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2021年、コロナ禍のドイツで起こったこと。1年前とは完全に違う世界に生きている私達

※この記事は11月に下書きしていたものですが、記録の為、アップします。長文です。写真は、クリスマスマーケットに入場するため、ワクチン接種証明のチェックを受ける人達

11月19日、ドイツ政府より、ワクチン未接種者に対する制限の、再度の強化対策が発表された。
それは、未接種者は公共交通機関を利用する際にも、簡易テストを受けた上での陰性証明が必要になるということ。電車やバスは、もはや市民全員の乗り物ではない。乗っていい人と乗ってはいけない人の2種類に、人々が分類される事が政府によって決められた、ということだ。

これは、昔歴史の教科書で見た、「この席は○○人専用」なんてバスに書かれていた時代の話ではなくて、今現在のヨーロッパで起こっているという事実に、不思議な既視感の世界に紛れ込んだような気分にすらさせられる。本当に、これは、自分の住む社会で起きている事なのだろうか?

すでに、このようなワクチン未接種者への制限措置は何度も更新されていて、この1週間前には、陰性証明があっても、未接種者は飲食店には入れないという規定が施行されたばかりだった。

11月15日、いわゆる2Gルール (ワクチン接種者:geimpfte や感染からの快復者:genesene) の適用が日常生活に及んだ、記念すべき日と言っていいかもしれない。


それまではコンサートや大規模イベントなどで2Gはすでに導入されていたけれど、普段の生活で利用するカフェやレストランに入店できないというのは、少なからず日常に変化を及ぼす。
外出先でちょっとお茶する、なんてこともできないし、友人たちと食事にも、バーにも行けない。家の外での飲食は、すべて立ち食い、又は公園のベンチに座りでもしない限りは不可能ということだ。

私のような中年主婦で、もう家で地味にご飯食べる方が落ち着くわ、なんていう人ならまだしも、20代、30代の若者がこんな条件を突き付けられたら、打ちたくないワクチンだって受け入れざるを得ないだろう。すでに、多くの大人たちは、バカンスシーズンの前に、国外への移動の自由と引き換えに、不本意ながらもワクチンを受け入れた人が多数いるのだから。


そして今回は、ここに更なる上乗せが来た、ということだ。ついに国内、いや、生活圏内での移動に対する規制まで追加されたのだ。

ちょっとお買い物に一駅二駅、という移動でも、まずはテストセンターに行って陰性証明を取得しなければならない。以前は日本のコンビニ並みにあった簡易テストセンターは、未接種者のテスト有料化に伴いお客が減ったのが理由なのか、軒並み閉鎖されており、以前のようにどこでも簡単に検査ができるという状況ではない。
それでも、通勤に公共交通機関を使っている人は、開いているテストセンターを探し、毎日テストを受けなければならないという事になる。

ただし、未接種者には有料となっていた簡易テストが、このタイミングで再度無料になったのは、せめてもの恩赦というべきなのか。そうでなければ、状況は更に複雑化していただろう。仕事に行くために、毎日15ユーロの検査代を払える人が、どれくらいいるだろうか?


11月15日の週明けからレストランへの入店ができなくなる最後の週末は、私もテストセンターに出向いて陰性証明を取得し、友人(接種済み)と最後の晩餐もとい、今年最後のレストランでの食事を楽しむことにした。

テストが有料化されて以来、閑古鳥が鳴いていた近所の検査センターは、私と同じような事情の人たちが滑り込み外出を目論んだためなのか、未だかつて見たことのない行列。それまでは早くて1,2分、せいぜい5分もあれば済んでいたテストに、まさかの1時間待ちだった。

