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九州の北と南 〜妄想列車出発進行〜

こんにちは、よんごひんご⭐︎くまです。
酒井勝(さかいのすぐり)のルーツは新羅系加羅渡来人もしくは隼人にあるっぽい事がわかってきましたが、
一度整理のため、
『新羅系だとした場合、どの様な時期に南九州へやってきたのか』
を考えてみたいと思います。

考えるにあたり
① 続日本記の記事
② 辛島氏の伝承
について、簡単にまとめてみます。

① 続日本記の記事
大和朝廷になかなか従わない隼人に対する勧導政策として、大隅国設置の翌年(西暦714年)に豊前から大隅国へ移民が行われています。
この時、移住先になったのは、大隅国の国衙(役所を置いた場所)となる桑原郡。現在の霧島市国分付近にあたります。
桑原郡は、「大原」「大分」「豊國」「答西」「稲積」「廣田」「桑善」「仲川」 の郷で構成されていました。豊国につながる郷名がいくつかみることができます。
そして、この移住はおよそ200戸が対象。1戸20〜25名ほどだったと言われる事から5000人近い人々が移住したことになります。
この中に酒井一族が入っていたのかも…


② 辛島氏の伝承
辛島氏には出自にまつわる面白い伝承がある。
それは祖を素戔嗚命にするというもの
以下に素戔嗚命から辛島勝までの系図と比定される場所をわかる範囲で列挙してみることにします。

0 素戔嗚命
 ↓
1 五十猛神
 ↓
2 豊都彦
 豊国
 ↓
3 豊津彦
 豊国
 ↓
4 都万津彦(抓津(つまつ)彦)
 日向国 都萬神社
 ↓
5 曽於津(そおつ)彦
 大隅国 曽於(現:霧島市 韓国宇豆峯神社)
 ↓
6 身於津(みみつ)彦
 日向国 美々津
 ↓
7 照彦
 ↓
8 志津喜(しつき)彦
 大隅国 志布志(枇榔神社)
 ↓
9 児湯(こゆ)彦
 日向国 児湯(都農神社)
 ↓
10 諸豆(もろつ)彦
 大隅国 諸県(現:都城市早水神社)
 ↓
11 宇豆(うつ)彦
 豊国
 (現:大分県北海部郡佐賀関町 早吸日女神社摂社木本社「椎根津彦命」、同町 椎根津彦神社「椎根津彦命 配 武位起命」)
 ↓
12 辛島勝乙目

さて、最後に記載した『辛島勝乙目』以外は、名前に『彦』がつくことから男性です。
そして、『乙目』は『乙女』であり、宇佐神宮の女禰宜(めねぎ)や祝(はふり)といった神職を、敏達天皇の御代に務めていました。西暦で言うと6世紀後半になります。
この系譜から見えてくるのは、素戔嗚命の子孫が10世代ほどの期間をかけて、南九州(東側)をその勢力下に置いていった可能性が見えてくると言うこと。
そして、その勢力下に隼人の地が含まれていると言う事実。
もしかすると、この南九州への勢力拡充の際に酒井一族もやってきたかもしれません。

さて8世紀において、大和政権が大隅移住をした土地(桑原郡)は、すでに辛島一族の勢力下にあったと考えられますが、
なぜ、その様な地に『隼人大和化政策』としてわざわざ同族の者たちを移住させる必要があったのか?
次回はもう少し、この辛島氏について調べてみようと思います。

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