病院統合など、昨今の医療課題がある現状においては、勤務時間を短くする代わりにタスクシフト・シェアなどが必要になっています。医師の数を増やすこともあると思いますが、医師を増やしても、埋まらない穴、特に横断的、総合的にタスクを分担できる医療全体を診る医師を育てないと、さらに医師偏在、地域医療格差が進むと考えています。

・心に残っている症例
たくさんありますが、精神科を苦手と感じていたときに、離島で自殺企図の患者さんと夜から朝になるまで話し合う機会がありました。その後、無事に生活されていることを聞いて、また本人からもお礼を言われ、最初の対応としては良かったと感じました。人生において、想定外・限界以上のことがやってくることがあります。水害もそうでしたが、それを乗り越えたときの経験が心に残っています

・外部との関わり(地域、行政など)
3年目に上天草で勤務しましたが、その時から、県職員として、赴任先の行政や保健、福祉には挨拶しにいき、顔見知りになっていきました。五木村や湯島では、特に、同業者があまりいないので、日常が他職種との生活で、医師というより一住民として過ごしました。今も他職種と仕事でも仕事外でも付き合えるのは、地域での生活があったからだと思います。市長や村長ともいろんな話をしました。


3.Dr.田浦 の現在の歩み

・診療で大切にしていること

少子高齢化が進む時代において、患者さんの価値観や背景、地域ごとで異なる文化を受け入れることを大切にしようと思っています。これまで各地域で異なるそれぞれの文化を住民の方に教えてもらいました。患者さんに話すときは医療提供側の事情を押し付けないように気を付けています。

透析はしたくない、入院を一日待ってほしいとか、患者さんから要望がありますが、その方の生活状況などの背景をしっかり聞いて、対応するように心がけています。

また患者さんを平等に診るということも意識しています。患者さんを実際に診る前に、電話だけの情報で区別し、自分は診ないと判断しないようにしています。自分が総合診療をしている限りは、まずはどんな患者さんでも診るということを実践しています。

学会から認められることも必要ではありますが、住民から認められ信頼を寄せられることをより大切にしています。住民から選ばれる病院・診療所でなければ、地域医療は成り立たなくなります。

・現在の職場環境について

地域医療を実践する場として、大病院にはないやりやすさが中小病院や診療所にはあると感じています。特に、診療所との先生とは医師会の勉強会や懇親会などで、顔を合わせたつながりを大事にして、対応が難しい症例などについて意見交換をしています。これまでの赴任先でも、上天草総合病院と御所浦診療所、済生会みすみ病院と湯島診療所で同じような地域医療の連携を行っていました。総合診療であれば、診療所でも、中核病院でも、いろんな資源で地域に医療を提供できると思います。

・専門医取得
外科専門医は、初期研修病院で外科修練をし始めて、そのころ形にしなければと思っていました。義務終了前には、地域医療をした形としてプライマリケア認定医も取得し、結果として、総合診療の指導に結びついてよかったと思います。
現在手術はあまり入れていませんが、時間があれば他の外科の先生があまりしない手術、腹水のVPシャントとかを担当しています。専門医を次に更新するかは、考え中です。

・受け持ち患者数(入院/外来)、当日直の回数
入院は15~30人、外来は病院も診療所も、25人/日くらいです。
当日直は、月2回くらい、オンコールは5~10回、その時の医師数で変化します。


4.Dr.田浦 のこれからの歩み

・現在、そしてこれからも力を入れて取り組んでいきたいこと

地域医療を今後も継続していくために、若手の育成・教育に力を入れています
キャリアに対する考え方の基盤がいつできるかがポイントになってきますが、専門性を持ちながらも、最終的には総合診療に戻ってくる人材を増やしていきたいと思っています。これまでも初期研修や当院の専攻医プログラムで関わった人材が、県内の他の地域で総合診療を実践しています。

当院では総合診療医の育成を行っている環境があるため、他の地域で総合的に診療を行ってきた人が人吉球磨に戻って地域に貢献したいと思った時に総合診療科で受け入れることができます。来年度からは一人医師が増える予定で新たな体制でチームを組める予定です。

学生のうちから総合診療の魅力を知っていくことは大事なことだと思います。そういう方を増やしていき、5・10年後にこういう経験をした方がいいということを具体的に伝えていければと思います。

・研修医、医学生、高校生へのメッセージ

色んな道がありますが、自分の進んだ医の道で、医療をうける人のことを十分に考え、自分の能力や資格を最大限提供できるように、自己研鎖して、多くの人々を救ってほしいと思います。

・総合診療に向くタイプ
おせっかい。責任感が強い。一つのことだけして、他のことは他の人にお願いする、ということはせず、何でもしてあげたいタイプ が向いていると思います。

・10・20年後、これからの総合診療・地域医療について

地域差がでてくると思います。地域を診る総合的医師の育成ができ、育った人が定着し、さらに育成する環境ができたところは、さらに進む少子高齢化、人口偏在、医療偏在に対応できると思います。出来上がった総合的医師を望み、育成できない地域は、来たらラッキーという具合です。人を多く集めてなんとか診療の穴、谷間を埋めるところは、人件費で悩むことになるのではないでしょうか。動き方改革で働く時間が限られるので、時間内にタスクをこなす質・内容・量が求められると思います。


5.Dr.田浦 のプライべート

・ご家族・休日の過ごし方

家族は熊本市内に住んでおり、現在は単身で人吉市内にいます。月に2~4回は熊本市内の自宅に帰っています。

子どもは幼稚園までは人吉幼稚園でお世話になり、運動や数字など大変いい教育を受けました。コミセンで囲碁も教えてもらいました。人吉一中の生徒さんは全員すごくいい挨拶をされますし、人吉で有名な池田塾というところもあり、東大に行かれる方も実際にいます。地方だからといって教育が熊本市内と比べ劣るというようなことはないと思っています。

オンコールがなければ、自宅に帰って、子供といます。朝ごはんを作って食べさせて、掃除して、子供の勉強みて、温泉にいく、父親があいていれば、夕ご飯を食べに行く。冬はみんなでスノーボード行ったり、夏は泳ぎに行ったり、ボウリングに行ったり、公園に行ったり。オンコールで人吉にいるときは、買い物して、掃除して、資料を作ったりして過ごしています。

・座右の銘

・忘己利他(もうこりた・・自分のことを忘れ、他の人々のために尽くすこと)
・医療の谷間に灯をともす(自治医科大学の建学の精神)

湯島診療所での勤務を終え、島民の方々に見送られる田浦先生

〈取材後記〉
最も印象に残ったことは、「学会から認められることも必要ではあるが、住民から認められ信頼を寄せられることをより大切にしている」というメッセージこれまで地域で経験を積まれてきた田浦先生の優しい温かさに包み込まれました。胸に秘める熱い想いもビンビン伝わってきました。熊本の未来の地域医療を守っていくために、この想いを次世代に引き継いでいきたいと感じました。

〈取材・撮影〉熊本地域医療勉強会 事務局 
 谷田病院 藤井、済生会みすみ病院 山内

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