ひと月前の未接種者のテスト有料化に伴い、私自身もその日を境に、週1,2回の外出の度にお世話になっていたテストセンター通いを辞め、外出を控えるようにした。未接種者の大多数は同じ理由でテストセンターに行かなくなったと思われるので、その間無くなったテストセンターもあるし、残ったところも暇になって人員削減していた様子。なのでこの日、急にお客が増えて対応できなかったセンターの事情もあるようだけれど、こんな風に政府の規制は状況に合わせてコロコロ変わるので、対応する人たちも大変だ。

私も多少の混雑は想定内だったので、きちんと事前予約していたのだが、聞いてみるとどうやらほとんどの人が予約時間を過ぎても待たされているらしい。仕方ないので最後尾に並ぶ。

ここで行列している人たちは、同じく「訳アリ」の仲間がほとんどだということだろう。なんとなく、お互い勝手に親近感を持ってしまうという心理も働いていたのか、混乱もなく、皆大人しく、寒空の下順番を待っていた。

私の前に並んでいたのは、生後間もない赤ちゃんを連れたカップルだった。
旦那さんと奥さんが、交代で赤ちゃんの面倒を見ながら、進まない行列に文句を言うでもなく、不満の表情を見せることもなく、穏やかに時間をやり過ごしている様子は、私の気持ちを和ませてくれた。
このカップルも、どんな事情があってこのセンターに来ているのかは分からないけれど、地元民という雰囲気からして、旅行のためのPCR検査、またはコロナの症状が出たための検査という訳でもなさそうで、ただ単純にワクチン接種が済んでいない、ワクチン接種をしていない人たちの部類なのだろう。
この人たちも、今日でレストラン行きおさめなのかな、なんで今までワクチン打たなかったんだろう、などと、勝手な妄想しながら、待ち時間をやり過ごす。

1時間後、無事に陰性証明を取得できたのだけれど、次の問題はどのレストランに行くのか、ということ。
街中のレストランの入り口には、週明けの月曜日からの施行を前倒しですでに「2G(接種済み・または感染からの快復者)」の張り紙を掲げる店も多く、すでに未接種者の入店規制は始まっていた。
目星をつけていた店も例にもれず、すでに2Gでアウト。なんとか、2G貼り紙無し、予約時の接種確認無しだった近所の店にすべりこむことができたけれど、入店後にテーブルに確認にきたマダムは、「接種証明ありますか?」と私たちに聞いたのだった。
「おっと、ただの証明じゃなく、今、接種証明って言った?」と心の中で呟きつつも、私は、無言で彼女にテストの陰性証明を見せた。一瞬、マダムの動きが止まったようにも感じたけれど、彼女はOK,と言って、友人の接種証明を確認した。
もしかしたら、この店も貼り紙こそしていないけれど、2G前提だったのかもしれない。でも、何度か客として来ているご近所の私が、まさかの未接種者、ということは、今後この人は規制解除まで店に来れないということなのか、という、一瞬の彼女の判断で、OKと言ってくれたのかもしれない、なんて、またもや妄想してみたり。

とにかく、未接種者の簡易テストが有料化された10月16日以来、一度もレストランで外食しなかった私にとっては、これが1か月振りのレストランでの食事、そして、解除されるまでの最後の食事となるわけだ。解除の日がくれば、の話だけれども。

おそらくこの規制は年明けまで解除されることはないだろう。私はクリスマスも年末年始も、パーティーやレストランで友人たちと祝うことはできない。この調子だと、未接種者への制限は再び、自宅での集まりにも適用されそうな勢いなので、今年のクリスマス、そして2022年の年明けも、静かに家で祝う事になるのだろう。
未接種者には、そのような祝いの場に出向く権利はないのだ。それを望むのであれば、ワクチンを打つのみ。
働かざる者、食うべからず、もとい、打たざる者、家を出るべからず。


私のような、今更ワクチン?と思っている輩からすれば、政府からこの手の新たな規制の発表があるその度に、「またか」と思うだけで、ホームオフィス&半自己隔離生活の身にはさほど響いてもこなかったのだけれど、レストラン出禁に続いて今回、ついに公共交通機関もか、となると、自分ではなく、ワクチンを打ちたくないのに、仕事の為に電車やバスに乗らなければならない人たちにとって、また面倒が増えるという事に、心から同情せずにはいられない。

