そのひとの名前を知ったのは1979年春頃、中2に上がる頃だった。


東敏明さんというホリプロスカウトキャラバンから出てきた男の子のデビュー曲「バニシング・ポイント」が、やたら西海岸の洋楽っぽくてカッコよかったのだ。1979年春のこと。

1979年の2月発売の明星の歌本から、それまでの作詞・作曲家に加えて、編曲家のクレジットが載るようになった。ラジオで聴いて気になって、歌本で「大村雅朗」という方が編曲しているのを知った。

その前に買った八神純子さんの「みずいろの雨」のシングルも、大村雅朗さんだった。テレビやラジオで流れる曲でちょっといいなと思うと、その名前にぶち当たることが続いた。佐野元春さん「アンジェリーナ」、松原みきさん「ニートな午後3時」、中原理恵さん「死ぬほど逢いたい」、大沢誉志幸さん「そして僕は途方に暮れる」とか。松田聖子さんの作品は言わずもがな。

わたし自身が日本を離れていた時期もあり、その後に大村雅朗さんの名前をしっかり頭に焼き付けたのは大江千里さんの1987年のアルバム『OLYMPIC』。CDを買ってクレジットを見たら全曲大村雅朗さん。

千里さん以外に自分が好きで聴いていたアルバムにも、大村雅朗さん作品があった。鈴木雅之さんの「Come on in」と「君」。どちらもアルバム『Fair Affair』に収録されている。稲垣潤一さんの「April」も好きだった。90年代に入ってからは観月ありささんの「今年一番風の強い午後」が好きだった。

数年後、わたしが音楽をあまり聴いていない時期に、大村さんは天に帰ってしまった。知ったのは大江千里さんの『ROOM 802』での「碧の蹉跌」に書かれた一文からだった。

それから10数年の月日が流れ、音楽を聴くデバイスも変わった。ウォークマンからCD、MD、iPod、そしてiPhoneがメインになり、学生時代にカセットテープに並べていたようにプレイリストを作るようになっていた。大村雅朗さんのプレイリストも普通にそのなかのひとつで作っていた。

2016年、クリス松村さんのラジオ番組で、書籍『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』を知ることになる。翌日のお昼休み、会社近所の書店で手に入れて貪り読んだ。そこで知った事実の一つが、ネコを連れて上京してきたということ。えー猫好きだったんだ!と、はじめて彼のパーソナルを知った。

その翌年の2017年、今度は大村雅朗さんについての書籍『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997』が同じくDU BOOKSさんから発行された。書店に予約をして発売日に手に入れたのはいうまでもない。お昼休みに書店からピックアップして、すぐに読み始めた。最初の数ページでもう胸いっぱいに。

パズルのピースが埋まるように、何回かイベントが開催されたり、ラジオでの特番が組まれることが増えた。

大村さんについて語る人も増えてきた2019年初めごろ、大村雅朗さんのドキュメンタリー番組が作られることを知った。コンピレーションアルバムの発売もあり、この番組はぜひとも視たいと思ったのだ。
しかし。「風の譜(かぜのうた)」~福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗~ は、福岡、佐賀だけの放送だということを知った。普通に横浜の自宅では視れない。

そうだ、福岡、行こう。PCとチューナーとアンテナ持って福岡行って録画してこよう。

知ったその日に速攻で旅行会社のサイトで申し込んだ。オンエアの前日から泊まり、ホテルのテレビ設備を点検し、天神で晩御飯を食べて。

こういう目的のある遠征のときは、聖地巡礼がお約束。オンエア当日、天神南口の「風街珈琲店」でモーニングを食べて、昼過ぎにホテルに戻り、録画に備えた。無事視聴しながらツイートを垂れ流し、録画も成功。次の日は台風で飛行機が飛ばず、新幹線で博多から東京まで乗りとおしたのも今となってはいい思い出。2019年9月のこと。この放送は2020年にBS日テレで全国放送された。

初回放送から3年近くの時間が経った2022年夏。大村雅朗さんのメモリアルライブの開催を知る。福岡だけのプレミアム公演、2Days。前回同様、速攻で旅行の計画をしてライブのチケットを申し込んだ。

それから暫くして、2022年現在はニューヨークを拠点としている大江千里さんが一時帰国してライブを行うことを知った。運よく9月6日の関学でのステージが観れることになり、興奮と感動の一夜となった。

さて、メモリアルライブの2Days。2日目の昼間はフリータイム。何も考えず、1日目の感動と興奮を胸にギュッと閉じ込めたまま、1日目のライブの後は天神で呑んでホテルに戻った。
さて、2日目、どう過ごそう?

当然の如く、聖地巡礼。足が向くまま、前回と同じく風街珈琲店へ。ランチの後は大村さんが眠る聖福寺に足を運び、お寺の前で祈った。さて、その次はどこに行こう。気持ちは恋する乙女のように、大村さんのことをずっと考えていた。

大村さんの遺作となったメロディに松本隆さんが詞をつけた「櫻の園」。
大村さんが、かつて住んでいた六本松のアパート跡地には、櫻の木が毎年美しい花を咲かせる、という話があったのをふっと思い出した。

そうだ、六本松、行こう。

何日か前のNHKFMでも、松本隆さんが六本松サテライトっていうのに出ていらしたし、蔦屋書店もあるし、どんなところだろう。バスに揺られてみた。

六本松から戻る途中、先日の大江千里さんの関学でのライブで知り合った方がわたしのPostに反応してくださって、美味しいお店を教えてくれた。次来た時に行こうかなとその時は考えていた。

キャナルシティ劇場に戻り、2Daysの2夜目。前日とはまた違った感動と興奮で胸がいっぱい。今日は飲まないし、あまりに感情が揺さぶられていて、何を食べたいとも思いつかない。キャナルシティ劇場を出たときのわたしは、そんな状態だった。

そうだ、もう一度六本松までバスに乗ろう。彼女から教えてもらった美味しいお店でお勧めを食べよう。

お勧めのメニューは、美味しかった。心もおなかも満足して、逆向きのバスでホテルに戻り、いま(2022/9/24)この文章を書いている。

音楽が繋ぐ縁。きっとこれからも何かしら繋いでいくんだろう。昨日今日の大村雅朗さんのメモリアル2Daysがそうだったように。

そういえば、鈴木雅之さんの「出会えてよかった」も、大村雅朗さんの作品だ。作品からのご縁でつながる縁。





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