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妄想列車 〜隋書倭国伝その1〜

こんにちわ、よんごひんご⭐︎くまです。
今回は違和感少なめの絵をAIさんが描いてくれましたw

で・・・話を戻します(?)。
散々っぱら、辛島さんは渡来人って書いてますが、本当なのでしょうか?
実は面白い史料があって、今回はその史料「隋書倭国伝」をば紹介したいと思いおます。
「隋書倭国伝」はその名前の通り、隋の国の歴史書です。
聖徳太子が小野妹子を遣わせて、
『日出ずる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや云々』
って書いた国書で、帝をぶちぎらせたしまったあの隋国です。
その倭国伝の中に面白い記述があるので紹介です。

明年 上遣文林郎裴淸使於俀国 度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏 以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀

隋書倭国伝から抜粋

漢字だらけで、何が何やらですが・・・以下のように読み下します(たぶん)

(むかつく手紙を持ってきた)翌年、お上(隋帝煬帝)は文林郎の裴世清を倭国に使わせた。百済に渡って竹島に至る。南に聃羅國 [たんら国:今の済州島にあった国] を望み、大海の中にある都斯麻國 [つしま国] を経て、同じく大海中にある東の一支國 [いき国] に至る。また海を渡って竹斯國 [ちくし国] に至る。またその東にある秦王國にいたる。その国の人は我々と同じ中国人で、夷洲 [いしゅう:今の台湾] の者だと思われるが、詳細はわからない。また、十余国を経て海岸に達する。竹斯國から東は全部倭国に附属している。

理系が頑張って訳してみた例

ちくし国は今の博多近辺と想像されることから、博多の東、それも海岸域ではない場所に秦王国という渡来系の人々による国があったことになる。
そうなると、飯塚・田川近辺(筑豊)が秦王国に比定できそうです。
と、いうことで・・・
辛島一族が渡来人だったというのは、まんざら嘘ではなさそうです。
しかし、疑問が残ります。
・辛島一族は新羅系渡来人であるとの伝承
・秦王国は夷州(台湾系)の渡来人っぽい
は、ちょっと『いこーる』で結べない感じです。

そこで、次回は都市伝説級の妄想を展開してみますw

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