もし自分がその立場だったらどうするだろう。ただでさえ、未接種者に対する社会の目は冷たい。ドイツの接種率は70%に届かないとはいえ、大人に限って言えばかなりの割合の人が2回接種を終えている状況。そして、ここ最近は特にメディアで未接種の重症患者によって病床が埋め尽くされている、というような報道から、未接種者をこれまで以上に「非常識な人々」とあからさまな怒りを表す人も多い。
職場でも肩身の狭い思いをしている人は多いだろうし、それが交通機関を利用するにも更なる規制。
国はもちろん、それによって接種率を上げることを狙っての措置なのだから、狙い通りの追い込みなんだけれど、なんというか、国を挙げての強制に、ついにここまでやるのか、と驚かされる。

ただ、この規制に関するニュースに寄せられたコメントを読むと、なかなか皮肉が効いている。
「OK,それならば定期券を返還して、自動車通勤に戻るまでの事だ。無駄なガソリンを使うことになるけれど、やむを得ないね」
「地球温暖化対策にと公共交通機関を利用し車の利用を控えていたけれど、その必要はなくなった」
等々。

打たないと決めた人たちは、この状況下でサバイブする方法を見つけ出す。
人によって理由は様々だ。ただ、少数派であることは確かなので、所謂多数派に属する人たちからすると、理解しがたい人たちだろう。
多数の理論で物事が決められるのは、いつの世も同じ。

私自身、今のところ「未接種なんて非常識!」などと個人攻撃を受けたことはないけれど、私が未接種だと知っているドイツ人の友人から、「周りの友人たちが、未接種者の自分勝手に怒っていて、それを聞いていたら、あなたが未接種者だってことを彼らに言えない」と言われたことはある。

私の身近な日本人の友人たちに限って言えば、接種者と未接種者との割合は半々、といったところなんだけれど、私は接種済みの友人から差別的な扱いを受けたことはないし、(私がもともと変わり者という点を理解した上で付き合ってくれている人たちだから)未接種の友人は、社会全体の割合として少ないはずなのだけれど、マイノリティのコミュニティつながりで、むしろ最近になって、周囲に未接種の知り合いが増えたくらいだ。だから、人間関係で未接種であることが、問題になったことはない。
とりあえず今のところは。

そして社会全体にはなんとなく、ワクチンに関する話題をするのはタブーといったような雰囲気が無きにしも非ずなので、これまでは仕事関係やそれほど親しくない知り合い程度の間柄の人に、自分が未接種だということを話す機会はなかった。会社務めの友人も、誰が未接種かどうかが判明されるような会話は、基本的には避けられている、と言っていた。

ただ、こんな風に日常生活の中で、
「あ、私レストラン入れません」とか、電車やバスに乗るのに証明がないと乗れない、といった事態に遭遇したら、ああ、この人未接種なのね、と、周囲に分かってしまうので、公表したくない人にとっては、それもまた新たな心理的な負担になるかもしれない。

とはいえ、ここまで未接種で通していた人たちというのは、それくらいの理由で打つのならもうとっくに接種しているはずだから、この規制によってどれくらいの人が接種に傾くのかは、甚だ疑問なのだが。

むしろ、周囲には2回目接種の後に感染した、いわゆる「ブレイクスルー感染」がちらほら出始めたり、2回で済むと思ったのに3回!?と、思う人もいて、規制を強化することで今後接種率を上げようとする政府の目論見は、成功するようには感じられない。

ただ、医療機関に多大なる負担がかかっているのだ、未接種者のせいで。という昨今の報道には、心理的圧力をかけられている人が多いのではないだろうか。
みんな人に迷惑をかけるつもりはない。ただ、未接種者が感染するのは自業自得で、接種者が感染するのは未接種者のせいだというような報道の仕方は、行き過ぎだと感じる。

