妄想列車 ~倭人って? その2~
こんにちわ よんごひんご☆くま です。
仕事が忙しいのを言い訳に、先週の投稿を忘れてましたw
前回、倭人は太伯の後裔だったという史料があると書き、
松野連にもちょこっと触れました。
松野連とは、新撰姓氏録という日本の史料に出てくる古代豪族です。
さて、新撰姓氏録とは9世紀前半に編纂された古代史族の名鑑になります。
新撰姓氏録では、
1 皇別 / 神武天皇以降に天皇家から別れた豪族
2 神別
(1)天孫 / 瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫
(2)天神 / 天孫降臨に付き添った神々の子孫
(3)地祇 / 天孫降臨以前から土着していた神々の子孫
3 諸蕃 / 渡来系の氏族
のように古代豪族を分類しています。
で、松野連は諸蕃ということになっています。
前回も書いたように、松野連は孝昭天皇(5代目天皇)の時代に日本にやってきたことになりますが・・・ここで「?」が点灯です。
松野連系譜では 忌(句呉の最後の王夫差の子ども)が日本にやってきたことになっています。
そして、その子孫に 讃・珍・済・興・武 がいると書いてあります。
そうです、「宋書」に出てくる倭の五王がいるのです。
と、言うことは・・・
学校で習った、応神天皇(15代目天皇)や仁徳天皇・雄略天皇といった古代天皇と、倭の五王とは別人だったということでしょうか?
しかし、そう考えると古代中国へ朝貢した記事が記紀に載っていないのも納得がいきます。
そして、大和王朝とは別の王権が古代日本にあったと考えても無理はなさそうです。
あえて書くなら、松野連系統の王朝が古代日本にはあったのではないか?
「孝昭三年来朝。火の国山門に住む。菊池郡」
とあるので、忌が渡来した地は、今の熊本県になり、
松野連系統の王朝とは、九州王朝ということができそうな気がします。
そして、もう一つ・・・
卑弥呼の魏への朝貢
も記紀に載っていません。
これもまた、
「大和王朝とは別の王朝が行ったことだから、記紀に載せていない」
とすると、
邪馬台国は大和とは別の土地にあった国家
だったと言えそうです。
倭奴国が金印をもらったのは、1世紀。
卑弥呼が魏に朝貢したのは、3世紀。
倭の五王が宋に朝貢したのは、5世紀。
ぜ~んぶ、記紀に載っていてもおかしくない時代です。
とっても不思議ですね・・・
ということで、今回の妄想はここまで
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