(追記:最近、ハンブルグの知事が、以前ニュースで「重症病棟の90%が未接種者で占められている」とコメントしていたが、それが嘘で実際は19%だったことが調査によって判明している)

私個人の立場から言わせてもらえば、未接種者は無責任だといわれる事に対して、納得できない点が多々ある。
私は日ごろから健康管理にはそこそこ気を使っていて、この25年、肩の故障を除けば医療機関にお世話になることもなく、ほとんど風邪をひくことすらなく過ごしてきた。
コロナの流行が始まってからも、不特定多数の人が集まるような場所にはほとんど足を踏み入れず、手洗いや体調管理にも気を使ってきた。自分が感染して病院へ送られるような確率を下げるように、というかそれ以前から、病院にかからないように健康管理をしてきた。

なのに、今は「自分勝手な未接種者」というレッテルを貼られ、「あなたたちのような人のせいで医療機関は迷惑を被り、他の病気の人々にも手術の遅延などで迷惑をかけている」と糾弾されかねない立場なのだ。
このコロナ大流行と言われる中で、今日まで感染もせず、健康を維持してきたことは、何の価値も意味もないことで、単なる偶然か幸運だっただけ。ワクチンのみが解決策であり、それ以外は感染対策とはなり得ない。そういう事なのか?

2回接種でもう安全だと、検査も必要なくイベントやパーティやバーに出かけて感染した人たち、または接種済みが故に症状の出ない感染者が、自由に出歩くことによって起こり得る感染は規制もされず、非難もされない。

これに不公平感を感じるのは、間違っているのだろうか?
未接種者は自分勝手で無責任で、社会のルールを守れない非常識な人たちなのか?

概ね、私の周囲の未接種者は普段から健康に気を使っている人たちが多い。だからこそ、体に入れる物に対してはそれ相応の下調べもするし、納得した上で判断する。
だから、今回のワクチンに関しては、不明な点が多すぎて、これを強制されることに違和感を強く感じているのだ。

副反応と言われる発熱や頭痛など、私は20年来そんな症状を出したこともないのに、ワクチンのせいでそんな体調不良を経験するなんて、その方がコロナ感染より恐ろしいくらいだ。そしてもしコロナに感染したとしても、自己免疫が強ければ重症化しないはずだから、わざわざ副反応で寝込むくらいなら、そちらを選択したほうが理にかなっているのではないか?

私の母も接種後に3週間頭痛が治まらず、幾つかの病院で検査を受けたが原因は不明。数時間の頭痛でも私にとっては耐え難いのに、3週間。
そしてこれは、公には副反応とはカウントされない。ここでは割愛するが、私の父も副反応のような症状があり、私にはコロナ感染よりもその謎の症状の方が恐ろしい。
ましてや、長期的な影響などがわからない危険性まで引き受けて、このワクチンを打つメリットが、私には全く感じられない。

そもそも国民の90%以上が接種した国でも、感染者が増加している。これはたった10%の未接種者が感染を広げているというのか?
開始時は2回接種したら感染は防げると言っていたのに、10パーセントの未接種者のまき散らすウイルスで、2回接種者にも感染が広がるというなら、このワクチンの効果がそもそも怪しいということではないのか?

更に、接種者のブレイクスルー感染が増えていて、ドイツでは未接種者の重傷者の割合が多いと言われているけれど、他国の報道の中には、接種者の重症患者や死者の増加が指摘されているところも多い。
要は、2回の接種でも感染するし、割合は低いとはいえ重症化する危険性があるので、ブースターショット、3回目の接種を推奨しているという事実。グリーンパスも、6か月や8か月(ドイツは今現在では1年らしい)の有効期限が決められているので、要は打って更新し続けなければいけないという事。

だとすると、まだ一度も接種していない私たちは、これから6か月の間隔を空けて接種するとなると、とりあえず、年が明けないと2回目は完了しないということだから、今すぐ1回目を打ったとしても、結局年末年始は2Gや3Gの規制に縛られてしまうのだ。
3回接種の人に追いつくのは、来年の夏。その時、すでに4回目、5回目の接種者が出ているのだろうか。

もはや、2023年に終わるという治験の結果を待つまでもなく、接種者全員が治験参加中のような状態なのだが、もう今更どんな治験結果が出ても意味をなさないだろう。(今や未接種者が少なくて治験者が集まらず、治験の持続自体が危ういという話を随分前に聞いたけれど、いったいどうなっているのか?)


ワクチンは科学的、ワクチン反対は非科学的、などと言われるけれど、ワクチン開発当初に、治験期間も終わらない、未知の部分も多いままのワクチンを接種することに警鐘を鳴らした科学者たちの発言を封じたのは、科学的な対応と言えるのか?
YouTubeなどでも、ワクチンに対して懐疑的・否定的な発言をする動画やチャンネルが消されるという事態が続いている。ニュースもしかり。何をそんなに隠したいのか、そう思われても仕方がない対応としか思えない。

そもそも当初は発症予防率95%と言っていたのに、蓋を開けてみれば抗体は数ヶ月で減り、接種しても感染もし、亡くなる人も出ている。いや、今では感染予防効果はなく、重症化を防ぐのみ、という報道に変わっていっている。
予想外の展開なのかもしれないけれど、科学なんてそんなものならば、ワクチン反対・慎重派の意見が間違っていると、その時点で判断できるわけもなかったはずだ。

まあ、このことに関して言いはじめると、また長い長い話が展開されるのでここでは止めておくけれど、そんなこんなで、多分、私だけではなく多くの人がこれまでの流れに疑問を感じ、接種率が思いのほか上がっていないのだろう。
それなのに国の対応は、そこに追い打ちをかけるように、次から次へと社会的な強制を強めていく。当然、反発する人たちが声を上げ、各地でデモなどが行われているのが、ドイツの現状だ。

それにしても、上には上がある。隣国のオーストリアはドイツの更に一歩上をいく、厳しい未接種者への規制が開始された。
未接種者は買い物など、生活に最低限必要な理由のある外出以外は、禁止だと。

(追記:その後、ドイツも飲食店だけでなく、スーパーや薬局など、生活必需品を販売する以外の小売店すべてへの2Gルールが適用され、未接種者のみが1年前のロックダウンと同じ規制の下、生活することになっている。)

これがもし、BCGのワクチンなど、すでに何十年もの臨床研究がなされたワクチンで、それが唯一の感染防止対策なのだと言われれば、致し方ないと思うかもしれない。
けれどコロナに関していうならば、人類初の試みでもあるこのワクチン、まだ治験も終わらず様々な情報が飛び交うワクチン。副反応の報告も莫大な数になるのに理由すらはっきりせず、日本でも接種後の死亡も因果関係不明と片づけられて誰も責任を取らないこのワクチンを、国が全国民に強制するなんて、正気の沙汰じゃない。

ベルギーでも政府の規制に対するデモが行われていて、数千人ではなく、数万人の人々が集まったと報道されていた。
これだけ反発を受けながらも、コロナの収束にはワクチンしかない、と政府は繰り返す。
本当に効果とメリットが優位なのだと明確ならば、これだけの人がデモに集まることはないだろう。

そしてこの政府や社会の制裁は、デモを行う人たちだけではなく、公の立場のにある個人にも向けられている。
ワクチン未接種という理由で社会的制約や非難を浴びる現状に、何とも言えない虚しさというか、いたたまれなさを感じている。
ドイツでも、政治家やサッカー選手で未接種の人が、ニュースで取り上げられ、まるで犯罪でも犯したかのような扱われ方をされていた。一部のワクチンで心筋炎の副作用が認められているのに?アスリートには命とりになる可能性だってあるというのに?

個人の意思に反して、世論や多数の意見により強制される社会が、今この時代に起こっているという現実には恐ろしさを感じる。
歴史上起こった、忌まわしい強権政治が、今また復活したのかと思わされるような、1年前には想像できなかった社会状況に置かれている。
そう感じているのは私だけではない。ドイツでも、デモの際に反ナチズムを掲げる人たちがいるけれど、それは多くの人が感じる類似点なのかもしれない。


これは友人が、飲食店で働く友人から聞いた話だ。(この方を仮にAさんと呼ばせていただく)
Aさんの店の屋外席に、年配のお客さんが座っていたので、「外は寒いので中でお食事されませんか?」と声をかけた。するとそのご老人は、自分はワクチンを打っていないので、店内席には入れないのです、と。
ドイツの老人の接種率は高いはずなので、まさか未接種とは思わず、驚いたAさんに、老人は言った。
「若い人たちは戦争をしらないから、気づいていないかもしれない。でも、いまドイツで起こっていることは、ナチスが台頭してきた時と、同じような状況です。人々を分断・差別し、政府による強制が行われている。」

世界のワクチンデモでも、ユダヤ人がナチスに強制された黄色い星のマークをつけ、炎上したことがニュースなどで度々取り上げられていた。
確かに、ホロコーストの犠牲になったユダヤの人たちの運命と、ワクチン拒否による規制を同等に扱うことは不謹慎だと言われても仕方ないかもしれない。
それでも、現在の社会の分断を煽るような報道や、「未接種者=悪者」といった印象を植え付け、そのような人々は制限をうけて当然といった風潮を助長する流れは、本来社会に起きてはいけないはずの事だ。

ユダヤ人が、移民が、○○人が、というような、人々をカテゴライズして差別する、それが政府の政策の結果として起こっていることならば、気づいた人はそれを止めさせなくてはいけない。これは、もはやワクチン云々という話ではなく、その人がどのような社会で生きるかを選択する、意思表明を迫られていると、私は感じている。
歴史は繰り返す。今みている社会の変化が、過去に起こった禍根の上にを再び再現されるはずがないと信じていたけれど、今はそれすら危うい。

折しも、この2G規制が強化された前週の11月9日は、「クリスタルナハト(水晶の日)」と呼ばれ、ホロコーストが始まった悲しい歴史を記憶するための日だった。ベルリンの街の歩道のあちこちに埋め込まれた金色のプレート、これはその場所に住み、ホロコーストの犠牲になったユダヤの人々の名前が刻まれたプレートなのだ。ベルリンの市内を歩いていれば、至る所でそのプレートを目にする。「クリスタルナハト」は、その日起こった出来事をを忘れないようにと、プレートにキャンドルや花が供えられる日。

数日前に置かれたのであろう、溶けたキャンドルと枯れた花が脇に置かれたゴールドのプレートが目に映る。レストランのドイツ人の老人が言ったという言葉が蘇る。そして、その時代を経験した、ドイツ人の老人たちのインタビューにあった言葉を思い出す。「それは、いつの間にか始まった。私たちは、知っていたけど、見て見ぬふりをした。」

ドイツは、世界は、これからどうなっていくのか。
接種者と未接種者、
人々がカテゴライズされ、分裂し、お互いを非難し合い、マイノリティの権利は無視される、そういった世の中を、私たちは望んでいるのだろうか?

多分、それを選択するのは、その人次第だということ。
今はその人の本質が試される時なんだと感じている。世界は、様々な主義主張、文化や宗教や思想を持つ人たちによって成り立っている。

バランスをとることは簡単ではない。それでも、相手の立場を尊重し、理解を示せる世の中であること、人の権利が国の決定で簡単に奪われてしまう世の中にならない事を、ただただ願うばかりだ。


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